artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

廣見恵子「Drag Queen 2011」

会期:2011/11/02~2011/12/24

gallery bauhaus[東京都]

廣見恵子は2009年7月にgallery bauhausで個展「DRAG QUEEN ジャックス・キャバレーの夜」を開催している。ボストンで写真を学び、当地のドラッグ・クイーン(女装のゲイ)たちが夜ごと派手な衣裳とメーキャップでショーを繰り広げるクラブを長期取材した力作だった。だが、その細部まできちんと捉えられたスナップショットには、あまり破綻がなく、やや優等生的な作品にも思えた。ところが、今回のgallery bauhausの2度目の個展では、彼女の写真家としての姿勢が大きく変わってきているように感じた。廣見は以前ドラッグ・クイーンたちを楽屋などで撮影するときには、「壁のハエ」(Fly on the Wall)のようになるべく自分の気配を殺すようにしていた。彼女たちの邪魔にならないように、息を殺し、緊張しながらシャッターを切っていたのだ。だが、今回の展示のための撮影では「クイーン達との関係を楽しみつつ、自分自身が現場に『存在』することを否定せずに共有する」ように心がけたのだという。相互コミュニケーションが密になるにつれて、彼女たちとの距離が縮まり、互いに顔を見合わせるような親密な雰囲気の写真が増えてきている。さらにモノクロームに加えて、デジタルカメラによるカラー写真が登場してきたのが驚きだった。装身具やハイヒールのきらびやかな原色は、この「DRAG QUEEN」のシリーズの表現領域が大きくふくらみつつあることの表われといえる。廣見はいま、このシリーズ以外にもアフリカ系の住人たちが住む「ボストンのご近所」を長期にわたって撮影しているシリーズと、原理キリスト教の信者たちの集団生活のシリーズとを、同時並行して進めているのだそうだ。意欲的な作家活動が、実りの多い展示や出版につながっていきそうだ。

2011/12/09(金)(飯沢耕太郎)

吉永マサユキ「SENTO」

会期:2011/12/06~2011/12/26

GALLERY SHUHARI[東京都]

吉永マサユキのデビューは、在日外国人たちの生に肉迫した1999年の写真集『ニッポンタカイネ』(メディアファクトリー、東京キララ社から再刊)なのだが、それ以前に撮影していたのがこの「SENTO」のシリーズである。撮影は1993年だが、それ以前のアナーキーな不良少年の頃から、十三周辺の銭湯は仲間たちとの溜まり場になっていたのだという。ささくれた日々にふっと訪れる慰安があったことが、肌と肌を触れ合うような至近距離で撮影された写真からいきいきと伝わってくる。吉永にとっての原点ともいえる写真群ではないだろうか。それにしても、これだけ「おちんちん」がまともに出ている写真展も珍しい。日本の写真展や写真集では、自己規制も含めて「おちんちん」を隠してしまうことが多いが、それにはなんの法的な根拠もないはずだ。いわゆる「わいせつ写真」なら、男性性器は性的な意味合いを帯びてくるのだが、銭湯ではまずそんなことはありえない。むしろ。ここに登場してくる「おちんちん」たちは、風呂のお湯の中をゆらゆらと漂い、石鹸の泡に包まれて愛らしくまったりと弛緩していて、いつもの攻撃性はまったく影を潜めている。それは男性なら誰でも身に覚えのある光景だし、女性でもそれほど違和感なく受け入れることができる存在なのではないだろうか。愉快で、ちょっと哀しげな彼らの姿を、じっくりと見ることができただけでも、とてもいい展示だったと思う。なお展覧会に合わせて、東京キララ社から同名の写真集(英文表記)が発売されている。

2011/12/07(水)(飯沢耕太郎)

春木麻衣子「view for a moment」

会期:2011/11/18~2011/12/24

TARO NASU[東京都]

