artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

安田佐智種「AERIAL」

会期:2012/01/13~2012/02/29

BASE GALLERY[東京都]

安田佐智種は1968年生まれ。東京藝術大学大学院修了後に渡米して、現在はニューヨークを拠点に活動している。彼女の初期作品に、透明なガラスの板のようなものに支えられた足の裏から、上空を見上げるアングルで撮影されたシリーズがあり、その身体を介した視点の転換の鮮やかさを印象深く覚えている。この新作「AERIAL」も、その延長線上の作品と言えなくもない。今度は旧作とは逆に、高層ビルのような高い場所から下を見おろす視点をとる。しかもそうやって撮影された300~500枚の画像を、コンピュータによる画像処理でコラージュし、ビル群が針の山のように地面から空中に突き出ている様を、圧倒的な視覚効果で定着している。安田のアイディアを形にしていく能力の高さがよく示されている作品と言えるだろう。
ただその処理の仕方が、あまりにも手際がよすぎるので、高所から下を見おろしたときの目眩や恐怖をともなう身体感覚が、やや希薄になっているように感じられた。画像処理がパターン化して、デザイン的に見えなくもないのだ。よく見ると、針のように突き出ているビル群の根元のところに、四角い空白のスペースが残っている。これがつまり、安田が下を見おろす基点となる場所ということだろう。足場となる場所が不在の空白として表現されてしまうというのは、なかなか面白いパラドックスだ。そのことを逆手にとって、その真白のスペースをより強調する表現のあり方も考えられるのではないだろうか。

2012/02/01(水)(飯沢耕太郎)

菱田雄介「border/McD」

会期:2012/01/18~2012/02/05

Bloom Gallery[大阪府]

写真集『ある日』(プレイスM/月曜社、2006年)、『BESLAN』(新風舍、同)、そして東日本大震災直後に被災地を撮影した「hope/TOHOKU」(『アフターマス 震災後の写真』(NTT出版、2011年所収)。菱田雄介の仕事を見ていると、周到な準備の積み重ねと、コンセプトをかたちにしていくときの果敢な行動力にいつも驚かされる。今回大阪・十三のBloom Galleryで初めてて発表された「「border/McD」シリーズも、撮影を開始したのは1993年というから、かなり時間をかけたプロジェクトだ。
たしかに世界のいろいろな国を旅していると、赤に黄色のMのマークがくっきり浮かび上がる看板のロゴがいやおうなしに眼に入ってくる。現代社会におけるグローバリズムの象徴とも言うべきマクドナルドのハンバーガーショップは、たしかに面白い被写体だ。同じシステム、同じメニューとはいえ、国ごとの経済や文化の差異によって、そのたたずまいも微妙に違ってくる。北朝鮮やイランのように、「アメリカ文化の権化」とみなされて、マクドナルド自体が存在を許されない国もある。菱田のもくろみは、中東、東欧諸国から震災直後に宮城県で撮影したハンバーガーショップまでを比較対照させることで、世界を区切っている、見えない「border」を浮かび上がらせることにある。現在はまだ30カ国余りということだが、もう少し数が増えてくると、さまざまな様相がせめぎあう場所としてのマクドナルド空間のもつ意味が、よりくっきりと浮かび上がってくるのではないだろうか。ただ今のスナップショット的な撮り方だと、自ずと限界もあるようにも感じた。抽出する要素を絞り込み、画面を大きくして、より強度のある写真として提示した方がいいのではないかと思う。

2012/01/29(日)(飯沢耕太郎)

佐藤信太郎「東京|天空樹 Risen in East」

会期:2012/01/13~2012/02/25

フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]

写真集と展示の違いが際立って見える作品があるが、佐藤信太郎の「東京|天空樹 Risen in East」はそのいい例だろう。青幻舎から刊行された写真集を見たときには、前作の『非常階段東京─TOKYO TWILIGHT ZONE』(青幻舎、2008年)の延長線上の仕事に思えた。ところが、フォト・ギャラリー・インターナショナルの展示を見て、遅まきながら、その方法論自体が大きく変化していることに気づかされた。
まず最大で3,139×311ミリという画面の大きさが圧倒的だ。横が極端に長いパノラマサイズのプリントは、当然ながらデジタルカメラの画像をつなぎあわせたものだ。最大30枚以上の画像が使われているという。ということは、佐藤は4×5判の大判カメラを使っていた前作から、撮影とプリントのシステム自体を完全に変えてしまったことになる。結果として、ある特定の時間(黄昏時)、特定の眺め(ビルの非常階段から)にこだわっていた前作と比較して、表現の幅がかなり広がりをもつものとなった。それだけでなく、複数の時間、複数の視点がひとつの画面に写り込むことによって、あたかも絵巻物を見るように、伸び縮みする視覚的体験が生じてきている。
その中心に写り込んでいるのが、言うまでもなく建造中の東京スカイツリーである。この「天空樹」の出現は、誰もが気づかざるをえないように、東京の東半分の地域の眺めを大きく変えつつある。特に浅草の街並みや墨田区京島の戦前から残っている古い長屋などとくっきりとしたコントラストを描き出すことで、新たな景観が生み出されようとしている。まさに都市の生成途上の姿を捉えたドキュメントとしても、意味のある仕事と言えそうだ。

