artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

林田摂子「箱庭の季節」

会期:2009/03/30~2009/04/16

ガーディアン・ガーデン[東京都]

1976年生まれの林田摂子は、2006年の第27回「写真ひとつぼ展」に「森をさがす」という作品を出品した。僕はこの時の審査員だったので、彼女がグランプリ受賞を逃したのがとても残念だった。たしか5人の審査員の票が2対3に分かれて、惜しくも受賞できなかったと記憶している。
だから今回、グランプリ受賞者以外の作家に展示の機会を与える「The Second Stage」という枠で彼女の個展が実現したのは本当によかったと思う。今回発表したのは、長崎の母方の実家を撮影した「箱庭の季節」というシリーズ。実家はお寺で、祖母と伯父、伯母、その子どもたちの姿が、彼らを取り巻く環境ごとゆったりと写し出されている。いわゆる「里帰り写真」の系譜にあるもので、テーマにとり立てて新鮮みはないが、目のつけどころがしっかりしていて、自分のリズムに見る者を誘い込んでいく写真の並べ方がうまい。小説でいえば、「文体」がきちんと整っていて、安心して文章の流れに身をまかせていられるのだ。淡々とした日常の場面に、ふとエアポケットのようなほの暗い裂け目を感じるが、その入れ込み方に才能の閃きを感じる。もっと「成長」が期待できそう。大切に守り育てていってほしいシリーズである。
それにしても「森をさがす」はいい作品だった。こちらはフィンランドを舞台に、「底の底の一番大切なものは静かにあり続ける」(本展のチラシに寄せた林田のコメント)という言葉がぴったりの、さらに奥深い、一度見たら忘れがたいシリーズである。写真集にまとめられるといいと思うのだが、どこかに奇特な出版社はないものだろうか。

2009/04/02(木)(飯沢耕太郎)

本城直季「ここからはじまるまち Scripted Las Vegas」

会期:2009/03/04~2009/04/12

epSITE(エプサイト) ギャラリー1[東京都]

2007年に本城直季が第32回木村伊兵衛写真賞を受賞した時には、4×5判カメラの「アオリ」を使ったピントの操作だけでこの先持つのだろうかとやや心配だった。典型的な「一発芸」かとも思っていたのだが、その心配は杞憂だったようだ。広告写真の分野でのその後の活躍は予想以上だし、今回の「ここからはじまるまち Scripted Las Vegas」でも、空撮に果敢に挑戦して新境地を開いている。
それにしてもラスベガスとはうまい被写体を選んだものだ。本城自身も展覧会の解説で書いているように、「都市はどのように構成されているのか?」という疑問に答えるのに、ラスベガスは最適の街である。この砂漠の中の人工都市では「中心地、商業地、住宅地、郊外、道路、工場、エネルギー施設など都市を形づくる構成要素がとてもシンプルに露出している」からだ。1936年に巨大なフーバーダムができたことで、ラスベガスはある種の実験都市として発展していく。ホテルと遊園地が合体した建物に代表される、その虚構性、人工性、遊戯性を浮かび上がらせるのに、本城お得意の風景をミニチュア化する「アオリ」の手法はまさにぴったりなのだ。
展示されている写真の中に「The MIRAGE」というホテルが写っているのを発見したときには、思わずニヤリとしてしまった。本城も「これだ」と思ったのではないだろうか。「MIRAGE=蜃気楼」。ラスベガスの本質が、この名前によって見事に表象されている。

2009/04/01(水)(飯沢耕太郎)

安斎重男作品展「Unforgettable Moments」

会期:2009/03/24~2009/04/25

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

今年古希を迎えた安斎重男は、1960年代からアーティストたちの仕事の現場に寄り添いつつ、彼らのポートレートを撮影し続けてきた。その作家活動40年を記念して開催されたのが今回の展示。イサム・ノグチ、ヨーゼフ・ボイス、瀧口修造、大野一雄など、既に故人になったアーティストも含めて、錚々たる顔ぶれのポートレートが並ぶ。安斎の撮影手法はスナップショットに徹しているので、写真を見る者はアーティストたちがいる空間に直接招き入れられているような、とても親しみやすい雰囲気を感じるだろう。あまり自分の主観を押しつけることなく、あくまでも傍観者として撮影している点も気持ちがよい。
もう一つ、彼の写真の魅力を高めているのは、印画紙の画面の余白に書き込まれたキャプションだろう。アーティストの名前や、撮影年だけでなく、たとえば愛蔵の西洋人形を「いとおしむ様にポーズする瀧口修造。特別なストーリーがあるのだろうとそっとシャッターを切る」という具合に、さりげなく被写体とのかかわりやサイド・ストーリーを記しているのだ。内容もさることながら、手書きの字の配列が実に巧みで、画像と響き合っているのが目に快い。そのあたりにも、長年鍛え上げられた「藝」の力があらわれているといえるのではないだろうか。

