artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

高梨豊 展「LAST SEEIN’」へ

会期:2011/11/23~2011/12/11

photographers’ gallery[東京都]

高梨豊がphotographers’ galleryのホームページに載せたコメントで、ノーベル文学賞を受賞した詩人のヨシフ・ブロツキ─の言葉を引用している。「体は目を運搬するだけに存在する」。これはまさに彼にふさわしい言葉だ。かつてどこかで「目の歩行」という言葉を使っていたようにも記憶しているが、高梨の写真を見ていると、彼の体とともに移動する目が、その周囲の景観をキャッチしていく様が、ありありと浮かび上がってくるように感じるのだ。「歩行」のスピードには緩急があり、ときにはバスや列車が移動手段として使われることがある。それでも、柔軟でありながら精確な目が、イメージを的確に捕獲していく心地よさを、いつでも彼の写真から感じることができる。その「目の歩行」の精度は、2010年以降に撮影した東京のスナップショットを集成した新作「LAST SEEIN’」でもまったく変わっていない。実は少し前に白内障を患うという、写真家にとっては大きな出来事があり、その危機感がやや切迫した響きを持つタイトルに投影されているようだ。幸い治療がうまくいって、ふたたび街歩きとスナップ撮影が可能になった。肩の力を抜いているようで、押さえるべきものをきちんと押さえているカメラワークは健在であり、霧に霞む工事中の東京スカイツリーを撮影した一枚などには、「東京人」(1965)以来の写真を通じた都市観察の蓄積が見事に表われている。なお、同じフロアのKULA PHOTO GALLERYでは、2008年から開始された都バスの窓越しに見た景観の集積「SILVER PASSIN’」のシリーズが展示されていた。また、両シリーズに列車の車窓の光景を撮り続けた「WIND SCAPE」シリーズを合わせた写真集『IN’』(新宿書房)も同時期に刊行されている。

写真=「LAST SEEN'」© TAKANASHI Yutaka 2010

2011/12/04(日)(飯沢耕太郎)

山本顕史「ユ キ オ ト」

会期:2011/11/30~2011/12/11

リコーフォトギャラリー RING CUBE[東京都]

2011年7月に、北海道東川町の東川町国際写真フェスティバルの行事の一環として開催された第1回リコーポートフォリオオーディション(審査/飯沢耕太郎、鷹野隆大)で、グランプリに選出された山本顕史の個展である。最近ポートフォリオレビューにレビュアーとして参加する機会が多いが、このオーディションはそのなかでもかなりレベルが高いものだった。59名という応募者数はとりたてて多くないのだが、力作が多く、第一次審査の段階から絞り込むのに苦労した。そのなかでグランプリに選ばれた作品なので、それだけ期待も大きかったのだ。
山本は札幌在住の写真家だが、ロンドンの写真学校で学んだという経歴もあり、シリーズとしてのまとめ方がとてもうまい。「都市と雪」をテーマにしたこの「ユキオト」のシリーズでも、写真を選択し、組み合わせていくセンスが抜群で、ポートフォリオとしての完成度も高かった。それをRING CUBEの丸い回廊上の会場にどのように落とし込むのかと思っていたのだが、写真の数を少し増やし、天井から布プリントを吊るし、本物と見紛うような樹脂製の雪とスコップをインスタレーションするなど、巧みな会場構成だった。写真家としての潜在能力の高さを充分に感じとることができた展示だったと思う。
次は「雪の断面図」のような新鮮なアイディアをさらに発展させていくとともに、冬の北海道以外の新たなテーマも探していかなければならないだろう。上々の滑り出しを見せた新人写真家の正念場は、むしろ2回目の作品発表になることが多い。山本にもそこをなんとかクリアーしていってほしいものだ。

2011/11/30(水)(飯沢耕太郎)

清川あさみ「美/女/採/集」

会期:2011/11/03~2012/01/22

水戸芸術館現代美術ギャラリー[茨城県]

