artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

福原義春「私と蘭138」

会期:2010/03/06~2010/03/18

和光並木館5階 和光並木ホール[東京都]

資生堂名誉会長、東京都写真美術館館長をつとめ、数々の公職を兼任している福原義春。えてして、彼のような立場の人の写真は大仰で権威主義的になりがちなのだが、意外にも今回の展示で見ることができたのは、慎ましやかな、被写体を謙虚に受けとめて撮影した蘭の花の写真だった。
蘭の栽培は父の福原信義から受け継がれた趣味で、被写体となる花も自分の温室で大切に育てたものだという。それを「開ききるちょっと手前」、あるいは「枯れはじめてきた時」つまり、最も華やかで生命力がみなぎる瞬間を選び、鉢ごと自室に移して黒バックで撮影する。撮影のポジションは「虫の視点」を意識して決めている。つまり受粉のために虫たちを「着陸標識のように」引きつけるその唇弁の位置が、蘭が最も蘭らしい姿をあらわす場所なのだ。そこを強調するようにフレーミングしていく。このような発想は、アーティストというよりはどちらかといえば生物学者や園芸家のものといえそうだ。よく知られているように、福原義春の叔父は日本の「芸術写真」のパイオニアのひとりである福原信三であった。彼が写真家として仕事をする時には、どうしてもその存在を意識しないわけにはいかなかっただろう。彼の「実証的」とさえいえる堅実な視点のとり方は、そのあたりの試行錯誤の結果ではないだろうか。
それにしても、蘭は写真に撮影されるためにこの世にあらわれ出た花のようにも思える。実物よりも二次元のフレームに封じ込まれてより輝きを増す、花の造形美の極致がそこにはある。

2010/03/06(土)(飯沢耕太郎)

椎名誠「五つの旅の物語──プラス1」

会期:2010/02/17~2010/03/29

キャノンギャラリーS[東京都]

人気作家の椎名誠が東京写真短期大学(現東京工芸大学)の出身であることは、意外に知られていないのではないだろうか。写真歴は長く、最初に撮影したのは小学校6年生の時で、被写体は「線路工夫と父親」だったという(ただし父親は後ろ姿だけ)。1991年からは『アサヒカメラ』に「シーナの写真日記」を連載しはじめた。2009年11月号で200回を超え、同誌の連載最長記録を更新中である。
今回の展示は1980年以来の「五つの旅」の写真をまとめたもの。「チャーリーのイッカククジラ狩り」「ロシアの極北狩猟民族イーゴリさんと犬の話」「砲艦リエンタール号マゼラン海峡をいく」「チベットの聖山カイラス巡礼記」「タクラマカン砂漠『桜蘭』探検記」というテーマで、テキストをつけた写真が並んでいる。写真そのものは、あまり構図や光に頓着しないで、そこにあるものをそのまま素直に写すというストレートな記録に徹しているのだが、文章の語りの呼吸が絶妙なのでその世界に引き込まれていってしまう。その写真=物語の構築力はさすがとしかいいようがない。もう少し「写真家」としての力を高く評価されてもいいのではないだろうか。「プラス1」として、ごく最近、2010年1月の津軽半島の旅の写真が別に展示されていた。こちらも、寒さが身にしみてくるような旅の感触が、縦位置の写真と文章からじわじわと伝わってくる。なお講談社から写真集『五つの旅の物語』も刊行されている。

2010/03/03(水)(飯沢耕太郎)

城林希里香「Lines, Beyond」

会期:2010/03/02~2010/03/31

ギャラリー冬青[東京都]

城林希里香は1993年に大阪芸術大学写真学科卒業後、渡米してスクール・オブ・ヴィジュアルアーツ、ニューヨーク校で学び、現在はニューヨークを拠点として活動している。ギャラリー冬青での個展は昨年に続いて二度目。コンスタントにレベルの高い風景作品を発表し続けている写真家である。
彼女の6×6判カメラによる画面には、必ず水平線、または地平線が写り込んでいる。その「Lines」が写真と写真を結びつけるとともに、見る者の想像力を大きく伸び広げていく役割を果たす。「地平線の向こう側に大地が広がるように見えない線がつながっている。その見えない線上に私たちの知らない人々がいて、私たちの知らないところでさまざまな事が起きている」ということだ。だが、彼女の撮影のやり方は、特定の場面や出来事に意識を集中させるのではなく、どちらかといえばゆるやかに拡散させていくことをめざしているようだ。「Lines」が引かれている場所も決して厳密ではなく、画面の下部をふらふら上下している。淡いパステルトーンの色彩の効果もあって、気持ちよく、開放的な気分に誘い込まれる写真群といえるだろう。これはこれでいいのだが、「平穏な風景」をうっすらと覆っている不穏さ、微妙な違和感をもう少し強く押し出してもいいのではないかと思う。
なお、展示にあわせて冬青社から写真集『Beyond』も刊行された。展示には都市の眺めもかなりあったのだが、こちらは砂漠、海辺など自然風景が中心になっている。

