artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

風の旅人~今ここにある旅~

会期:2009/05/30~2009/06/08

コニカミノルタプラザ・ギャラリーC[東京都]

『風の旅人』(ユーラシア旅行社)は佐伯剛を編集長として2003年に創刊された隔月刊誌。深みのある精神世界を志向する写真を中心とする独自の編集方針で、2009年6月までに37冊を刊行している。その佐伯が「東京写真月間2009年」の国内作家展のテーマである「人はなぜ旅に出るのだろう… ─出会い・発見・感動─」に合わせて選抜した5人展が、コニカミノルタギャラリーで開催された。
出品作家は有元伸也、奥山淳志、西山尚紀、山下恒夫、鷲尾和彦。1961年生まれの山下から、77年生まれの西山まで、「通りすがりの土地で自分本位に風景を切り取るのではなく、一つの土地と長く付き合い、そこに生きる人々と心を通わせ、時と場所を超えて連続する人間の営みの尊さを浮かび上がらせている」と佐伯が評する、30~40歳代の写真家が選ばれている。たしかにあまりにもせっかちに、強迫観念にとらわれているかのようにシャッターを切る写真が氾濫するなかで、彼らの静かに被写体に寄り添うような制作の姿勢は貴重なものといえるだろう。どの写真家も共通して、カメラを被写体となる人物の正面に据え、まっすぐにその存在と向き合うような写真を展示していた。その衒いのない視線の質は、「人間の営み」を見つめるドキュメンタリー・フォトの基本といえる。有元や奥山の写真には、とりわけ現代を生きる日本人の姿をきちんと留めておかなければならないという、強い意志があらわれているように思えた。
ただ少し気になったことがある。たまたまインタビューの仕事で会った野町和嘉が、この展覧会を観た感想として「みんな優しいんだよね」と呟いていた。被写体との火花を散らすような激しいやりとりがないことが、野町のような修羅場をくぐってきた写真家には不満だったようだ。それは僕も同感。野町のいう「優しさ」は、諸刃の剣なのではないだろうか。

2009/06/05(金)(飯沢耕太郎)

田本研造写真展──函館港湾・水道工事の記録

会期:2009/05/08~2009/06/07

photographers' gallery[東京都]

表参道のRat Hole Galleryから、新宿2丁目のphotographers' galleryへ。北島敬三も中心メンバーである、同ギャラリーでは「photographers' gallery press no.8 発売記念企画」として「田本研造写真展」が開催されていた。「photographers' gallery press」は年一回刊行されるアニュアル雑誌だが、年ごとに厚さが増し、今年の第8号は400ページに達する大冊になった。内容は、明治初期に北海道・函館に写真館を構え、開拓史の命によって道内の道路・港湾等の開発工事、建築物の竣工状況などを記録した写真師、田本研造の大特集である。大学や図書館に収蔵されているアルバムを複写した500点近い掲載写真に、大下智一、倉石信乃、土屋誠一などの力作論考を加えた、密度の濃い充実した内容は驚嘆に値する。本来なら大学や美術館がやるべき日本写真史の見直しの仕事を、一ギャラリーのスタッフたちが短期間で、手弁当でやってのけたことに対して、まずは深く敬意を払いたい。
ギャラリーには、その中にもおさめられている東京・四谷の土木学会附属土木図書館所蔵の「函館港湾・水道工事」の記録写真(撮影・1897年)が、14点展示されていた。六つ切りサイズの鶏卵紙印画を、一枚一枚「田本研造製」と記された台紙に貼ったそのたたずまいが、まさに明治期の記録写真のあり方を伝えている。あくまでも公的な記録として提示された写真群は、揺るぎないしっかりとした構図で、近代化の途上にある北海道の風景、出来事を写しとっており、見る者の居住まいを正すような緊張感を発しているのだ。だが、防波堤に砕ける波を捉えた「山背町護岸」の写真などに仄見える、写真家の感情の高ぶりや昂揚感が、魅力的な記録と表現の意識のアマルガム(混合体)を形成しているようにも思える。

2009/06/03(水)(飯沢耕太郎)

北島敬三「PORTRAITS」

会期:2009/05/22~2009/07/05

Rat Hole Gallery[東京都]

