artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

鈴木諒一「郵便機」

会期:2012/04/12~2012/04/25

エモン・フォトギャラリー[東京都]

鈴木諒一は2011年度のエモン・ポートフォリオ・レビューのグランプリ受賞者。筆者を含む審査員(飯沢耕太郎、小松整司、大和田良、河内タカほか)が、最終審査に残った10名から、彼の「郵便機」のシリーズをグランプリに選んだ。東京藝術大学先端芸術科在学中という毛並みのよさ、抜群の映像センスとたしかな技術力、思考と言語化の能力の高さ──誰が見ても文句のつけようのない受賞だったと思う。
だが、今回の展示を見て、やや肩すかしを食ったような気分になった。作家であり郵便飛行機のパイロットでもあったサン・テグジュペリの軌跡を、映像によって辿り直すというコンセプトは鮮やかに決まっている。印刷物を、デストーションをかけて複写して、完璧な技術でイリュージョナルな旅を再構築してみせた。ところが、そこから浮かび上がってくる世界が、審査のときに見たポートフォリオ以上にはふくらまず、なんとなく小さくまとまっているように見えてしまうのだ。アクリルでプリントをサンドイッチするという展示の手法も、どことなくありきたりなものに見えてしまう。
往々にして、彼のように才能に恵まれた作家は、最初からあまり冒険をせず、まとまりやおさまりを最優先しがちだ。だが、それは諸刃の剣で、知らず知らずのうちに自らの潜在的な可能性を狭めてしまう。むしろ鈴木にとっては、次回の展示が正念場だろう。そこでは、自分でもコントロールがきかないような未知の領域にチャレンジしていってほしい。

2012/04/12(木)(飯沢耕太郎)

伊藤時男「断章」

会期:2012/04/03~2012/04/13

コニカミノルタプラザ ギャラリーB[東京都]

伊藤時男は1980年代から「断章 Fragment」と題するシリーズを発表し続けている。これまで個展を6回ほど開催しているが、基本的なスタンスはまったく変わっていない。道を歩きながら目についた風景を、画面全体にピントが合ったパンフォーカスで切り取っていく。とりたてて変わったものが写り込むわけではなく、道端の植え込み、道路標識、舗道の白線、工事現場のフェンスなどが、雑然と画面のなかにひしめき合っている。唯一目を引くのは、時折写り込んでいる自分自身の影くらいだろう。だが、その切り取り方には細やかな神経と独特の美意識が働いており、この眺めをこの角度で見たかったという彼の意図が明確に伝わってくる。一見同じような場面に見えるのだが、それぞれに微妙な違いがあって、これはこれで現実世界の厚みと豊かさをきちんとさし示すシリーズとして定着しているのではないだろうか。
伊藤は1985~96年にかけて、ニューヨークを何度も訪れて、この「断章 Fragment」のシリーズを制作してきた。そのときは縦位置の写真が多かったのだが、最近は東京を中心とした撮影に移行し、横位置が多くなってきた。また今回、ずっと固執し続けてきた28ミリの広角レンズのほかに、50ミリの標準レンズにもトライしてみたのだという。
伊藤のこのシリーズが、まったく変わっていないようで、微妙に形を変えつつあることがわかる。コンセプトをきっちりと定めたライフワークであることに変わりはないが、緩やかに、彼の人生の軌跡と呼応するように、このシリーズもシフトしていくのだろう。逆に、これまでの作品を集大成した展示も見てみたいと思えてきた。

2012/04/12(木)(飯沢耕太郎)

佐内正史「ラレー展」

会期:2012/04/06~2012/05/06

NADiff Gallery[東京都]

