artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
大西みつぐ「近所論 臨に曝す」
会期:2012/05/08~2012/05/20
「近所論」(2009)、「続近所論」(2010)、「臨海 風景の被爆」(2011)など、近作を中心にした展示。ピンホール・タイプのポラロイド・フィルムや青色に発色するブルネオジアゾ感光紙を使用し、セルフポートレートを試みたり、身体の一部を画面の中に取り入れたりするなど、一見すると遊戯的、実験的な作品群に見える。だが、会場に掲げられた大西の次のコメントを読むと、彼の本気度が伝わってくる。
「この地は、すでに次の闘いを強いられている。/あるいはとっくにそれは始まっている。/身体をじっくりここに曝すこと、/生きていく上での覚悟、、、、、/東京湾最深部、臨海。」
この切迫した語調は、明らかに「3・11以後の近隣環境のささいな変貌」に対応しているのだろう。これまでの大西の作品のような、被写体を柔らかに包み込むような余裕はかなぐり捨てられ、生真面目な「生きていく上での覚悟」を問う姿勢が前面に出てきている。ピーカンの強烈な光に照らし出された湾岸の街の光景を、鮮烈なモノクローム・プリントに定着した「臨海 風景の被爆」のシリーズなど、自分が「ここにいる」という存在の痕跡を刻みつけておかなければならないという強い意志と緊張感を感じる。この継ぎはぎだらけの展示から、揺るぎない何かがかたちをとってくるのだろうか。
2012/05/19(土)(飯沢耕太郎)
井上佐由紀「A Living Creature」
会期:2012/05/03~2012/06/03
nap gallery[東京都]
井上佐由紀は1974年、福岡県柳川市の出身。ということはちょうど川内倫子、蜷川実花(1972年生まれ)とHIROMIX(1976年生まれ)の間の世代で、本当なら1990年代の「ガーリー・フォト」の時期に脚光を浴びてもよかったはずだ。だが、九州産業大学の写真学科を卒業後、どちらかといえばコマーシャル・フォトを中心に活動していたこともあって、あまりその存在が目立たなかった。僕が彼女の仕事に注目するようになったのは、2009年刊行の写真集『reflection』(buddhapress)以後のことになる。海辺で踊る少女のイメージを中心にしたこの写真集は、彼女の写真を編集・構成していくセンスのよさをはっきりと示していて、鮮やかな印象を残すものだった。
その彼女の新作「A Living Creature」が、アーツ千代田3331内のnap galleryで展示された。商業ギャラリーでの個展は初めてということだが、作品の内容、インスタレーションとも堂々たるものだった。海の中に防水カメラを手に踏み込み、泡立ち、渦巻く海面の近くでシャッターを切っている。海を「意思の無い生物」として、「恐れ」とともに受け入れようとする姿勢が、みずみずしい画像として定着されていて、爽やかな自己主張を感じた。むろん、まだシリーズとしては未完成だが、今後の展開が期待できそうだ。ただ、やや「遅れてきた」分、作家活動への集中が求められるのではないだろうか。あまり間を置かずに、次の作品を見せてほしいものだ。
2012/05/17(木)(飯沢耕太郎)
川内倫子「照度 あめつち 影を見る」
会期:2012/05/12~2012/07/16
東京都写真美術館 2階展示室[東京都]
明らかに川内倫子の写真の世界が変わった。大きく成長し、力強く翼を広げたその姿は目にまばゆいほどだ。むろん、1997年に第9回写真ひとつぼ展でグランプリを受賞してデビューした頃から、彼女の才能は際立っていたわけだし、その後も第27回木村伊兵衛写真賞受賞(2002)、ICPインフィニティ・アワード受賞(2009)と順調にキャリアを伸ばしてきた。だが、昨年日本とアメリカで同時刊行した写真集『ILLUMINANCE』(FOIL/Aperture)のあたりから、階梯がひとつ上がったように感じる。日本の写真という枠組みを超えて、彼女の仕事は、21世紀前半の世界の写真表現の最尖端の部分を担いつつあるのではないだろうか。
今回の展示は、「Illuminance」「Iridescence」「ある箱のなか」「あめつち」「影を見る」の5部構成。「うたたね」「Cui Cui」「AILA」そして「Illuminance」といった旧作を再構成した展示の前半部分も、見事なインスタレーション、巧みな編集の技を見ることができるのだが、やはり注目すべきなのは新作の「あめつち」と「影を見る」だろう。阿蘇山の野焼きの場面を中心に構成された「あめつち」では、初めて4×5判の大型カメラを使用して撮影している。川内の写真といえば6×6判の真四角な画面というイメージが強かったのだが、そこから大胆に、だがなんの気負いもなく新たなフォーマットに踏み出していった。そのことで、展示されているプリントの大きさはもちろんだが、内容的なスケール感が格段に違ってきている。まさに「あめつち」=天と地の境界にどっしりと大判カメラを据え付け、神話的、始源的な世界のイメージを捕獲しようする気魄が伝わってくるのだ。
