artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

福山えみ「a trip to Europe」

会期:2009/12/08~2010/12/20

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

福山えみは1981年佐賀県生まれ。2006年に東京ビジュアルアーツを卒業し、TOTEM POLE PHOTO GALLERYでの個展を中心に作品を発表している。今回の展示は、2009年の夏にフランスのアルル、パリ、ドイツのベルリン、チェコのプラハなどを旅行した時に撮影した写真でまとめた。
なんともつかみ所のない、どんよりした曇り空の下の、どこか寒々しい街の片隅の光景が並んでいる。フェンスや窓枠によって区切られた眺めに固執しているようだが、それがはっきり打ち出されているわけでもない。だが、6×7判(カメラはプラウベルマキナ67)のとりとめのない旅のイメージは、これはこれで目に気持よくおさまって悪くはない。自分がどんな被写体に反応し、たくさん撮影した中からどれを選んでいくのかという基準がはっきりしているからだ。会場に旧作の「月がついてくる」(2008)シリーズをおさめたファイルが置いてあったのだが、日本で撮影されたそれらとヨーロッパの写真の質感がまったく一緒なのに逆に感心した。どこに行っても「自分の眼差し」を保ち続けられるというのは大事なことだ。
とはいえ、このままでは「玄人好み」の、地味だが悪くない写真ということで終わってしまう。むずかしいかもしれないが、もう一歩踏み出して、被写体の幅と表現方法の幅を広げていくべき時期にきているのだろう。

2009/12/13(日)(飯沢耕太郎)

高木こずえ『MID』/『GROUND』

発行所:赤々舎

発行日:2009年11月1日

高木こずえは一作ごとに脱皮し、作品のスタイルを変えつつある。1985年生まれ、25歳の彼女のような年頃では、まだ自分が何者かを見定めるのは無理だしその必要もないだろう。だが、赤々舎から2冊同時に刊行されたデビュー写真集『MID』と『GROUND』を見ると、この若い写真家の潜在能力の高さにびっくりしてしまう。特に『MID』の方は、東京工芸大学在学中にほぼ形ができていたポートフォリオを元にした写真集なので、彼女の作品世界の母胎がどんなものなのかが、鮮やかに浮かび上がってきているように思える。
とはいえ異様にテンションの高いイメージ群が、闇の中に明滅するようにあらわれては消えていくこの写真集を、きちんと意味付けていくのはそう簡単なことではない。というより、高木本人もなぜそれらに強く引き寄せられていくのか、はっきりと理解しているわけではないだろう。ただいえることは、牛、猫、鳥、犬、山羊などどこか神話的な動物たち、エメラルドのような瞳でこちらを見つめる「ロックスター」、闇を漂う赤ん坊といった断片的なイメージ群が、何かを結びつけ、媒介する「中間的」な役割を果たしているように見えることだ。それがそのものであることだけに自足するのではなく、別の何者かへと生成・変容するその過程でフリーズドライされてしまったようなイメージ群──それがおそらくタイトルの『MID』に込められている意味なのだろう。
その生成・変容のプロセスをより加速させ、齣落としのようにめまぐるしく変化していく画像を、今度は一瞬のうちに白熱するミクロコスモスとして凝固させたのが『GROUND』の作品群だ。写真集は2009年2月~3月のTARO NASU GALLERYでの個展のレプリカ的な造りなので、この作品が本来持つスケール感を完全に伝え切ってはいない。だがこれはこれで、高木こずえの創作エネルギーの高まりと集中力を証明してはいる。

2009/12/10(木)(飯沢耕太郎)

ローマ未来の原風景 by HASHI

会期:2009/09/19~2010/12/13

国立西洋美術館(新館2階版画素描展示室)[東京都]

