artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

荒木経惟「遺作 空2」

会期:2009/12/19~2010/01/09

Taka Ishii Gallery[東京都]

2009年は期せずして荒木経惟の、しかも「遺作」で終わりそうだ。だがこのタイトルが冗談以外の何者でもないのは、死(タナトス)のイメージが迫り出して来れば来るほど、あたかも天秤が釣り合うように生/性(エロス)が亢進してくるという荒木の作品世界特有のメカニズムが、ここでも完全に貫かれているからだろう。
2009年1月から「日記」のように大量に制作されてきた、モノクローム印画の上にペインティングしたり、コラージュしたりする作品が壁にずらりと並ぶ。その思いつきが指先から溢れ出てくるような融通無碍な表現は、なんとも勝手気ままなものになり、原色のアクリル絵具がぶちまけられ、コラージュには麻生前首相や鳩山首相や押尾学まで登場してくる。見方によってはあの電通時代の『ゼロックス写真帖』(1971)の、ゲリラ的な活動にまでさかのぼろうとしているようでもある。2010年には70歳を迎える「世界のアラキ」が、こんな幼稚な作品(公募展に出品したら落選間違いなし)を出してきていいのだろうかと心配になるほどだが、見ているうちにじわじわとその毒が回り、涙腺が弛みはじめた。愚劣さも崇高さも滑稽さも、すべてひっくるめた2009年の人間たちの営みが、モノクロームの「空」に一瞬の閃光を放ち、闇の彼方に消え失せていく。無惨だが、それでも世界は終わることなく、あとしばらくは続いていくのだろう。そのことを、とりあえずは荒木とともに言祝ぐことにしよう。
なお会場の奥では「アラキネマ」の新作「遺作空2」(音楽・安田芙充央、制作・クエスト)が上演されていた。音楽と画像とが一体化したうねりに観客をぐいぐいと巻き込んでいく。1986年以来、荒木の助手の田宮史郎と安斎の手で上演されてきたスライドショー「アラキネマ」の最大傑作だと思う。

2009/12/25(金)(飯沢耕太郎)

豊原康久「La Strada」

会期:2009/12/17~2010/12/26

アイデムフォトギャラリー「シリウス」[東京都]

豊原康久は1994年の第19回木村伊兵衛写真賞の受賞者。とはいえ、一般的にはあまり馴染みのある写真家とはいえないだろう。知名度の高い森村泰昌らをおさえての受賞も、やや「意外な」という雰囲気で受け止められたと記憶している。
だがそれから15年あまりを経て、新宿のアイデムフォトギャラリー「シリウス」での新作展を見ると、豊原が淡々と路上スナップの精度を高め、「なんでもない光景からにじみ出るような揺れや機微」を捕獲する技術をここまで鍛え上げてきたことにある種の感動を覚えた。今回の展示の作品はイタリア各地で撮影されたものだが、広角の24ミリレンズで、移動しながら路上の光景を多層的に把握していく手法そのものは、日本で撮影されたものとほとんど変わりはない。ただ、たとえば恋人らしきカップルを撮影した場面の背後に、連なり、重なりあって見えてくる人びとの姿が、よりドラマチックで見る者の好奇心を刺激する。当然といえば当然だが、日本よりもイタリアの方が路上における演劇性が高いということなのだろう。なおタイトルの「La Strada」は「The Street」の意味。フェデリコ・フェリーニの名作映画『道』(1954)の原題でもある。

2009/12/25(金)(飯沢耕太郎)

「鈴木八郎のまなざし──オリジナルプリント」

会期:2009/12/01~2010/12/23

JCIIフォトサロン[東京都]

鈴木八郎(1900-1985)は戦前からカメラ雑誌の編集者として知られ、1960年代以降は長くペンタックスギャラリーの館長として資料や写真作品の収集に力を尽くした。どちらかといえば、写真の世界の裏方に徹した人だが、今回の作品展を見ると、写真家としてもなかなかの才能の持ち主だったことがよくわかる。写真集としては『わが庭を写す作画の実際』(アルス、1938)しかないが、自らが編集していた雑誌などにも多数の作例写真を発表していた。本展ではその中から、鈴木自身が1920~70年代に制作した「オリジナルプリント」を中心に約60点が展示されていた。
作風として一番近いのは、やや時代は下るが山陰の植田正治だろう。「光と線のリズムに依る音楽──これこそ吾々の選ぶべき唯一の表現形式である」(鈴木八郎「視覚音楽の提案」『芸術写真研究』1923年4月号)と書いているが、画面を視覚的な「リズム」によって音楽的に構成していく手法に共通性を感じる。撮影を心から愉しみ、被写体とのびのびと対話していくような姿勢は、1920~50年代のアマチュア写真家たちに共通するものといえるのではないだろうか。この時代は、まだ写真趣味が生活に余裕のある人たちの特権でありえていたのだ。何を撮っても品のよさが自ずとあらわれていて、目に快くすっと馴染んでくる。

