artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
莫毅「因獣」
会期:2012/09/28~2012/10/28
MEM[東京都]
1958年生まれの莫毅(モイ)は中国現代写真を代現する作家のひとりだが、これまでほとんど日本では紹介されてこなかった。榮榮(ロンロン)や劉錚(リウジョン)が、北京で手づくりのコピー写真誌『NEW PHOTO(新攝影)』を刊行して、先鋭的な写真表現の狼煙を上げるのは1990年代後半だが、莫毅は1980年代から、彼らから距離をとりつつ独自の作風を育て上げていった。チベット出身の彼にとって、北京や天津などの都市の生活は、大きな刺激を与えられるとともに違和感を覚えるものであったはずだ。主に都市の路上で撮影されてきた彼のスナップショットには、彼の心身に刻み込まれたその軋轢や軋みが、色濃く滲み出ているように見える。
今回展示されたのは、毛沢東の銅像とそこに写っている自分の影を撮影した1986年の作品から撮り続けられているセルフポートレート、路上を行き交う人々の脚や自転車のスポークなどを野良犬の目の高さから撮影した「舞踏的街道」、首の後ろに据え付けたカメラで1メートル後ろの人物たち(公安警察官を含む)を撮影した「1米─我身后的風景」、多重露光やピンぼけの画像で揺れ動く都市の光景を捉えた「我虚幻的城市」などのシリーズである。いずれも自分の身体とカメラを都市の路上にさらし、文字通り体を張って撮影を続けつつ、哲学的とも言える深い思考にまで達した写真群と言えるだろう。それらはまた結果的に、1989年の天安門事件を経て、激しく流動してきた中国社会を、あくまでも個人的な視点から読み解いたユニークな報告でもある。今回はまだ「紹介」といった趣の個展だったが、もう一回り大きなスケールの展示をぜひ見てみたいと思う。
2012/03/05(月)(飯沢耕太郎)
フェリーチェ・ベアトの東洋
会期:2012/03/06~2012/05/06
東京都写真美術館 2階展示室[東京都]
イタリアに生まれ、クリミア半島、インド、中国、日本、スーダン、そして最期の活動の地となったビルマ。フェリーチェ・ベアト(1832~1909)のドラマチックな生涯と、彼が足跡を残した場所の広がりは、当時としては驚くべきものだ。それを可能としたのが、これまた驚くべき勢いで表現領域を拡大しようとしていた写真術だった。ポール・ゲティ美術館のコレクションに、東京都写真美術館の所蔵作品も加えた130点を超える展示を見ると、この「19世紀の戦場カメラマン」の仕事の質の高さがまざまざと見えてくる。
ベアトが求めていたのは芸術的な評価などではなく、出来事をその細部まで精確に写しとることができる写真の能力を最大限に発揮して、あわよくば高額の報酬を得ようという野望だったはずだ。時には危険を冒しても、血なまぐさい戦場に足を運んで撮影したのは、その商品的価値がきわめて高かったからだろう。1863年から20年以上も滞在した日本を去るきっかけになったのが、銀相場の投機の失敗だったということをみても、ベアトは相当に山師的な人物だった。また彼が日本の絵師たちとともにつくり上げた「横浜写真」(手彩色の風景・風俗写真)は、写真の事業化の走りだった。ベアトのようなややいかがわしいところのある人物が跳梁していたということも、ある意味で19世紀の写真の面白さだと思う。
それに加えて、これは堀野正雄にも通じることだが、写真家としてのベアトのプロフェッショナリズムは特筆に値する。ガラスネガを使用する湿板写真の精密な描写力、丁寧にプリントされた鶏卵紙印画の美しさ、印画紙を横につなぐパノラマ写真の精度の高さは、ベアトが自らの写真のクオリティを保つことに、職人的な誇りを持ち続けていたことをよく示している。結果的に彼の仕事は、19世紀後半の世界の姿を現在までいきいきと伝える、貴重な視覚的資料となった。
2012/03/05(月)(飯沢耕太郎)
幻のモダニスト──写真家 堀野正雄の世界
会期:2012/03/06~2012/05/06
東京都写真美術館 3階展示室[東京都]
堀野正雄(1907~98)という名前を聞いて、すぐにその仕事を思い浮かべることができる人はそれほど多くないだろう。1930年代の「新興写真」の金字塔というべき写真集『カメラ・眼×鉄・構成』(1932)の作者としては常に取りあげられてきたが、彼の写真家としての全体像は1990年代までおぼろげにしか見えてこなかった。最晩年になって、「おそらく千枚近い数百枚」の写真印画が残っていることが判明し、東京都写真美術館専門調査員の金子隆一を中心として調査・研究が開始された。今回の展覧会は以後10年以上の研究の成果を一堂に会するものであり、日本写真史において画期的な意味を持つものといえる。
堀野はひと言でいえば、日本で最初にプロフェッショナルな「職業写真家」としての意識を持った写真家のひとりといえるだろう。6部構成200点余りの展示を見ていると、被写体を的確に把握し、完璧な技術でプリントし、さらに印刷原稿として仕上げていく能力が抜群に高いことがわかる。初期の前衛舞踊家や築地小劇場の舞台から、街頭スナップ、「機械的建造物」の構造研究、女優のポートレート、戦時中の報道写真まで、読者に最善の形で視覚的な情報を伝えようという意識が明確に貫かれているのだ。堀野はよく自分のことを「技術家」と書いているが、これは決して卑下しているのではなく、むしろ誇りを持ってそう位置づけていたのではないだろうか。