春木麻衣子のように、しっかりと自分の進むべき方向を見出しつつある写真作家の作品を見るのは愉しい。2010年のTARO NASUでの個展「possibility in portraiture」のあたりから、彼女の作品の中には人間(通行人)が登場し始めた。風景に人の要素が組み込まれることで、作品がより観客に開かれた印象を与えるものになりつつあるのだ。今回展示された新作「view for a moment」でも、明快なコンセプトと鮮やかな作画の手際が、気持ちよく目に飛び込んできた。パリの路上で撮影されたこのシリーズは、2つの場面をひとつの画面におさめたもので、ちょうど中央部分に縦長の黒いスリットが入っている。これはフィルムの2つのコマのつなぎ目であることが、写真を見ているうちにわかってくる。そのスリットを挟んで、2人の人物が写っているのだが、それぞれの体の大部分はスリットに隠れて見えない。つまり、人物がカメラのフレームから外に出ていこうとする瞬間、フレームに入り込んでくる瞬間にシャッターを切っているのだ。タイトルに「51 seconds」とか「112seconnds」とか表記してあるのは、最初のシャッターを切り、次のシャッターを切るまでの秒数をストップウォッチで測ったのだという。フィルムのコマとコマのあいだ、スリットの部分で何が起こっているのか、その「見えない部分」へと観客の視線を導くことで、観客の想像力が大いに喚起される。実に巧みな仕掛けだが、コンセプトが上滑りすることなく、視覚的なエンターテインメントにきちんと結びついているのが、気持ちのよさの理由だろう。写真作家としての総合的なレベルが、一段階アップしたように感じる。

写真:318 seconds, from the series “view for a moment” 2011 type C print
© Maiko Haruki Courtesy of TARO NASU

2011/12/06(火)(飯沢耕太郎)

細倉真弓 写真展「KAZAN」

会期:2011/12/02~2012/01/15

G/P GALLERY[東京都]

細倉真弓は1979年生まれ。2005年に日本大学芸術学部写真学科を卒業後、内外のグループ展に参加するなど順調にキャリアを伸ばしてきた。やや意外なことに、今回がはじめての個展になる。「KAZAN」のシリーズはポートレート、ヌード、風景、結晶体のようなオブジェなどの組み合わせ。あまり声高に自己主張することなく、やや押さえ気味に、どこかくぐもった陰鬱な雰囲気の写真を並べている。根こそぎに横倒しになった樹の近くに人物を配した風景など、手探りで心に響くリアリティを見出していく姿勢がストレートに表われている写真が多く、写真家としての成熟を感じた。以前の彼女の写真には勢いはあったものの、どこか「急ぎ過ぎ」ていて、肝腎なものを取り落としているようなところもあったのだ。着実に自分の作品世界をつくり上げつつあるのではないだろうか。もうひとつの新作は、アルミニウム板にポートレートや静物を焼き付けたシリーズ。こちらは19世紀に流行した着色ティンタイプを思わせる、やや古風な雰囲気だ。悪くはないのだが、2つのシリーズのつながりがうまく見えないので、見る側は混乱してしまう気もする。それでも彼女の表現力が、さまざまな手法を自在に使いこなせる段階に達していることはわかった。なお、アートビートパブリッシャーズから同名の写真集も刊行されている。

2011/12/04(日)(飯沢耕太郎)

北野謙 展「our face project: Asia」

会期:2011/11/26~2012/01/29

MEM[東京都]

北野謙がこのところずっと取り組んでいる「our face」は、特定の社会集団の構成員たちを撮影したポートレートを、目の部分で重ね合わせて多重露光した合成写真のシリーズである。そのたたずまいが、近作ではやや違ってきているのを、今回の個展で確認することができた。以前は重ね合わされたひとりの人物(実際には数十人のモデルの画像の合成なのだが)の周囲は黒く落とされていることが多かった。ところが、近作では中心の人物が闇の中から浮かび上がってくるような画面の周辺部分に、別の人物の顔や周囲の風景などが写り込んできている。たとえば「2003年3月8日World Peace Now 米英軍のイラク攻撃反対5万人パレードに参加して歩く人びと30人を重ねた肖像 東京日比谷公園~銀座の路上で」では、さまざまなポーズをとるデモの参加者たち、戦争反対のスローガンなどが、背後に浮遊霊のように漂っているのが見える。そのことによって、画面にすっきりとした安定感はなくなったのだが、逆に現代社会の混沌とした状況が、より生々しく浮かび上がってきているように感じた。今回の展示ではインドネシアからイラン北部のクルド人居住区まで、アジア各地で撮影された作品19点を「路上」「宗教、信仰」「子ども」「戦争」「民族」「職」に分けて展示している。また2011年11月20日までに撮影した5,134人を重ねた「全集積」を、デジタルデータで見ることができるモニターも設置されていた。さらに「our face」制作のきっかけになった、メキシコ・シティのディエゴ・リベラ作の大壁画《メキシコの歴史》の複写も展示された。歴史のなかの人間像を、圧倒的な迫力で描写したこの壁画を撮影し、モザイク状に再構成したことから、合成写真のアイディアが生まれてきたのだという。充実したいい展示だと思う。

2011/12/04(日)(飯沢耕太郎)