2009/04/01(水)(飯沢耕太郎)

太田順一「父の日記」

会期:2009/03/18~2009/03/31

銀座ニコンサロン[東京都]

これはすごい写真展である。会場にはノートのページを克明に複写したプリントがずらりと並んでいる。つまり手書きの文字だけが目に入ってきて、他には何もない。ノートに記されているのは「父の日記」である。写真家の太田順一の父、中野政次郎は1920年の生まれ。妻に先立たれた1987年頃から87歳で亡くなるまでの20年間、「毎日欠かさずきちょうめんに」日記をつけ続けた。昔気質の、あまり趣味もないまじめな人柄なので、記されているのは朝起きて、食事をおいしく食べたといった類の、身のまわりの出来事だけである。あまり波風も立たないその記述が、死の2年前、認知症の症状が出て老人施設に入所する頃から大きく変わってくる。「ボケてしまった」、「毎日がつらい」というような同じ言葉が何度も綴られ、字は錯乱し、殴り書きに近くなってくる。それはまさに「父の脳を襲った困惑の嵐のその痕跡」としかいいようのないものだ。
それらの写真を見て、書かれている文字を辿っていくうちに、凡庸なドキュメンタリー写真では決して味わうことができない異様な感動を覚え始める。太田が記しているように、誰もが「遠からず訪れる自分自身の生」に対する思いを巡らさないわけにはいかなくなるのだ。ぼく自身、つい先日父親を亡くしたばかりだったので、写真を見ながら深い感慨に捉えられてしまった。それにしても、太田順一という写真家はただ者ではない。ノートのページを複写して展示するという、単純だがこれしかないアイディアを衒いなく実行してしまうところに、ドキュメンタリストとしての底力を感じる。彼には『日記・藍(らん)』(長征社、1988)という、本作と対になる素晴らしい写真集もある。こちらは自分の幼い娘の生と死をぎりぎりまで凝視し続けた写真日記。この二つの作品を見比べると、より彼の仕事の凄みが増してくるだろう。

2009/03/26(木)(飯沢耕太郎)

本橋成一『バオバブの記憶』

発行所:平凡社

発行日:2009年3月10日

バオバブという樹にはとても思い入れがある。ご他聞に漏れず、僕もこの樹の存在を初めて知ったのは、サン=テグジュペリの『星の王子さま』だった。そこでは、惑星を破壊してしまう怖い樹として描かれているが、実際によく東アフリカに行くようになってバオバブを見ると、ずんぐりとした姿がどことなくユーモラスで愛嬌があって、すっかり好きになってしまった。雨季の終わり頃には、ぶらぶらと大きな実が風に揺れている、バオバブには「人が生まれた樹」という伝承もあるが、本当にその中に赤ん坊が入っていそうでもある。
本橋成一もバオバブにすっかり取り憑かれた一人で、35年前に仕事で滞在していたケニアで初めて出会って以来、マダガスカル、インド、オーストラリアなどでも撮影を続けてきた。今回はとうとう西アフリカのセネガルに長期滞在し、写真集だけでなく、同名の記録映画(渋谷・イメージフォーラム、ポレポレ東中野でロードショー上映)まで作ってしまった。どちらもモードゥという少年とその家族を中心に、バオバブの樹とともに生きる村の暮らしを丁寧に描いていて、味わい深い出来栄えである。僕のようなバオバブ好きにはたまらない作品だが、たとえ実際に見たことがない人でも共感できるのではないだろうか。われわれ日本人のなかにもある、「鎮守の森」を守り育てるようなアニミズム的な自然観に、バオバブの樹のどこか懐かしい佇まいはぴったりフィットするように感じるのだ。
なお、やはり「バオバブの記憶」と題された写真展も、東京・大崎のミツムラ・アート・プラザで開催(2009年3月9日~31日)された。写真集と同じ写真が並んでいるのだが、大伸ばしのクオリティがやや低いように感じた。デジタルプリントの精度が上がってきているので、逆にプリントの管理が甘いと目立ってしまう。

2009/03/24(火)(飯沢耕太郎)