もうひとつ注目してよいのは、その「あめつち」のシリーズだけでなく、イギリスの海岸に飛翔してくる渡り鳥の群れを捉えた「影を見る」、また「Illuminance」のパートにおいても、動画による映像作品が積極的に導入されていることだ。特に面白かったのは、2面マルチスクリーンで上映された「Illuminance」の映像である。撮影されている場面は、日常と非日常、生の世界と死の世界とを軽やかに往還する、いつもの川内の写真の被写体そのものだ。だが、時間の経過が映り込み、音(微かなノイズ)がかぶせられることで、彼女の微視的でありながら遥か彼方までも見通すことができる優れた視力と、そのスコープを精妙にコントロールしていく能力の高さが、さらに際立ってきているように感じた。川内は写真=静止画像という固定観念をも突き崩そうとしているのだろうか。
2012/05/17(木)(飯沢耕太郎)
報道写真とデザインの父 名取洋之助 日本工房と名取学校
会期:2012/04/27~2012/06/26
日比谷図書文化館 IF特別展示室[東京都]
名取洋之助は写真家、編集者、プロデューサーと多面的な顔を持つ人物であり、その活動も一筋縄では捉え切れない。たしかに戦前の海外向け日本文化広報誌『NIPPON』や、1950年代に全286冊を刊行した「岩波写真文庫」など、輝かしい業績を残したが、一方では対中戦争における宣伝・謀略活動への関与や、わずか2年あまりしか続かず大失敗に終わった『週刊サンニュース』(1947~49)の刊行など、ネガティブな側面もないわけでもなかった。性格的にも、明るく派手好みでありながら、感情の起伏が激しく、怨みや妬みを買うことも多かったようだ。
今回の「報道写真とデザインの父 名取洋之助 日本工房と名取学校」に展示された作品・資料もなんとも雑駁に広がっていて、名取の仕事のとりとめのなさをよく示している。だが、その1点1点に目を向ければ、細部まで手を抜かずに仕上げられたクオリティの高さは驚くべきもので、まぎれもなく名取の優れた才能と美意識の産物であることがよくわかる。『NIPPON』のデザインやレイアウトなどは、当時の日本の水準をはるかに超えており、ヨーロッパの出版物と肩を並べる(時にはそれすら凌駕する)レベルに達している。
むしろ名取洋之助という希有な存在は、一個人としてよりは、1930~60年代の日本の写真家、デザイナー、編集者たちのネットワークの結節点(ハブ)、として捉えるべきなのではないだろうか。その意味で「日本工房と名取学校」という本展の副題は的を射ている。土門拳、藤本四八、三木淳、長野重一(以上写真家)、亀倉雄策、山名文夫、河野鷹思、熊田五郎(以上デザイナー)──綺羅星のように並ぶ若き俊英が、「名取学校」からその才能を開花させていく。その様はまさに壮観と言うしかない。
2012/05/15(火)(飯沢耕太郎)
土田ヒロミ「BERLIN」
会期:2012/05/09~2012/05/22
銀座ニコンサロン[東京都]
土田ヒロミは昨年11月に写真集『BERLIN』(平凡社)を刊行した。1983年、まだ“壁”の崩壊前に撮影したモノクロームのベルリンの写真に、1999~2000年に撮影し、写真集『THE BERLIN WALL』(メディアファクトリー、2001)にまとめたカラー写真群、さらに2009年にカラーとモノクロームで新たに撮影し直した写真群を加えた、三層構造の写真集だ。「見える壁と見えない壁の間に流れゆく時間」を、定点観測の手法を駆使して捉え切った力作である。その『BERLIN』の写真群が、「ニコンサロン特別展」として展示された(6月28日~7月11日に大阪ニコンサロンに巡回)。あらためてこのシリーズの意味と厚みを問い直すのに、ふさわしい機会になったと思う。
写真集を見たときにも感じたのだが、このシリーズでは、いつもの土田の明快な二分法的なコンセプトが影を潜めている。1983年、1999~2000年、2009年という、ベルリンを撮影した3つの時間、モノクロームとカラー、やや引き気味の建築写真と街頭の人々にカメラを向けたスナップショット──これらの異質な要素を、あえてシャッフルして無秩序に投げ出しているように見えるのだ。そのかなり混乱した印象を与える展示のレイアウトは、土田の現時点での世界観、歴史観をストレートに反映しているのではないだろうか。むろん、このシリーズは完結したわけではなく、これから先も続いていくはずだ。土田の『BERLIN』が、今後どんなふうに生成・変質していくのか、よくわからないだけに逆に楽しみだ。
2012/05/09(水)(飯沢耕太郎)