artscapeレビュー
初期伊万里展──日本磁器のはじまり
2012年08月01日号
会期:2012/06/10~2012/09/23
戸栗美術館[東京都]
戸栗美術館が所蔵する古伊万里の優品のなかから、色絵磁器が登場する1640年代以前の「初期伊万里」と分類される作品を見る展覧会。日本で磁器が焼かれるようになったのは1610年代。文禄・慶長の役の際に連れ帰った朝鮮人陶工がその技術をもたらしたといわれている。技術的には完成途上にあり、器の形も絵付けも安定していないが、いびつな形にも美しさを見ることができるのは、陶磁器鑑賞の楽しみのひとつである。
今回の展覧会で初期伊万里以上に印象に残ったのは、「波佐見焼の系譜と現在」と題した1階やきもの資料室の展示である。ここでは近年デザインに力を入れたものづくりを積極的に行なっている波佐見焼とその歴史を解説している。輸出港の名前から肥前磁器は「伊万里焼」と総称されるが、じっさいには、有田、波佐見、伊万里で、地域ごとに特徴ある製品が焼かれていた。たとえば初期伊万里の時代には、有田では染め付け、波佐見では青磁が主力製品であった。オランダ東インド会社を通じて海外に輸出されるようになると、有田では高級品、波佐見では下手といわれる日用の量産磁器の生産が行なわれる。18世紀、輸出が止まり需要が国内にシフトしたあとは、波佐見は「くらわんか手」と呼ばれる安価な磁器を大量に生産し、陶磁器の使用を庶民階級にまで普及させていった。そして明治以降、波佐見は銅版転写や石膏型の使用など、さらなる量産技術を積極的に導入していく。
問題は波佐見焼のブランド・イメージである。江戸期には伊万里焼と呼ばれ、明治以降は有田駅から全国に出荷されたために有田焼と呼ばれるなど、産地である波佐見の知名度は低かったものの、量産技術を発達させたおかげで、1990年代初めには全国の日用食器の3分の1ものシェアを占めていた 。ところがそれ以降、中国・東南アジア製品におされ、現在の国内シェアは13%程度にまで低落している。日用品であってもブランドを確立しなければ、品質が向上したアジアからの輸入品に対抗できない。知名度の低さを打開すべく、波佐見では2000年前後からデザイナーとコラボレーションを行なったり 、新たな用途の製品を開発したり 、複数の窯で共通のデザインを採用する など、デザインによる産地のブランド化に乗り出しており、今回の展示でも機能性を高めた新たなデザインの製品がいくつも紹介されている。そういえば、森正洋のデザインによる量産日用陶磁器を生産してきた白山陶器もまた波佐見の会社であった。なるほど、「作家もの」にいくのではなく、量産陶磁器にデザインが持ち込まれてきた背景には、伊万里焼のなかで波佐見がおかれてきた歴史的経緯があるのだ。古伊万里の歴史から現代の産地が抱える問題までを一本の糸で結ぶ今回の展示は、なかなか意欲的である。[新川徳彦]
2012/07/04(水)(SYNK)