2010/03/02(火)(飯沢耕太郎)

瀬戸口大樹「不在」

会期:2010/03/01~2010/03/13

ビジュアルアーツギャラリー・東京[東京都]

毎年、東京ビジュアルアーツ写真コースの卒業制作の審査をしている。瀬戸正人氏、鳥原学氏、三橋純氏らと提出者全員の作品に点数をつけ、その上位30人ほどにプレゼンテーションをしてもらって最優秀作品を決める。いつもかなり面白い作品が出てくるので楽しみにしているのだが、今年は特にレベルが高かった。そこで最終的に残ったのが、今回ビジュアルアーツギャラリー・東京で個展を開催した瀬戸口大樹の作品「不在」である。
中国・四川省の少数民族の村を訪ねて撮影したカラーのドキュメントだが、チベットに近いこともあり、鹿やイノブタを生け贄に捧げるシャーマニズム的な儀式が受け継がれている。それを目の当たりにして帰国したとき、そこに確かに在ったはずの現実感が「薄れていく」ことに気づいたのだという。写真を通じてそれをもう一度甦らせようという試みが、ある意味でシャーマンの行為と同一のものであることに、瀬戸口ははっきりと気づいている。さらに、やはり中国で撮影したパソコンの組立工場の女子工員たちの写真を、アップルのコンピューターの画面に映し出した状態で撮影して同時に展示するなど、「存在」と「不在」の関係を批評的に問い直そうという意図も伺える。みずみずしい映像感覚と知的な構成力とがマッチした、なかなかスケールの大きなシリーズに仕上がっていた。
ちょっと気になったのは、現地の滞在日数を尋ねたところ、6日間という答えが返って来たことだ。わずか6日間でよくこれだけの作品をものにできたともいえるのだが、反面そのあまりの手際のよさに危惧感を覚えてしまう。手早くまとめることだけを優先すると、肝心なものを取り落とすことにもなりかねないからだ。

2010/03/02(火)(飯沢耕太郎)

渡邊聖子「否定」

会期:2010/02/23~2010/02/28

企画ギャラリー・明るい部屋[東京都]

どちらかというと「ゆるい」写真展が多い明るい部屋の企画にしては、洗練と緊張感のバランスがほどよく保たれている展示だ。渡邊聖子は昨年の「写真新世紀」で佳作に入賞している若手女性作家だが、これまでは自分の方向性をひとつにまとめ切れていない迷いが見られた。ところが今回の展覧会では、確信を持って作品を選び、会場を構成している。自分のなかで、何か吹っ切れたところがあったのではないだろうか。
展示はテキストと写真の二つの部分に分かれる。テキスト部分では、まず「鏡を見なくてもわかる/今、あなたはうつくしいはずだ」という文章が提示され、それが二重、三重に否定されていく。それと対置されているのが、家の近くの道端でほとんど無作為に拾ってきたという石をクローズアップで撮影し、A3判くらいの大きさに引き伸ばした7点の写真で、テキストにも写真にもちょうどその大きさにカットされた板ガラスが被せられている。渡邊の意図を完全に読み解くのはむずかしいが、テキストと写真が相補うことで、モノクローム─カラー、確かさ─不確かさ、揺らぐもの─固定されているものといった対立軸が生まれ、見る者を思考の迷路に誘い込んでいく。その手つきに、迷いがないので、タイトルとは逆に「これでいいのだ」と思わされてしまう。いつのまにか否定─肯定という対立軸を含めて、その関係性がなし崩しに解体し、同じ現象の裏と表のように見えてくるのだ。
今回の展示は、彼女の飛躍のきっかけになりそうだ。そののびやかな構想力、思考力をさらに積極的に展開していってほしい。

2010/02/24(水)(飯沢耕太郎)