artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

蔵真墨「蔵のお伊勢参り」

会期:2010/02/19~2010/03/13

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

蔵真墨の「蔵のお伊勢参り」のシリーズは2003年の東京・日本橋界隈から開始され、東海道をひたすら移動してようやく伊勢まで辿り着いた。今回のツァイト・フォト・サロンの個展はいわばその完結編で、名古屋から伊勢神宮までの道筋が被写体になっている。
6×6判のカメラによる中間距離のスナップという彼女の撮影のスタイルは、このシリーズを結果的に「中途半端」なものにしている。これは決してけなしているわけではなく、その「中途半端」なたたずまいこそが、現代日本の基調となる空気感をあぶり出しているように思えるのだ。被写体となっている人々も、特異性と匿名性のあいだに宙吊りになっており、いかにもどこにでもいそうでどこにもいない雰囲気で写っている。『アサヒカメラ』(2010年3月号)の「撮影ノート」に「この10年ほどで時代はどんどん閉塞し、その影響はさりげなくもはっきりと表れ、私もまたその影響下を生きている」と書いているが、たしかに蔵の写真に写っているのは、「閉塞」の状況のひとつの断面図だ。この国の全体が、何とも居心地の悪い「中途半端」さに覆い尽くされているのではないだろうか。それはまた、スナップ写真(特に顔が写っている写真)の撮りにくさに対する異議申し立てでもあるのだろう。
同時期に、モノクロームのスナップ写真を集成した写真集『kura』(蒼穹舎)も刊行された。こちらの方が、時代状況への違和感がより強く表明されているように思える。

2010/02/23(火)(飯沢耕太郎)

高木こずえ「GROUND」/「MID」

日本橋高島屋6階美術画廊X/第一生命南ギャラリー[東京都]

会期:2010年2月17日~3月15日/2月17日~3月12日

1985年生まれの高木こずえの潜在能力の高さは、今回の二カ所の個展でも充分に発揮されていた。赤々舎から昨年刊行された二冊の写真集『GROUND』と『MID』に沿った展示だが、それぞれ微妙にその内容を変化させている。
日本橋高島屋6階美術画廊Xの「GROUND」では、メインになる150.4×125.4センチの大きな二枚組の作品と、それらを「更に細かく分解し、それらを構成している元素を確かめていった」小さな作品群を展示している。エレメントの一つひとつは、ヒト、モノ、動物など生命的なイメージの集合体であり、高木はその自己分裂の運動に身をまかせつつ、解体─生成のプロセスを巧みにコントロールする。細部に眼を凝らせば凝らすほど、そこから思いがけない神話的な形象がわらわらと湧き出してくるような仕掛けを作り出すことで、見る者はビッグバンのようなとてつもないエネルギーの噴出の場に立ち会うことができるのだ。今回は、そのカオス状態をさらに推し進めた新作「light」も同時に展示されていた。そこでは、目が眩むような白熱する発光体が、より細かく、鋭角的に分割されている。
第一生命南ギャラリーの「MID」でも、元の写真に大きく手を加えた作品がある。印象的なエメラルド色の眼をした「オトコ」のイメージが、炎のような背景の赤をさらに強調するようにトリミングされているのだ。もともとこの写真は、高木の夢のなかに出てきた姿をなぞって、セットアップして撮影されたものだった。今回の操作によって、悪夢めいた禍々しい雰囲気が強まり、それが展示の全体にも奇妙に歪んだ磁場が生じるように働きかけていた。フレームに入れられた20点ほどの作品の周囲には、小さくプリントされた写真が撒き散らすように貼られているのだが、それらが呪符のようにも見えてくる。
どちらも工夫を凝らしたいい展示だが、彼女の写真の世界はもう一段階スケールアップしていくのではないかと感じる。力作をこれだけ見せられても、まだ潜在的な可能性を全部出し切っているようには思えないのだ。高木にとっては、ここから先が正念場になるだろう。

2010/02/22(月)(飯沢耕太郎)

永沼敦子「目くばせ」

会期:2010/02/01~2010/02/18

ガーディアン・ガーデン[東京都]

