artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

鷹野隆大「モノクロ写真“Photo-Graph”」

会期:2012/01/17~2012/02/29

Yumiko Chiba Associates viewing room Shinjuku[東京都]

昨年、松江泰治、鈴木理策、倉石信乃、清水穣と「写真分離派宣言」を出して話題を集めた鷹野隆大。どうやら、彼の銀塩写真へのこだわりは本気度を増してきたようで、今回のYumiko Chiba Associates viewing room Shinjukuの新作展には、文字どおりの銀塩「モノクロ写真」が出品されていた。
本展の開催は以前から決まっていたにもかかわらず、なかなか構想がまとまらず「何を撮っていいのかわからない」状態が長く続いていたのだという。言うまでもなく「3・11」の後遺症だったのだろう。そこでもう一度原点に回帰するという意味を込めて、「モノクロ写真」を撮影・プリントし始めた。そこに思いがけず出現してきたのは、鷹野自身の言い方を借りれば「崩壊した光の残骸」としか言いようのない、不分明で不定形のイメージ群だった。ロールサイズの大判プリント4点を含む写真のほとんどが、抽象画を思わせる光と影の染みであり、その間に繰り返し彼自身の影が写し込まれている。それは例えば、森山大道がよく画面の中に登場させる、くっきりとした物質感を備えたシャドーではなく、もっと希薄で、ぼんやりと揺らいでいる影の形だ。このような、これまでの鷹野の写真にはほとんど登場してこなかったファントムめいたイメージに固執せざるをえなかったところに、「3・11」が彼にもたらした衝撃と傷口の大きさをうかがうことができるように感じる。
だがこれはこれで、鷹野の再出発のスタートラインとして充分に評価できるのではないだろうか。ここにも「震災後の写真」のひとつのあり方が明確に示されている。

2012/02/07(火)(飯沢耕太郎)

栗原滋「螺旋 沖縄1973-1992 OKINAWA」

会期:2012/02/06~2012/02/19

蒼穹舎[東京都]

横浜在住の栗原滋は都市の路上や街並みを鋭角的に切り出してくる作品を発表してきた。その彼は1973年、22歳のときから沖縄に住みつき、93年に個人的な事情で島を出るまで20年あまりを過ごした。その間に撮りためた写真をあらためてまとめ直したのが「螺旋 沖縄1973-1993」のシリーズであり、蒼穹舍から同名の写真集も刊行されている。
こうして見ると、本土復帰直後の1970年代の沖縄が、写真家にとっていかに魅力的で撮影の意欲をそそる場所であったことがよくわかる。島全体から立ちのぼってくる生命力の波動、それを全身で受けとめ、ふたたび発散している人々のいきいきとした表情は、同時期の日本の他の土地には見られないものだ。栗原のカメラワークは、とりわけ群れ集う人々に向けられるときに精彩を発揮しているように思える。一塊であるように見えて、一人ひとりの姿を眼で追うと、そこには多様な個がひしめき合い、それぞれのやり方で自分自身を“表現”していることがわかる。だが写真集の後半部、1980~90年代の写真になると、「既視感と混沌とが併存する光景」が少しずつ秩序づけられ、ありきたりの都市の眺めに収束していく様子がうかがえるようになる。栗原はその過程も冷静に記録しているのだが、被写体との距離感がやや遠のきつつあるようにも感じるのだ。栗原が私淑していたという平敷兼七のような「内なる沖縄」からの視点ではなく、かといって本土から訪れて、撮影しては帰っていくような一過性の仕事でもない、独特の角度からの沖縄へのアプローチと言えるのではないだろうか。

2012/02/06(月)(飯沢耕太郎)

ジェームス・ウェリング「ワイエス」

会期:2012/01/20~2012/03/10

WAKO WORKS OF ART[東京都]