1992年から続けられている北島敬三の「PORTRAITS」のシリーズ。特徴のない白いYシャツを身につけた男女のモデルの正面にカメラを据え、同じ距離、同じフレーミング、同じ白バックのフラットなライティングで撮影。それを横位置、ほぼ等身大の大きさに引き伸ばし、フレームにおさめて均等に壁面に展示する。今回のRat Hole Galleryの展示では、「中年の東洋人の男性」4点、「若い東洋人の男性」6点、「若い東洋人の女性」4点のポートレートが展示されていた。それらの写真は髪型や髪の分け目、顔の皺などが少しずつ異なっており、明らかに一定の期間を経て何度も撮影されていることがわかる。
この「PORTRAITS」のシリーズについては、今後は判断を保留していきたい。なぜなら、何を書いても北島があらかじめ設定した「鋳型」に押し込められてしまいそうだからだ。写真を見ているうちに、この取り澄ました画面全体に無数の白蟻をたからせて、ぼろぼろに穴をあけて崩したくなってきた。狭い通路に想像力を閉ざしてしまうようなこの種の強制力は、まったく「写真的」ではないと思う。北島は最近になって、「PORTRAITS」以前に撮影していたスナップショットの封印を解き、ふたたび積極的に発表しはじめているが、それはどういうことなのか。彼の写真家としての生命力がそれを求めはじめているのではないか。東京都写真美術館で開催される「KITAJIMA KEIZO 1975-1991」(2009年8月29日~10月18日)では、そのあたりを再確認してみたい。

2009/06/03(水)(飯沢耕太郎)

張照堂「歳月・一瞥」

会期:2009/06/01~2009/06/12

PLACE M[東京都]

1943年生まれの張照堂(Chang, Chao-Tang)は台湾を代表する写真家の一人。日本でいえば木村伊兵衛と土門拳を合わせたような存在で、台湾では若い世代の尊敬を集めている。その彼の1970年代以降の代表作を集めた展覧会が、東京・新宿のPLACE Mで開催された。あまりまとめて作品を見る機会がない写真家なので、貴重な展示といえるだろう。
コントラストの強い、モノクロームのスナップショットに写っているのは、さまざまな場所で繰り広げられる、奇妙な仮面劇のような場面(実際に仮面をつけたり、厚く化粧したりした人物の姿が目立つ)である。その画面に封じ込まれたモノも人間も動物も、なんとも不可思議な気配を漂わせている。ユーモラスで、ちょっと不気味で、どこか肉感的でもあるそれら「異物」の存在感がとても魅力的だ。どういうわけか、会場の照明が観客の動きに反応して点滅するようになっていた。観客が作品に近づくとセンサーが働いてライトが点く仕掛けなのだが、それが作品の雰囲気に妙にはまって、仮面劇の効果を強めているのが面白かった。

2009/06/02(火)(飯沢耕太郎)

内野清香「6つの部屋」

会期:2009/05/09~2009/05/30

art & river bank[東京都]

1980年生まれ、2006年に東京綜合写真専門学校夜間部を卒業した内野清香の初個展。「他人の夢」を写真で辿り直し、再構築すると言う試みである。たとえばこんな夢。

──幼馴染みの友達に小学校で公開デッサンがあると連絡があって見に行く。会場に到着するとすでにデッサンが始まっていて、部屋は薄暗い。客は俺一人。モデルは机と椅子を重ねた上に座っている。画家がモデルの周りで考え事をしたかと思うと、ナイフを取り出した。いきなり「根拠を証明する」とか言って、モデルの左目からこめかみにかけてナイフで斬りつけた。モデルは前を向いたままじっとしている。モデルの周りを一周したところに、誰かが入ってきて「そいつの名前はピンクフロイドっていうんだよ」と言った。

こんな感じの6つの夢が、2~6枚程度の写真で再演されるとともに、テキストを読む声がCDから流れるようにセットされている。「他人の夢」を共有し、「誰のものともわからぬ物語」を生み出していくというアイディアは悪くない。もちろん、その再構築のプロセスがあまりうまくいっていないものもあるが、もう少し数を増やして(同時にレベルに達していないものを淘汰して)いけば、見応え、聴き応えのあるシリーズに成長していきそうだ。

2009/05/30(土)(飯沢耕太郎)