artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

細江英公 写真展 第一期 鎌鼬

会期:2012/01/06~2012/01/29

BLD GALLERY[東京都]

これから5月にかけて開催される、BLD GALLERYでの細江英公の連続写真展の第一弾である。以後、「シモン 私風景」「おとこと女+抱擁+ルナ・ロッサ」「大野一雄+ロダン」「知人たちの肖像」「薔薇刑」と続く。
あらためて見ると、暗黒舞踏の創始者土方巽をモデルとするこの「鎌鼬」のシリーズが、細江にとって特別な作品であったことがわかる。細江自身が30歳代半ばで、肉体的にも精神的にも最もエスカレートしていた時期であり、1960年代の疾風怒濤的な文化状況がその高揚感に拍車をかけていた。1968年3月に、このシリーズが「とてつもなく悲劇的な喜劇」というタイトルで初めてニコンサロンで展示されたとき、細江はその挨拶文に「絶対演出による日本の舞踏家・天才〈土方巽〉出演の、もっとも充血したドキュメンタリー」と書き記している。「絶対演出による」というのは、言うまでもなく土門拳が「リアリズム写真」を定義した「絶対非演出の絶対スナップ」という言葉を踏まえたものだ。つまり、一世代上の土門拳の方法論を、演劇的な手法によって解体・顛倒してしまうことがもくろまれているわけだ。それは、土方のたぐいまれな肉体とパフォーマンスの助けを借りて見事に成就している。
今回の展示には、そのニコンサロンの写真展のときの作品パネルがそのまま飾られていた。2000年に松濤美術館で開催された「細江英公の写真 1950-2000」にも同じパネルが出品されていたのだが、そのときに比べると画面の端の部分に印画紙の銀が浮き出して、染みのように広がっている面積がより大きくなっている。つまり写真自体が生成変化しているわけで、むしろそのことによって、土方の故郷でもある秋田県雄勝郡羽後町で繰り広げられるパフォーマンスが、凄みと生々しさを増しているように感じられた。

2012/01/09(月)(飯沢耕太郎)

ホンマタカシ「その森の子供 mushrooms from the forest 2011」

会期:2011/12/17~2012/02/19

blind gallery[東京都]

ホンマタカシは大森克己と日本大学芸術学部写真学科の同級生だったはずだが、その写真家としての方向性はかなり違っていた。だが、「3・11」後の行動パターンがどこか重なり合ってきているのが興味深い。大森が福島県に桜を撮りに行ったのに対して、ホンマはきのこに目を向けた。実は福島第一原子力発電所の事故後に飛散した放射能の影響を最も大きく被った生きもののひとつは、きのこなのだ。政府は2011年9月15日に、福島県内で採集したきのこを出荷するのを禁じる通達を出す。森の隅々に菌糸を伸ばしているきのこは、その細胞組織に放射能を蓄積しやすいのだ。
ホンマはその後、福島の森に入り、きのこたちと彼らを取り巻く森の環境を撮影し続けた。本展にはそのうち22作品(隣接するブックショップPOSTにも2作品)が展示されていた。もっとも、ホンマはすでに震災前からきのこを撮影し始めており、その一部は昨年5月のLim Artでの個展「between the books[Mushroom…]」でも展示されている。今回の個展は手法的にも内容においてもその延長線上にあるものだが、たしかに震災によって写真の見え方が大きく変わってしまったことは間違いないだろう。
とはいえ、ホンマのきのこ写真を震災と関連づけて見るだけでは、その面白さを取り落としてしまうことになる。きのこはその形や色の多種多様さだけでなく、脆さ、儚さ、変幻自在さを含めて、いかにもホンマ好みの被写体なのではないだろうか。本展が「その森の子供」と名づけられていることに注目すべきだろう。彼には『東京の子供』(リトルモア、2001年)という写真集がある。バブル崩壊以後の都市の日常を生きる子供たちの、壊れやすい存在の形を繊細な手つきで写しとった写真集だが、これらのきのこ写真にも、どこか共通したたたずまいを感じるのだ。きのこについた土や落葉、ナメクジなどを含めて、白バックで、さりげなく、だが注意深く撮影することで、彼らの「森の子供」としての魅力がいきいきと伝わってくる。少なくとも僕の知る限り、きのこをこのように捉えた写真のシリーズはこれまでなかった。
なお、本展に合わせて同名の写真集(発行=blind gallery、発売=Lim Art)も刊行されている。田中義久のデザインによる、すっきりとした、端正な造本がなかなかいい。