2012/01/26(木)(飯沢耕太郎)

古賀絵里子「浅草善哉」

会期:2012/01/20~2012/02/20

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

古賀絵里子の「浅草善哉」のシリーズは、浅草で長年喫茶店を営んでいた老夫婦を、2003年から撮り続けた労作だ。中村はなさん(旧姓平田)は1912年、中村善郎さんは1921年生まれで、1955年から西浅草二丁目で喫茶店「あゆみ」を経営していた。古賀が浅草三社祭で偶然二人にあったころには店は閉じられ、晩年は二人とも病気がちだった。2008年に義郎さん、2010年にはなさんが相次いで逝去。古賀が撮影した二人の写真が残された。このシリーズは、2004年に銀座・ガーディアンガーデンで一度展示されているが、今回青幻舍から同名の写真集が刊行されたのをきっかけに、リバイバル展が開催されたのだ。
古賀の写真には、この種のドキュメンタリーにどうしてもつきまとう「こう見なければならない」という強制力が感じられず、穏やかで、開放的な雰囲気が備わっている。いつも寄り添うように近くにいる二人の存在のかたちが、柔らかに定着されていて見ていてストンと胸に落ちる。また、昔の二人が写っているスナップ写真の複写が効果的に挿入されていて、過去と現在の時間がゆるやかに混じりあうのもいい。ただ、このシリーズはやはり旧作であり、むしろ古賀がこれから先どんなふうに作品を発表していくのかが気になった。その意味では、会場を区切って展示されていた「一山」という6×6判、カラーのシリーズが注目される。高野山の四季を2年半にわたって撮り続けているものだが、そろそろひとつのかたちにまとまっていきそうな気配を感じた。
展覧会の会場構成は、『魯山』店主の大嶌文彦が行なった。書、器、鏡、錆の浮き出た家具などを配置した趣味のいいインスタレーションだが、少し要素を詰め込み過ぎて、やや写真が見づらくなっているのが残念だった。

2012/01/25(水)(飯沢耕太郎)

MP1 Expanded Retina|拡張される網膜

会期:2012/01/21~2012/02/05

G/P GALLERY[東京都]

MP1は、エグチマサル、藤本涼、横田大輔、吉田和生という1982~84年生まれの4人の写真家たちと、批評家の星野太によるグループ。2011年秋に横浜トリエンナーレの関連企画として、横浜・新港ピアで開催された「新・港村」で「拡張される網膜」展を開催して本格的に始動した。2012年は本展をはじめとして、都内のいくつかのギャラリーやウェブ上で複数のプロジェクトを進行する予定だという。
正直言って、作風、経歴にそれほど重なり合うところのない彼らが、グループとして活動していく強い理由を見出すのは難かしい。ただ、写真家たちによる自主運営ギャラリーの活動もそうなのだが、異質な要素が触媒的に働くことで、メンバーの作品が思わぬ方向に伸び広がっていくということは大いに期待できる。例えば今回の展示では、かなり過剰に「表現主義」的な傾きが強かったエグチマサルの写真+ドローイング作品が、すっきりとしたミニマルな雰囲気の画面に変質していた。反対に吉田和生は、被写体のエレメンツをしつこく反覆・増殖していく傾向を強めている。このような化学反応を、むしろ積極的に触発していってほしいものだ。そこから星野の言う「写実的な外界の痕跡でもなければ、表現主義的な内面の吐露でもない」、ちょうどその中間領域とでも言うべき「網膜」の表層性に徹底してこだわる、彼らのスタイルが模索されていくのではないだろうか。
なお、展示にあわせて500部限定のコンセプト・ブック『Expanded Retina|拡張される網膜』(BAMBA BOOKS)が刊行されている。きっちりと編集されたクオリティの高い作品集だ。

2012/01/25(水)(飯沢耕太郎)