artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

林田摂子「島について」

会期:2012/02/20~2012/03/04

蒼穹舍[東京都]

以前本欄でも紹介したことがあるが、林田摂子の写真集『森をさがす』(ROCKET)はいい仕事だった。写真の一枚一枚に深みがあるだけではなく、それらが連なってほんのりと上品な(だが、どこか血の匂いのする)物語を編み上げていく。そんな彼女の才能が、今回の「島について」でもしっかりと発揮されていた。
撮影場所は島根県の沖合に浮かぶ隠岐島。林田は小学校の社会科の授業のときに地図を見て、隠岐や島前、島後といった地名になぜか強く惹かれるものがあったのだという。20歳のころにたまたま知り合った友人が、まさにその隠岐・西ノ島の出身だったことをきっかけに島を訪れることになった。その旅の場面を例によって淡々と撮影し、写真の連なりとして提示している。とりたてて、特別なものが写っているわけではないが、何度か姿を現わす黒猫、友人の実家の台所で料理される魚の赤い切り身、ブレた指先でさし示される遠い森など、心を騒がせ、どこかに連れていかれるような感触を持つ写真が、さりげなく挟み込まれている。このあたりの写真構成とストーリーテリングのうまさが、林田の真骨頂と言えそうだ。もう少し撮り込んでいけば、「森をさがす」のように、緻密に組み上げられた作品として完成していくのではないだろうか。なお、東京・中目黒のPOETIC SCAPEではその「森をさがす」の写真展(2月14日~3月17日)も開催されている。

2012/02/29(水)(飯沢耕太郎)

The Emerging Photography Artist 2012 新進気鋭のアート写真家展

会期:2012/02/21~2012/03/04

インスタイル・フォトグラフィー・センター[東京都]

2010年に写真専門ギャラリーのディーラーを中心に発足したジャパン・フォトグラフィー・アート・ディーラーズ・ソサイエティー(JPADS)は、これまで何度かアート写真のフェアを開催してきた。クオリティの高い作品が多かったのだが、有名写真家の作品だとかなり値段は高めになる。そこで、写真学校に在学中、あるいは卒業したばかりの若手写真家を中心に開催することになったのが、今回の「新進気鋭のアート写真家展」である。このような試みは、顧客の幅を広げていくという意味でなかなかいい企画だと思う。あの手この手で、この不況の時期を乗り切っていくことが求められているからだ。
今回はディーラーのほかに、写真ワークショップの主宰者や写真教育機関に属する先生たちを推薦者として委嘱し、16名の写真家が選ばれている。推薦者は福川芳郎(ブリッツ・ギャラリー)、北山由紀雄(岡山県立大学)、圓井義典(東京工芸大学)、松本路子(写真家)、斎藤俊介(キュレーター)、高橋則英(日本大学芸術学部)、山崎信(フォトクラシック)の7名。彼らが選んだのは安達完恭、相星哲也、青木大、イワナミクミコ、市川健太、石川和人、川島崇志、岸剛史、小林信子、新居康子、西村満、斎藤安佐子、酒井成美、佐藤寧、鈴木ゆりあ、高畑彩である。川島や酒井の映像処理のセンスのよさ、斎藤や佐藤の緻密な画面構築、高畑のナイーブな感性など、可能性を感じる作品が多かった。だが、総じてまとまりがよすぎて、はみ出していくパワーを感じられない。ぜひ何度か続けてほしいのだが、「アート写真」の枠組みにおさまりにくい作品もあえて選んでおかないと、こぢんまりした紹介展で終わってしまいそうな気がする。

2012/02/22(水)(飯沢耕太郎)

原芳市「光あるうちに」

会期:2012/02/15~2012/02/28

銀座ニコンサロン[東京都]