写真=ホンマタカシ《その森の子供 #8》(2011)
タイプCプリント、267mm×337mm

2012/01/05(木)(飯沢耕太郎)

伊藤之一「隠れ里へ」

会期:2012/01/04~2012/01/15

RING CUBE[東京都]

伊藤之一は2000年に博報堂から独立して事務所を構えて以来、広告関係の仕事をするとともに独自の作家活動を展開してきた。その成果は2003年以来『入り口』『ヘソ』『テツオ』『電車カメラ』『雨が、アスファルト』といった写真集にまとめられている。写真集が送られてくるたびに、その明快なコンセプトと画像のセンスのよさに注目していたのだが、どうも写真家としての“芯”の部分がうまくつかめないもどかしさがあった。それが今回の個展を見て、さらにそこに掲げられていた『日本カメラ』編集長、前田利昭の「なにかを準備する写真家」という素晴らしい文章を読んで、少しずつ見えてきたように思う。
「隠れ里へ」というタイトルは、白洲正子のエッセイ「かくれ里」(1971年)を踏まえたものだという。白洲がそこで取りあげている琵琶湖沿岸の東近江地方を、伊藤も撮影している。だが、特に説明的な撮り方ではなく、水、雪、樹木、花々光などをスクエアな画面に断片的に切り取っていくやり方をとる。そのことによって、湖北・東近江という特定の地域に限定されることがない、人里の近くにひっそりと息づいている「隠れ里」の手触りや空気感がしっかりと写り込んでくる。前田が書いているのは,今回の写真群がこれまでの伊藤の作品の軽やかな試行とは違って、「なにか“屈託”のようなもの」を浮かび上がらせ、「“写真の不自由さ”と対峙している感じ」を与えるということだ。これは重要な指摘だと思う。「“写真の不自由さ”」に身を震わせ、もがくことで、写真家としての壁を乗り超えることができるのではないだろうか。少なくとも、ここにはコンセプトを自分の手で無化して(無視ではなく)いこうとする強い意志を感じることができる。

2012/01/04(水)(飯沢耕太郎)

大森克己「すべては初めて起こる」

会期:2011/12/15~2012/01/29

ポーラミュージアム アネックス[東京都]