12月5日、国立西洋美術館の講堂でHASHIこと橋村奉臣と「出たとこ勝負」のトークをした。トーク自体はかなり盛り上がったのだが、その前に、もう一度同館で開催中の「ローマ未来の原風景 by HASHI」をじっくり眺めてきた。
最初はその技巧的な操作が目立つ作品にまったく馴染めなかった。ニューヨークに拠点を置いて活動してきた彼の代名詞というべき、10万分の1秒の高速ストロボで被写体を定着した「Action Still Life」のシリーズを封印し、「HASHIGRAPHY」と称する暗室作業によって、ローマで撮影された遺跡の風景や街頭スナップを、筆のストロークの跡が目立つ絵画的な画像に変容させている。「21世紀の光景を千年後の未来に発見する」というコンセプトはわからないでもないが、それを強引に実現しようとすることで、せっかくの写真家としての被写体の把握力や高度な画面構成力を活かしきっていないように感じた。
だが暗闇のなか、一点一点の画面にスポットライトの光を絞り込んで当てるという工夫を凝らした展示室で時を過ごすうちに、これはこれでやりたいことを自由にやっていきたいというHASHIの欲求の高まりを形にしたものなのではないかと思いはじめた。厳しい制約のある広告写真の世界で生きてきた彼にとって、「HASHIGRAPHY」での子どもの泥遊びのようなのびやかな表現が、次のステップに進むのに必要だったということではないだろうか。おそらく「Action Still Life」と「HASHIGRAPHY」のちょうど間のあたりに、これからの彼の仕事の可能性が潜んでいるような気がする。なお、美術出版社から同展のカタログを兼ねた写真集『HASHIGRAPHY Rome: Future Déj Vu 《ローマ未来の原風景》』が刊行されている。

2009/12/04(金)(飯沢耕太郎)

野村次郎「遠い眼」

会期:2009/12/01~2010/12/16

ビジュアルアーツギャラリー・東京[東京都]

僕も審査員をつとめる本年度のビジュアルアーツフォトアワードの受賞作品展。その審査評に次のように書いた。
「淡々と過ぎゆく日々の記録に見えて、いろいろな場所に亀裂が生じ、足元が崩れ落ちていくような怖さを感じる。不安を噛み殺し、ぎりぎりの緊張感を保ちつつ撮り続けられた写真群ではないだろうか。見慣れていたはずの人も風景も。ふっと気がつくと何か異様な手触りを備えた『遠い』存在に変質してしまっている。そこはもはやこの世ならざる向こう側の世界だ」。
作者の野村次郎は、どうやら精神的な病を抱えて、秩父の実家に逼塞していた時期があったようだ。写真はそのリハビリの過程で撮られたものであり、押さえようのない不安感、緊張感が伝わってくる。何でもない山道を撮影したカットがいくつかあるのだが、そのカーブが先の方で右、あるいは左に折れていく。ただそれだけの写真なのに、背筋の凍るような怖さを感じさせる。父、祖母、そして妻の「茜ちゃん」、インコとイグアナの「ルーシー」、同居人たちもひっそりと息を潜めて、野村のカメラの前に佇んでいるようだ。一見地味だが、じわじわと「写真でしか表わせない時・空が写し止められている」(森山大道)ことが伝わってくる写真群。展示を見てあらためて賞に選んでよかったと思った。なお鈴木一誌の端正なブックデザインで、同名の写真集も刊行されている。

2009/12/04(金)(飯沢耕太郎)

佐藤時啓「Tree 光─呼吸」

会期:2009/11/27~2010/12/22

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

「光の彫刻」というべき写真作品を1980年代から発表し続けてきた佐藤時啓の新作は、巨木を中心に据えた大判プリントだった。樹の周囲を光の集合体がふわふわと漂うように取り巻いているが、これは鏡の反射を利用したもの。8×10インチの大判カメラのレンズに、長時間露光を可能にするNDフィルターをつけ、鏡を手にして移動しながら光の信号をレンズに向けて送り続けた。仕掛けは単純だがとても効果的で、光の群れがまるでふわふわと宙を漂う人魂のように見える。佐藤が以前書いていたように、それらはある意味で「そこに僕がいたという証し」でもあり、風景が呼吸するように生気づいて、見る者を作品の中に引き込んでいく。今回は特に森の中という場面設定がうまくいったのではないだろうか。長時間露光によって樹の枝や草むらが風に揺れてブレて写ったりして、白昼夢のような雰囲気がより強まっているのだ。これまでどちらかといえば人工物を背景にすることが多かった「光─呼吸」のシリーズだが、自然の中で撮影するとまた違った見え方になるのがわかった。

2009/12/03(木)(飯沢耕太郎)