原芳市から送られてきた写真集『光あるうちに』(蒼穹舍)に添えられていた手紙に「写真は60過ぎた頃から面白くなるような気がします」とあった。これは実感としてよくわかる気がする。原のように生と写真とが不即不離のものとして一体化している写真家にとっては、人生経験の深まりが写真を熟成させていくのだろう。彼は1948年の生まれだから、今まさに写真家としての実りの時期を迎えているということだ。それが今回の展覧会にもよく表われていた。
「光あるうちに」というタイトルによる展示は、2010年のサードディストリクトギャラリーでの個展以来3回目になる。そのたびに、6×6判の写真に写し出された光景が、いきいきと精彩を放ち、輝きを増しているように感じる。展覧会場の最初のパートにヨハネ黙示録の「暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい」という言葉が、最後に古今和歌集の「世の中は夢かうつヽか うつヽとも夢とも知らず ありてなければ」という歌が掲げられていた。この二つのメッセージは、原の写真の世界を言い尽くしている。つまり光と闇、生と死、夢と現の間を、できる限り大きく深く、幅をとって見つめ続けようという覚悟が、そこからくっきりと浮かび上がってくるのだ。
展示作品に、裸の女性の写真がかなり多く含まれていることに、大方の観客の方々は戸惑うのではないだろうか。原は若いころから、仕事としてストリッパー、ヌードモデル、SMモデルなどを撮影し続けてきた。『僕のジプシー・ローズ』、『ストリッパー図鑑』などの著書もある。彼にとって、体を張って仕事をしている女性たちを撮ることは特別な意味を持っているように思える。同情とも優越感とも違う、独特の角度から撮られた彼女たちの姿から、哀感と慈しみが混じりあった、なんとも言いようのないオーラが滲み出してきている。

2012/02/17(金)(飯沢耕太郎)

バリー・コロンブル「Barry Kornbluh」

会期:2012/02/10~2012/03/04

リムアート[東京都]

これも恵比寿映像祭の連携展示だが、動画ではなく純粋な静止画像の写真展である。昨年個展が開催されたサンネ・サンネスもそうだったのだが、リムアートでは時々思いがけない(まったく名前もきいたこともない)写真家が紹介されることがある。今回のバリー・コロンブルもサンネスと同じくオランダ在住の写真家。ざらついた、印画紙の粒子を強調した、黒白のコントラストの強いプリントに共通性がある。だが、コロンブルはオランダ人ではなく、1952年生まれのアメリカ人で、90年代にオランダの女性と結婚したのをきっかけにアムステルダムに移住したのだという。
被写体になっているのは身の回りの人物たち(ヌードが多い)や日常の光景であり、その大胆な切り取り方に、ジャズのインプロヴィゼーションのようなセンスのよさを感じる。ただ、サンネ・サンネスのようなエロティシズムの深みへの偏執狂的な固執はなく、ずっと穏やかな作風だ。経歴的にはエド・ファン・デル・エルスケンのようなオランダ、あるいはフランスの写真家たちではなく、「キアロスクーロ」を意識したモノクロームの美学を追求するアメリカのラルフ・ギブソンの系譜と言えるかもしれない。おそらくオランダには、日本ではまだあまり知られていないサンネスやコロンブルのような魅力的な写真家たちが、もっとたくさんいるのではないだろうか。さらなる発掘、紹介を期待したい。

2012/02/17(金)(飯沢耕太郎)

松原健「眠る水」

会期:2012/02/03~2012/03/04

MA2 Gallery[東京都]

恵比寿映像祭の連携企画として開催された松原健の新作展。こういう作品を見てもデジタル映像機器の進化が、写真家やアーティストにのびやかな発想の広がりをもたらしていることがわかる。彼がこのところこだわり続けているベトナムの少年、少女たちをモデルにした「眠る水─メコンデルタ」の連作がメインの展示で、メコンデルタの河を静かに流れていく彼らの様子を上から撮影したモノクロームの映像が、筒状のガラス容器の中に入れられた小型の液晶モニターに映し出されている。容器の内側がハーフミラー加工されているので、映像は揺らめき、分裂しているように見える。ゆっくりと河の流れに乗って上昇していく5人の子どもたちの姿は、ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」を思わせるが、悲劇性や耽美性はあまり感じられず、むしろ清々しい開放的な雰囲気に仕上がっているのがいかにも松原らしい。
ほかにも、グラスの縁からあふれ出る水(「眠る水─コップの中の嵐」)、焔を上げる鹿の角(「眠る水─エゾ鹿」)、4つの都市の女の子たちが次々に蝋燭の火を吹き消していく場面(「ブラスチバ、ホーチミン、タイペイ、トウキョウ」)など、さまざまな容器に小型液晶モニターを仕込んで映像を流す作品が展示されていた。アイディアを形にしていく手際の鮮やかさはもちろんだが、全体に記憶の一場面を小さな器に封じ込めるという松原の志向が一貫して感じられて、静謐に美しく結晶した映像世界が構築されつつあると思う。

2012/02/16(木)(飯沢耕太郎)