今回の展示で最も興味深かったのは、1931~32年にかけて『中央公論』や『犯罪科学』といった雑誌に掲載された「グラフ・モンタージュ」作品の実物展示のパートだった。堀野はこの頃、板垣鷹穂、村山知義、大宅壮一、北川冬彦、武田麟太郎といった書き手と組んで、言葉と写真とでまとまったメッセージを伝えようとするグラフ・ページをさかんに発表していた。《大東京の性格》《首都貫流──隅田川アルバム》《終点》《玉川ベリ》といった作品をあらためて見直すと、コラージュ的な写真構成と短いキャプションとの組み合わせによって、視覚伝達の枠組みを解体/構築していく意欲的な実験が試みられていたことがわかる。その試みは、残念なことに短い期間で終わってしまうのだが、それは1960年代以降のヴィジュアル誌で展開される編集・レイアウトの先取りだったともいえるだろう。
「グラフ・モンタージュ」に限らず、堀野の写真家としての位置づけは、この展覧会によって大きく変わっていくのではないだろうか。あれほど情熱を傾けていた写真の仕事を、なぜ戦後すぐに断念してしまったのか。この最大の謎を含めて、まだ考えなければならないことが多く出てきそうだ。
2012/03/05(月)(飯沢耕太郎)
森まき「IN MY NATURE」
会期:2012/02/27~2012/03/03
森岡書店[東京都]
森まきは、昨年横浜のBankARTで開催した「ポートフォリオを作る」というワークショップの受講生のひとり。その頃から写真の撮影、プリントのセンスのよさと、手づくりの写真集にまとめていくグラフィック的な処理の能力は際立っていた。彼女のように、意欲的に個展を開催していく受講生が出てくるのはとても嬉しい(3月30日~4月16日にはUPフィールドギャラリーで個展「凛として迷子」を開催)。
森岡書店での個展に出品された作品は、街で折りに触れて目についた光景を切りとったものだが、そこには「これを撮りたい」「これをプリントして残すべきだ」という意志がきちんと表われていて、一枚一枚の写真が気持ちよく目に飛び込んでくる。会期の最終日に森とギャラリー・トークをすることになって、そのために送られてきた自伝的な文章を読み、彼女の生い立ちが写真を撮ったり発表したりするときの「確信」につながっているのではないかと思った。森は幼少期に両親と離れて広島の祖父母と一緒に暮らしていた。祖父は画家であり、その制作過程を目にしているうちに「何も無いところに形ある世界を創れることを知った」のだという。6歳で広島を出て両親の元に戻ると、今度はピアノを習い始める。ピアノの腕前は相当のもので、周囲は誰もが音大に進むと思っていたのだという。
こういう幼少期の原体験は、写真に限らず制作行為を続けるにあたってとても大事になる。ものをどんなふうにつくり上げていくのかという基本的なプロセスを、身体的に理解しているということだからだ。それほどキャリアを積んでいないにもかかわらず、森の写真が「MY NATURE」の表現としてきちんと成立しているのはそのためだろう。ただ、これから先が難しい。センスのよさだけではすぐに壁にぶつかってしまう。次はより深い覚悟と思考力(哲学)が問われてくるはずだ。
2012/03/03(土)(飯沢耕太郎)
石川直樹「やがてわたしがいる場所にも草が生い茂る」
会期:2012/02/29~2012/03/06
銀座ニコンサロン[東京都]
銀座ニコンサロン、新宿ニコンサロン、大阪ニコンサロンを会場に連続企画展「Remembrance3.11」が開催された。8つの写真展と5つのシンポジウムで「カタストロフィの意味を多面的な角度から省察」しようとする意欲的な企画だ。震災後1年ということで、さまざまなイベントが開催されているが、人が集まりやすいニコンサロンという会場の利点を活かした、とてもいいプロジェクトだと思う。
その第一弾として開催されたのが、この石川直樹展(大阪ニコンサロンに巡回、3月22日~28日)。石川は震災後2日目に青森県八戸から被災地に入り、岩手県沿岸部を南下して生々しい状況を撮影した。その後6月、9月、今年の1月と都合4回現地に入り、定点観測的に撮影を続けている。いつものように撮影、プリントの技術的な処理の甘さが目につくが、とにかく思考より先に体が動くという行動力を発揮しているのがいかにも石川らしい。展示の最後に、岩手県大船渡市三陸町で毎年1月15日に行なわれる「スネカ」という行事の写真が並んでいた。秋田の「ナマハゲ」のような異界の神が人里に降りてくる行事だが、このような民間儀礼への着目も、東北のルーツを掘り起こす試みとして、彼の勘所のよさを示している。
石川の展示を皮切りに笹岡啓子、新井卓、吉野正起(以上、銀座ニコンサロンと大阪ニコンサロン)、和田直樹、田代一倫、鷲尾和彦、宍戸清孝(以上、新宿ニコンサロンと大阪ニコンサロン)の個展が開催される。宮城県仙台市在住の宍戸を除き、地元の写真家がいないのが少し気になるが、その成果が期待できそうだ。
2012/03/01(木)(飯沢耕太郎)