2009/12/22(火)(飯沢耕太郎)

藤岡亜弥「私は眠らない」

会期:2009/12/05~2010/12/26

AKAAKA[東京都]

「赤々舎冬の陣」の掉尾を飾る写真集として刊行されたのが、藤岡亜弥の『私は眠らない』。その発売にあわせて藤岡の個展が清澄白河のスペース、AKAAKAで開催された。
若い写真家の家族写真は見飽きるほど見てきたのだが、藤岡のそれはとんでもないパワーを秘めている。たとえば、展覧会のDMや写真集の表紙にも使われている「祖父」らしき人物の頭部の写真。頭蓋骨に皮膚と薄い毛が貼り付いている様を、真上から鷲掴みにするように写しとったこの写真を見ていると、「生命の器」というべき人間の体がこのような形状をしているのだということに、不意打ちされたような驚きを感じる。同じように「母」らしき人物の立ち居振る舞いも、どこか異常なものがある。ひらひらと異様に骨張った手を動かしたり、フラフープを腰で回したりしている姿は、やはり何か見てはいけないものを覗き見しているような気にさせられる。藤岡が伝えようとしている人間の生のあり方は、とりたてて特異なものではないが、その微かなズレや違和を繋ぎあわせていくと、なんともいいようのない「怪物」めいた様相が立ち現われてくるのだ。生きるということが否応無しに引き寄せてしまう哀しみと、滑稽さと、不気味さと、荘厳さと──おそらくもっと的確な言葉で言いあらわすことができそうだが、今はまだ言葉が追いついていかない。いずれにしてもこのシリーズは、2009年に見た中で、最も奇怪で謎めいた作品といえるだろう。
展覧会には大小様々なフレームにおさめた写真のほかに、映像作品も展示されていた。ひとつは写真集の内容をそのままなぞったものだが、もうひとつの「月が見ている」が面白かった。写真集にもその一部がおさめられているのだが、赤い三角屋根の建物を遠景で画面に取り入れた風景写真の画像の集積である。この建物、どうやら丘の上の老人ホームらしいのだが、藤岡の故郷の呉市のどこからでも見ることができるのだという。それでもつねに遠景として建物や樹々の陰から姿をあらわすだけで、近づくことができない。あたかもカフカの『城』のようなその設定もまた、われわれの生の隠喩なのだろう。以前から感じていたのだが、藤岡亜弥という写真家はただものではない。それが本作ではっきりと見えてきたと思う。

2009/12/16(水)(飯沢耕太郎)

平敷兼七 展

会期:2009/12/05~2010/12/26

TARO NASU[東京都]

沖縄在住の写真家、平敷兼七に注目したのは、仲里効の評論集『フォトネシア──眼の回帰線・沖縄』(未來社、2009)におさめられた「小さき者たちの黙示録」という論考だった。そこに登場してくる、吃音であることを、むしろ内在的に引き受けて写真として反転していく写真家像にとても引きつけられたのだ。そのままあまり開かずに本棚に放り込んであった写真集『山羊の肺』(影書房、2007)を引っぱり出して、掲載された写真をじっくり眺めた。衝撃だった。特に逞しくも哀切な、夜の商売をしている「職業婦人」たちのポートレートには、胸を突かれるものを覚えた。
ところがその直後、2009年10月に平敷が那覇で急逝したということを知った。なんともいいようのない悔しい気分でいた所、今度は現代美術作品を主に扱うギャラリー、TARO NASUで、彼の東京では初めての個展が開催されるという話を聞き、また驚かされた。どうやらギャラリーの顧客のひとりが平敷の1970年代以降のヴィンテージ・プリントを所蔵しており、それらを急遽展示するということになったようだ。写真は透明シートにおさめられたままで、壁に一列にピンナップしてある。その数は200点余り。『山羊の肺』におさめられた写真もあるが、未発表のものも多い。
特に上手な写真とはいえないし、プリントも荒っぽいが、光も闇も、善も悪も、強さも弱さも、すべてひっくるめて、目の前にいる人の存在を全身で受けとめ、肯定していくような眼差しの質を感じる。写真から伝わる波動が、優しく温かいものなのだ。彼の写真家としての仕事をまとめて見ることができる写真展、写真集の企画を強く望みたい。

2009/12/15(火)(飯沢耕太郎)