artscapeレビュー
幻のモダニスト──写真家 堀野正雄の世界
2012年04月15日号
会期:2012/03/06~2012/05/06
東京都写真美術館 3階展示室[東京都]
堀野正雄(1907~98)という名前を聞いて、すぐにその仕事を思い浮かべることができる人はそれほど多くないだろう。1930年代の「新興写真」の金字塔というべき写真集『カメラ・眼×鉄・構成』(1932)の作者としては常に取りあげられてきたが、彼の写真家としての全体像は1990年代までおぼろげにしか見えてこなかった。最晩年になって、「おそらく千枚近い数百枚」の写真印画が残っていることが判明し、東京都写真美術館専門調査員の金子隆一を中心として調査・研究が開始された。今回の展覧会は以後10年以上の研究の成果を一堂に会するものであり、日本写真史において画期的な意味を持つものといえる。
堀野はひと言でいえば、日本で最初にプロフェッショナルな「職業写真家」としての意識を持った写真家のひとりといえるだろう。6部構成200点余りの展示を見ていると、被写体を的確に把握し、完璧な技術でプリントし、さらに印刷原稿として仕上げていく能力が抜群に高いことがわかる。初期の前衛舞踊家や築地小劇場の舞台から、街頭スナップ、「機械的建造物」の構造研究、女優のポートレート、戦時中の報道写真まで、読者に最善の形で視覚的な情報を伝えようという意識が明確に貫かれているのだ。堀野はよく自分のことを「技術家」と書いているが、これは決して卑下しているのではなく、むしろ誇りを持ってそう位置づけていたのではないだろうか。
今回の展示で最も興味深かったのは、1931~32年にかけて『中央公論』や『犯罪科学』といった雑誌に掲載された「グラフ・モンタージュ」作品の実物展示のパートだった。堀野はこの頃、板垣鷹穂、村山知義、大宅壮一、北川冬彦、武田麟太郎といった書き手と組んで、言葉と写真とでまとまったメッセージを伝えようとするグラフ・ページをさかんに発表していた。《大東京の性格》《首都貫流──隅田川アルバム》《終点》《玉川ベリ》といった作品をあらためて見直すと、コラージュ的な写真構成と短いキャプションとの組み合わせによって、視覚伝達の枠組みを解体/構築していく意欲的な実験が試みられていたことがわかる。その試みは、残念なことに短い期間で終わってしまうのだが、それは1960年代以降のヴィジュアル誌で展開される編集・レイアウトの先取りだったともいえるだろう。
「グラフ・モンタージュ」に限らず、堀野の写真家としての位置づけは、この展覧会によって大きく変わっていくのではないだろうか。あれほど情熱を傾けていた写真の仕事を、なぜ戦後すぐに断念してしまったのか。この最大の謎を含めて、まだ考えなければならないことが多く出てきそうだ。
2012/03/05(月)(飯沢耕太郎)