大森克己の「すべては初めて起こる」は注目すべき写真シリーズだ。「3・11」以後、さまざまな写真家たちの仕事が発表されてきたのだが、そのほとんどはドキュメンタリーの範疇に入る仕事だった。本作品も広義のドキュメンタリーと言えなくはないが、そこには大森の写真家としての表現の意志がかなり強くあらわれてきている。震災という大きな出来事をどう受けとめ、投げ返していくのか。写真に限らずすべての表現ジャンルで問われるべきことだが、その優れた解答のひとつと言えるだろう。
大森は震災直後から自宅の周辺の桜を撮り始める。彼にはすでに桜をテーマにした『Cherry Blossoms』(リトルモア、2007)という写真集があり、ごく自然な身体的反応だったのではないかと思う。次に彼は福島県に向かうことにする。これまた直感的な反応であり「放射能、撮らなきゃって」思ったのだという。ところが、その時点で思いがけない要素が付け加えられた。「East LAのメキシカン・マーケット」で購入したのだという2個の「ピンクの半透明の球体」が、カメラのレンズの前にぶら下げられたのだ。
彼がなぜそんなトリッキーな仕掛けを凝らしたのか、普段の大森の仕事を知っているわれわれにとっては意外としか言いようがない。おそらく、彼自身にもよくわからないのではないかと思う。とにかく大森は「そうしたい」、「そうせざるを得ない」と心に決め、福島の地で桜や津波の跡の光景に向けてシャッターを切った。結果として、写真の画面(すべて縦位置)には奇妙なピンク色の光のフレアーが写り込むことになった。どこに出現するのか予測がつかない、その薄く丸いフレアーを透かして、向うの景色がぼんやりと見えている。
「震災後の桜」という主題は決して珍しいものではない。むしろステロタイプな被写体と言えなくもない。実際、「3・11」以後に撮影された多くの写真に、桜が写っているのを目にしてきた。だが、「ピンクの半透明の球体」のフレアー効果がそこに加わることで、風景が多層化し、「震災後の桜」という意味づけに単純に回収されることのない奥行きが生じてきている。そのことで、このシリーズは大森克己が見た「震災後の桜」としての固有性を獲得していると思う。なお、会場限定で同名の大判写真集(MATCH & Company)も発売された。1万5,000円という値段に見合った堅牢な造本の(でも、重くてとても扱いづらい)ポートフォリオ型の写真集だ。

2012/01/04(水)(飯沢耕太郎)

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篠山紀信『ATOKATA』

発行所:日経BP社

発行日:2011年11月21日

篠山紀信が東日本大震災の被災地を撮っていることは知っていたし、作品の一部も『アサヒカメラ』(2011年9月号)の「写真家と震災」特集などで目にしていた。その時点では、どちらかといえば否定的な見方だった。これまで途方もないキャリアを積み重ね、現在もAKB48のような芸能界の最前線を撮ることができる写真家が、なぜわざわざ震災を撮らなければならないのか、まったく理解できなかったからだ。ところが、実際に書店に並び始めた大きく分厚い写真集『ATOKATA』のページをパラパラめくっていくうちに、自分でも意外な思いが湧いてくるのを感じた。むろん、釈然としない気分が完全に消えてしまったわけではない。だが、そこに並んでいる津波に根こそぎにされた松林や、散乱する瓦礫、破壊された家々の写真は、たしかに「写真家」の仕事としてのクオリティと強靭さを備えていた。こういう言い方は誤解を産むかもしれないが、そこには「見る」ことの健康な歓びがあふれ出ているようにも感じた。死の影に覆われた被災地の写真にもかかわらず、あらゆる場面に圧倒的な生命力が横溢しているのだ。どうしても認めざるをえないのは、これは篠山紀信以外にはまず撮れない「震災後の写真」であるということだ。ほかにもさまざまな理由があるだろうが。最初に彼を捉えたのは「見たい」という強烈な欲望なのではないだろうか。篠山の意志というよりは、彼の巨大で貪欲な「目ん玉」が、彼を現場まで引きずっていったという方が正しいかもしれない。結果としてその欲望のおもむくままに、見るべきものを見尽くすまで「全身全霊で向き合った」写真群が残された。この写真集を、売れっ子写真家の売名行為だとか、被災者を食い物にしているとか批判するのは簡単だ。だが、篠山自身は、そんな批判が出てくることなど百も承知だろう。自分の「目ん玉」の要求にとことん応えていくことが、この写真家の職業倫理であり、今回もそれを貫いているだけだと思う。ただ、5,800円+税という値段の写真集を、いったい誰が買うのだろうかという疑問は残る。巻末の「被災された人々」のポートレートも、いい写真だが、このままだとアリバイづくりに見えかねない。こちらを中心にした廉価版の写真集も考えられるのではないだろうか。それと、篠山にはぜひこの後も東北を撮り続けてもらいたい。彼の写真のポジティブな力が必要になるのは、むしろこれからだからだ。

2011/12/23(金)(飯沢耕太郎)