artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

鷹野隆大『男の乗り方』

発行所:Akio Nagasawa Publishing

発行日:2009年10月16日

鷹野隆大が2006年のツァイト・フォト・サロンの個展で最初に発表した「男の乗り方」のシリーズが写真集になった。実に面白い。当たり前といえば当たり前なのだが、男の裸が一人ひとりこれほど違っていることに驚きと感動を覚えた。
写真が発明されて以来、天文学的な数字のヌード写真が撮影され、公表されてきたが、そのうちのほとんど大部分は女性のヌードなのではないだろうか。それはむろん、女性ヌードがヘテロセクシャルな欲望を持つ男性にとって魅力的な商品であり続けてきたという、経済的な理由に帰着する。男性ヌードはゲイ・カルチャーのようなやや特殊な領域の中に押し込められ、一般的にはほとんど観客や読者の目に触れる機会はなかったはずだ。それゆえ、男性ヌードを「まともに」「正面から」「しっかりと」撮影したものを、「まともに」「正面から」「しっかりと」見つめることは、今なおとても新鮮で興味深い視覚的体験といえる。『男の乗り方』では、10数人の若い男性が、鷹野のカメラの前でポーズをとる。横たわる姿勢が多く、自然体で、リラックスした表情を見せる彼らを見ていると、その身体の細部が、いきいきとした繊細なフォルムを備えていることがわかる。それは新たな「美」の発見といいたくなるほどだ。
鷹野がそれぞれの写真に付したキャプションも面白い。「左肘をついて寝転がり、右手で膝を抱えるようにしている」「Gパンを半降ろしにして横たわり、革のブレスレットをはめた腕で自分の首を覆うようにしている」等々。ここにも男の身体の細部を精確にスキャンしていく、大胆かつ細やかな視線の運動を感じる。

2009/12/02(水)(飯沢耕太郎)

東松照明「色相と肌触り 長崎」

会期:2009/10/03~2009/11/29

長崎県美術館[長崎県]

東松照明の展覧会を会期ぎりぎりで見ることができた。わざわざ自費で長崎まで出かけた甲斐があったというもの。なんとも凄みのある展示に衝撃を受けた。
総点数310点。まず会場を埋め尽くす作品数に圧倒される。展示のスタイルは、このところ東松がずっと試みている、撮影年代、テーマごとのまとまりを無視して、全作品をシャッフルして撒き散らす「マンダラ」形式だが、それがこれまでで一番うまくいっているのではないだろうか。1960年代以来撮り続けている長崎原爆の被災者たちのポートレート、そして長崎国際文化会館(現長崎原爆資料館)に保存されている、熱でドロドロに溶けたビール瓶や原爆投下の「11時02分」を示したまま止まっている時計などの遺品・資料の写真などが、長崎の「町歩き」のスナップと混じり合って展示されている。そのことによって、写真に写し出されている時空間に奥行きと歪みが生じ、見る者を引き裂き、連れ回し、ひっさらってしまうようなパワーが生じてくる。さらにチャーミングだがやや不気味でもある、半導体などの電子部品で作られた虫のようなオブジェ(「キャラクターP」)がその間を動きまわり、一つの方向に流れていこうとする観客の意識を攪乱する。それらのバラバラな写真群を、それでも強力に結びあわせているものこそ、東松のたぐいまれな眼力、画像の構築力だろう。まったく衰えを見せないスナップショットの切れ味は、驚嘆に値する。
東松が完全にデジタル・プリントに移行したのは2000年代以降だが、ここでも旺盛な実験意欲を発揮している。ハレーションを起こすような緑と赤の発色にはかなりの違和感があるが、それは当然ながら確信犯的に色味を変化させているのだろう。そのことによって、長崎という街が長い時間を駆けて醸成してきた、エキゾチックで混乱した「色相」の構造がくっきりと浮かび上がってくる。さらに衝撃的なのは、「熱線跡を示す孟宗竹」や「被爆した山モミジ」を撮影した画像をデジタル処理して、現在の風景と合成する操作までおこなっているということだ。「ドキュメンタリー写真家」の枠組みを踏み越えようとするようなこれらの作品も、東松が今なお現在進行形の写真の創造者としての意識を保ち続けていることを示している。

2009/11/28(土)(飯沢耕太郎)

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藤井保「BIRD SONG」

会期:2009/11/06~2009/12/05

MA2 GALLERY[東京都]