佐内正史の本領発揮というべき写真展だ。「ラレー」というのは佐内の造語で、「ラーメン+カレー」のこと。いうまでもなく、展示されている作品にはすべてラーメンとカレーが写っている。それも衒いなく、まっすぐに、ラーメンの丼とカレーの皿を画面の真ん中に置いて、射抜くように撮影した写真ばかりだ。ここ2年ほど、都内を中心にラーメン屋やカレー屋に通い詰めて撮影したようだが、店内が少し暗いので、「ピントが一点にしか合っていない」ものが多い。だが、そのことが逆にラーメンとカレーそのものの存在感を強め、見る者を引きつける不思議な魅力を発しているように感じる。
佐内には『俺の車』(メタローグ、2001)という写真集がある。買ったばかりの愛車、黄色いスカイラインを、さまざまな場所で前後、左右、上下から撮影した写真をまとめたものだ。「これが好きだ」「これが撮りたい」という彼の思いがストレートに伝わってくる。子どもっぽいといえばそれまでだが、佐内が手放しで被写体に向かうときの純真無垢な衝動が、『俺の車』にも今回の「ラレー」シリーズにもあふれ出している。そんなときの彼は無敵だ。しばらくこういう一点突破の写真を見ていなかったので、とても新鮮だった。佐内にとっての「原点回帰」といえるのではないだろうか。
なお、佐内自身が主宰する「対照」レーベルとMatch and Companyの共同出版で写真集『ラレー』も刊行された。前作『パイロン』の続編にあたる写真集だが、すっきりした造本で気持ちよく仕上がっている。

2012/04/06(金)(飯沢耕太郎)

藤原更「Neuma」

会期:2012/03/10~2012/04/09

エモン・フォトギャラリー[東京都]

藤原更は愛知県出身で、現在パリを拠点として写真作品を発表しているアーティストだ。今回の東京での初個展で、初めて彼女の作品を見たのだが、なかなか不思議な味わいのものだった。
大判のインスタントカメラのフィルムで、蓮の茎や葉、水面などを撮影した画像をスキャンして大きく引き伸ばしている。あえて、期限切れのフィルムを使っているので、画像は漂白されたようなあえかな色味になり、画面の周囲にはインスタント写真特有の滲みや掠れができている。その手触り感のある画面は、一見、パソコンで加工したように見えるのだが、実際にはまったく操作していないのだそうだ。被写体が二重三重に重なり合っているので、あたかも薄膜をそっと積み重ねたような微かなブレが生じ、その微妙なたたずまいの画像が眼に快く浸透してくる。のびやかで芳醇な表現意欲を感じさせるいい作品だ。
タイトルの「Neuma」というのは、中世のグレゴリオ聖歌などで使用された、波のうねりのように上下する記譜記号だという。たしかに、藤原の作品を見ていると、音楽が発想の基本になっているのではないかと思う。それも気持ちが浮き立つような、華麗に弾ける音の連なりではなく、どちらかといえば沈鬱でメランコリックな響きの「Neuma」ただ、もしかすると彼女のなかにはもっと別の音楽も流れているのではないかという気もしないでもない。機会があれば、別のシリーズも見てみたいと思う。

《Neuma》2010, Lambda Print

2012/04/04(水)(飯沢耕太郎)

小原一真『RESET - BEYOND FUKUSHIMA(福島の彼方に)』

発行所:Lars Müller Publishers

発行日:2012年3月10日

1985年、岩手県生まれの小原一真は、東日本大震災の3日後に勤めていた会社を辞め、被災地に入ることを決意した。それから1年以上、大津波の現場だけではなく、復興へ向かって立ち上がる人々、新たに誕生した生命、元気に校庭を走り回る子どもたちなどを、粘り強く、つぶさに撮影し続けてきた。圧巻は自ら2011年8月に作業員と一緒に送迎バスで福島第一原子力発電所の免震重要棟に入り込み、隠し撮りで撮影した一連の写真だろう。報道関係者の立ち入りが厳しく規制されているなかでの彼の行為に対しては、問題視されても仕方がないところがある。だが、いつの時代でも「これを撮らなければならない」という写真家の強い思いは最大限に尊重されるべきではないだろうか。原発の作業員たちの気魄のこもったポートレートとインタビューも含めて、震災後、ここまで被写体に肉迫した写真とテキストはほかにはなかったと思う。
その小原の写真集『RESET BEYOND FUKUSHIMA 福島の彼方に』は、スイスのLars Müller Publishersから刊行された。このことについては、やや忸怩たる思いがある。おそらく小原は日本の出版社から写真集を出す可能性も模索したはずだ。だが、結果的にそれは実現できなかった。逆に国際的な評価の広がりという点においては、これでよかったともいえる。それでも、日本の写真界がこのような仕事をきちんと引き受けることができなかったというのはやはり残念だ。写真集は英語と日本語のバイリンガルで丁寧につくられているので、日本の多くの読者にもうまく届くことを望みたいものだ。

URL=http://resetbeyondfukushima.com/

2012/04/01(日)(飯沢耕太郎)