文化服装学院在学中からモデルとして活動しながら、現代美術、絵本、広告、衣裳などさまざまな分野の作品を発表して注目された清川あさみの、はじめての大型個展。水戸芸術館の会場をいっぱいに使って、有名女優、歌手、宝塚歌劇団の男役スターまでを「採集」して動物に見立てた「美女採集」のシリーズをはじめとして、華麗で派手な作品が並んでいた。写真に刺繍やスパンコールで装飾を施していくという手法は目新しいものではないが、細やかな手技と携帯電話やペデキュアの模様を思わせるちょっとキッチュで可愛い感覚がうまくマッチしている。今をときめく「AKB48」をはじめ、これだけのモデルたちをコントロールしていくアイディアの豊富さと企画力も、なかなかのものといえるだろう。
ただ、どうも気になるのは、装飾を施していくベースになる「写真」が、古くさくセンスが悪いものに見えてしまうことだ。清川自身が撮影しているのか、誰かがアシスタントとしてサポートしているのかはわからないが、スタジオ撮りされた写真のテイストが、1970~80年代くらいで止まっている。かといって中国や韓国のウェディング・フォトのような、過剰なエネルギーを感じさせる俗悪なイメージにも成りきれていない。これはもったいないと思う。アーヴィング・ペンと三宅一生とまではいかないにしても、むしろ力のある写真家とコラボレーションして、持ち前の創造性をもっとのびのびと発揮すればいいのではないだろうか。

2011/11/29(火)(飯沢耕太郎)

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石川真生『日の丸を視る目』

発行所:未來社

発行日:2011年9月30日

2011年の写真集の大きな収穫のひとつといえる。今年のさがみはら写真賞をプロの部で受賞するなど、石川真生のドキュメンタリーの評価が高まってきている。この新作写真集も渾身の力作シリーズである。
1993年に、87年の沖縄海邦国体会場の日の丸を引きずりおろして焼いたことで逮捕された知花昌一が、家にあった日の丸の旗を持っている写真を撮影したのをきっかけに、この「日の丸を視る目」のシリーズが構想された。「日の丸の旗を持たせて、その人自身を、日本人を、日本の国を表現させる」というコンセプトで99年までに100組を撮影して『週刊現代』に発表、その後も撮り続けて2011年までに184組に達した。本書にはそのうち100組のパフォーマンスがおさめられている。
その間に撮影地は日本だけでなく、韓国、台湾、ロンドン、パリまで広がる。左翼からごりごりの右翼まで、部落解放同盟の運動家からアイヌ人まで、主婦もいれば高校生も性同一性障害者もいる。その被写体の広がり具合に、石川の意図がはっきりと表われている。あくまでも公平に、だがどんな過激な行為でも許容していくことで、これまた驚くべき広がりを持つパフォーマンスが記録されていった。韓国人や台湾人の反応にしても、予想されるような憎悪や反撥だけではない。なかには日本への親近感を語り、「がんばれ日本」と記す者もいる。「やってみなければわからない」パフォーマンス・フォトの面白さが、とてもよく発揮されたシリーズではないかと思う。
ラストは写真家本人のセルフポートレート。直腸癌の手術後に体に付けられた真っ赤な人工肛門を日の丸の中央から覗かせて、こちらをぐっと見据えている。気迫あふれるメッセージが伝わってくるいい写真だ。

2011/11/28(月)(飯沢耕太郎)

稲田智代「パレード」

会期:2011/11/23~2011/12/06

銀座ニコンサロン[東京都]

稲田智代には詩人の才能もあるようだ。会場に掲げられていた「詩」がなかなかよかった。
「パレードがいく/パレードがいく ふたつのあいだを/パレードがいく なにもかもが/ひかってゆれている/はじまりもおわりも/すべてがひとしく/ここに」
どこか大正から昭和初期にかけて書かれた、八木重吉とか大手拓次の詩の趣があるのではないだろうか。そのちょっとノスタルジックな雰囲気は写真にも表われていて、これまた昭和の匂いがするプリントが並んでいた。本人はまったく意識していなかったようだが、1960年代末の田村彰英の初期作品に、こんなふっと消えてしまうような気配を捉えたものがあったような気がする。
会場構成もとてもうまくいっていた。横位置の、水平線が強調された写真(人が本当にパレードのように列を作っている写真もある)が並んでいる間に、プリントをゼムクリップで洗濯物のように吊るしたパートがはさまっている。写真がくるんと丸まっている感じが、風にひるがえっているようでもあり、軽やかな気分を強調している。とはいえ、写真の内容が手放しに明るいものかというと、そうでもない気がする。稲田は建築やインテリア関係の仕事をしていたが、ここ5年ほどは病院で働いている。そのなかで「いくつかの近しいいのちを見送って」きたという。出会いも別れも、生も死も「すべてがひとしく」光に包み込まれてパレードのように続いていく──そんな思いが一枚一枚の写真に投影されているように感じた。写真の紡ぎ手として、ひとつの壁を乗りこえたのではないだろうか。

2011/11/26(土)(飯沢耕太郎)