藤井保は広告写真の仕事でも知られているが、シリアスな写真の分野でも意欲的な作品を発表してきている。今回の展示は北海道や東北地方で渡り鳥の群れを追って撮影した連作。「その飛翔の姿・形を鳥の生態や風景としてではなく幾何学的な模様として白い空の中に淡々と描いてみたいと思った」という意図が明確に貫かれていて、気持のよい作品群に仕上がっている。
「BIRDS SONG」というタイトルにふさわしく、群れの形がまさに音符のように見えるものもあり、一羽の鳥の姿をクローズアップし、ブレの効果を活かした作品もある。モノクロームが中心だが、カラー写真はなんと「写ルンです」で撮影したのだそうだ。余分な要素を切り捨て、「鳥を見る」という行為に徹底していることが清々しい印象を与える。純粋に好奇心を働かせて見続けていることの歓びが、ストレートに伝わってくるのだ。藤井の作品は、これまでどちらかといえば重々しい印象を抱かせがちだったが、このような「軽み」を感じさせる写真にむしろ新たな方向性を感じる。

2009/11/26(木)(飯沢耕太郎)

長倉洋海「シルクロード──人間の貌」

会期:2009/11/02~2009/12/19

キャノンギャラリーS[東京都]

長倉洋海はいま一番信頼できるドキュメンタリー写真家の一人だろう。彼は1980年代から、上からの目線ではなく自分が体験した出来事、出会った人間たちに寄り添うようにして長期間にわたって撮影していく「私報道」の形を模索していった。アフガニスタンのゲリラの指導者で、2001年に暗殺されたマスードの戦いと人間像を捉えたシリーズ『獅子よ瞑れ──アフガン1980~2002』(2002年)などによって、国際的な評価も高まりつつある。
今回の展覧会は、足掛け5年にわたるシルクロード取材が完結したことを受けて開催されたものだが、シルクロードの地域に生きる「人間の貌」というテーマに絞り込むことで、とても見やすく共感を抱きやすい展示になっていた。会期中には7回のギャラリートークが予定されており、そのうちの1回を聞くことができたのだが、1枚1枚の写真について、実に丁寧に観客に語りかけていた。50人あまりの観客が初老の男性から女子高生まで、実にバラエティに飛んでいるのが印象的だった。そこに込められた長倉の思いや撮影時のエピソードを知ることで、その写真の背景がよりくっきりと浮かび上がってくる。写真家本人と作品とを重ねあわせるような視点を強く打ち出すことは、特にドキュメンタリー系の写真の展示において大事になってくるのではないだろうか。なお。写真家生活30年間の代表作を集成した『地を駆ける』(平凡社)が刊行され、会場でも販売されていた。川畑直道による、写真の視覚的な流れに配慮した装丁・レイアウトが素晴らしい。よく練り上げられた、厚みのある内容の写真集である。

2009/11/21(土)(飯沢耕太郎)

柴田敏雄「a View」/「For Grey」

a View
会期:2009年10月30日~11月29日
BLD GALLERY[東京都]
For Grey
会期:10月30日~11月25日
ツァイト・フォト・サロン[東京都]

同時期に開催された柴田敏雄の二つの個展。BLD GALLERYの「a View」は1993~2007年に撮影されたモノクロームの未発表風景作品を、ツァイト・フォト・サロンの「For Grey」では、近作のカラー作品を展示している。「a View」は日本各地のインフラストラクチャー建造物をきっちりと細部までシャープに押さえた手慣れた(見慣れた)作画であり、正直それほど新味はない。ただ、全体に水の流れの質感をとらえた作品が多く、抽象化となまなましい物質感が共存して、ダイナミックな効果をあげている。
「For Grey」はかなり面白かった。カラー写真への「転向」は、柴田の写真に新たな視覚言語を付け加えたのではないだろうか。モノクロームの冷ややかな物質性は、より官能的な色相のパッチワークに置き換えられ、見る者を柔らかに包み込むのびやかな雰囲気が生じている。普通なら、年齢を重ねていくごとに研ぎ澄まされ、洗練された枯淡の境地に向かうはずなのに、柴田がまったく逆の方向に進みつつあるのが興味深い。そのみずみずしい表現力によって、日本の風景をまったく思いがけない角度から見直すことができるようになったのが、実に目出たい。カラーなのに「For Grey」(灰色のために)というタイトルにも、余裕のあるユーモアを感じる。なおAkio Nagasawa Publishingから同名の2冊の写真集も刊行されている。

2009/11/14(土)(飯沢耕太郎)