永沼敦子は2002年に「写真ひとつぼ展」に入賞し、デジタルカメラで電車の車内を撮影した「bug train」のシリーズで注目された。だが、2009年に故郷の鹿児島に拠点を移し、写真家として次のステップを踏み出そうとしている。今回は、「写真ひとつぼ展」で惜しくもグランプリを逃した入賞者にあらためてスポットを当てる「The Second Stage at GG」の枠での展覧会であり、いまの永沼にはぴったりのタイミングだったと言えるだろう。
あたかも蠅の眼に成り代わって、空中を軽やかに浮遊しながら撮影したような以前の写真と比較すると、撮影のスタイルが大きく変化している。大地に根をおろしたようなどっしりとした安定感のある視線の質は、以前の永沼では考えられないものだ。被写体も人間の世界だけではなく、樹木、花、水、光や風など、「自然界たちが発するサイン」に目を配るようになってきている。鹿児島という母なる土地は、2009年に500回以上も噴火したという桜島を見てもわかるように、単純に優しいだけではなく「破壊と創造」のエネルギーに満ちあふれている。そういう力強い自然の営みを、丸ごと抱きとるようにカメラにおさめていこうという姿勢が、彼女のなかにしっかりと根づきつつあるようだ。
ちょっと気になったのは、壁一面にバラバラにずらしながら貼られ、床まではみだしてくるような展示のやり方。以前の「bug train」の浮遊感のある写真ならいいのだが、今回はややそぐわないように感じる。もう少しオーソドックスなフレーミングの展示でもよかったかもしれない。

2010/02/13(土)(飯沢耕太郎)

今井智己「光と重力」

会期:2010/02/06~2010/02/28

リトルモア地下[東京都]

今井智己の『真昼』(青幻舎、2001)は鮮烈な印象を残す写真集だった。風景を、そこに射し込む光が最も強い存在感を発揮する状態でフィルムに定着しようという意志が画面の隅々まで貫かれており、一枚一枚の写真がぎりぎりの緊張感を孕んで写真集のページにおさめられていた。それから10年近くが過ぎ、彼の第二写真集『光と重力』(リトルモア)が刊行されたのにあわせて開催されたのが本展である。
展示を見て感じたのは、今井の姿勢が基本的には変わっていないということ。森や公園の樹木を中心にして、道路、橋、カーテン、窓などの被写体を、8×10インチの大判カメラで、静かに、注意深く引き寄せていくような撮影のスタイルもまったく同じだ。だが、どうも微妙なゆるみが生じてきているように思えてならない。光がそのピークの状態で定着されていた『真昼』と比べると、画面に拡散やノイズがあり、テンションを保ち切れていないように感じるのだ。もちろん完璧に近い構図、光の配分の写真もある。つまり、今井の写真のあり方が、見かけ上の同一性にもかかわらず、いま少しずつ変わりつつあるということだろう。そのことを、必ずしもマイナスにとらえる必要はないと思う。以前のように研ぎ澄まされた、尖った雰囲気だけではなく、風景と柔らかに溶け合うような気分の写真もある。「光と重力」の組み合わせ方を、いろいろ試行錯誤しながら確認しているということではないだろうか。

2010/02/13(土)(飯沢耕太郎)

Photo Exhibition jasmine zine×Sayo Nagase

会期:2010/02/04~2010/02/10

Nidi gallery[東京都]

『jasmine zine』はモデルのMARIKO(18歳!)が2年前から出している不定期刊雑誌。ずっとカラーコピーを綴じあわせてつくってきたが、7号目にあたる最新号から印刷するようになった。それを記念して、写真を提供している永瀬沙世とのコラボレーション展が実現した。
安い簡易印刷が完全に定着して、「zine」と呼ばれるお手軽な個人雑誌の刊行が急速に広がってきている。一方で、出版社が版元の歴史のある雑誌が、次々に休刊しているのと対照的な現象といえるだろう。『jasmine zine』も好きなものを好きなように出していこうという姿勢がはっきりしていて、見ていて気持がいい。永瀬の写真も、そんな弾むような軽やかな気分をうまくすくいとっている。
写真も、雑誌の雰囲気もどこか既視感があるなと思っていたのだが、そういえば1990年代半ば頃にも、こういう手作り雑誌やカラーコピー写真集がはやった時期があった。Hiromixや蜷川実花が登場してきた頃の「女の子写真」の表現媒体が、まさに「zine」の先駆形だったのだ。先祖帰りなのか、それとも「女の子写真」の余波はまだ続いているのか。ちょうどあの時代についてまとめた僕の新しい本『「女の子写真」の時代』(NTT出版)が出たばかりだ。そのあたりを、もう一度あらためて考え直してみる時期に来ているということかもしれない。

2010/02/09(火)(飯沢耕太郎)