WAKO WORKS OF ARTでのジェームズ・ウェリングの展示も、今回で7回目になるのだそうだ。これまで、アルミホイルを撮影したほとんど抽象画のような作品や、ドイツ・ヴォルフスブルクのフォルクスワーゲンの工場、虹のような光に照らし出された「温室」の写真など、展示のたびに彼の多様な側面を見ることができた。いつも新たな領域に果敢に挑戦していくウェリングの展覧会のなかで、今回の「ワイエス」は今までで一番「古典的な」写真シリーズと言えるかもしれない。仮にウェリングの名前がなければ、きわめてオーソドックスな作風の、ドキュメンタリー写真家の作品といっても誰も疑わないのではないだろうか。
それは、ウェリング自身が写真家として活動する前の少年~青年期に、アンドリュー・ワイエスの絵画作品を愛好し、強い影響を受けていたという個人的な事情が大きいのではないかと思う。メイン州クッシングとペンシルバニア州チャッズ・フォードにある、ワイエスの画家としての活動の拠点となった家、彼が描いた森、岩などの風景を撮影するウェリングの視点は、ワイエスの絵と完全に重なり合っているのだ。むろん、天井のフックを撮影した4枚組の作品や、ワイエス自身も描いた汚れた鏡に映る像など、いかにもウェリング好みの被写体の解釈も散見する。だが今回のシリーズに関しては、あくまでもひとりの画家の眼に成りきるということに徹している様子がうかがえる。これはこれで、この多彩なアイディアと抜群の視覚的なセンスのよさを兼ね備えた写真家の、意欲的な実験のひとつと言えそうだ。

2012/02/03(金)(飯沢耕太郎)

今岡昌子「トポフィリア 九州力の原像へ」

会期:2012/02/01~2012/02/14

銀座ニコンサロン[東京都]

このところ、国際交流基金の企画で、イタリア・ローマと中国・北京を皮切りに2012年3月から世界中を巡回する「東北──風土・人・くらし」展の監修・構成の仕事をしていた。そのためもあるのだろう。2008年から熊本県芦北町に住みついた今岡昌子が撮影した、この「トポフィリア 九州力の原像へ」を見たとき、東北の写真との風合いや手触りの違いを強く感じた。小島一郎や内藤正敏が撮影した、荒ぶる「縄文の力」が全面にあふれ出ている東北の写真群と比較すると、今岡の写真に写っている九州の「風土・人・くらし」は、なんとも穏やかで優しげに見える。祭礼や民間儀礼の写真もたくさんあるのだが、そこに写っている人々の表情に笑みがたたえられているのが印象的だ。鬼神に取り憑かれたような、東北の祭りの情景とはまったく対照的なのだ。逆に言えば、それは今岡がまさに「九州力の原像」をしっかりと捉えているということでもある。日本文化のルーツであり、本流でもある九州の地には、東北とは自ずと違った空気感が流れているということであり、今岡はそれに鋭敏に反応しているのだ。
彼女の撮影の仕方も、そのたおやかな九州の土地柄に触発されているのではないだろうか。画面は傾き、被写体は微妙に揺れ動き、ブレやボケも自然体で入り込んでいる。展示された44点の作品には、モノクロームに加えて3分の1ほどカラー作品も含まれているのだが、そのトーンもパステルカラー調の柔らかいものだ。九州の風土に備わっている女性性が、地理学者のイーフー・トゥアンが唱える「トポフィリア」(場所への愛)という「情緒的なつながりを探求」する概念によって、うまくすくい取られていると言えるだろう。まだ中間報告の段階だと思うが、撮影の作業がさらに深められれば、面白いシリーズに育っていきそうな予感がする。

2012/02/03(金)(飯沢耕太郎)

今道子「IMPACT」

会期:2012/01/26~2012/02/12

B GALLERY[東京都]

マッチ&カンパニーの「M/Light」レーベルから出た『IMPACT』は、今道子のひさびさの写真集。1970年代のキャベツのシリーズから2010年の近作まで35点が、大判のページにゆったりとおさめられている。その刊行を記念して新宿BEAMS JAPANのギャラリー・スペースで開催されたのが本展。写真集に収録された作品に加えて、2011年12月の飯沢耕太郎との二人展(銀座・巷房)で初めて公開された新作「鰯+眼+障子」のシリーズと、「めまいのドレス」も展示されていた。
今道子は一貫して、魚や野菜などの食物を素材にしてマニエリスティックな「ありえないオブジェ」をつくり上げて撮影してきた。その食感と触感を刺激しつつ、観客をリアリスティックな幻想の世界に引き込んでいく強度は、まったく衰えていないどころか、さらに強まっているようにも見える。だが、新作にはこれまでにない要素も加わってきている。「鰯+眼+障子」の障子の格子模様はどこか和風のテイストだし、「めまいのドレス」にはこれまでの彼女の作品には考えられない「ブレ」が効果的に使われているのだ。今はプライベートな事情もあって、2000年代のはじめから10年あまりほとんど作品を発表できなかった。その間に蓄積していた表現のエネルギーが、いま一挙に解放されようとしているのではないだろうか。基本的な制作の姿勢は変わらないだろうが、これまでにない要素が加わってくることで、作品世界のスケールが一回り大きくなってくることが期待できそうだ。

2012/02/01(水)(飯沢耕太郎)