2019年09月15日号
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artscapeレビュー

陶芸の提案 2012

2012年04月01日号

会期:2012/02/20~2012/03/03

ギャラリー白[大阪府]

大阪のギャラリー白で毎年開催されている若手陶芸作家展。今回はギャラリー白と白3での展示に11名が参加した。秀作揃いの作品をみていると、20-30代の美術家がなぜ、表現手段として陶を選んだのかなどの疑問を抱くこと自体、無意味に思えてくる。どれほど新しいメディアが開拓されようとも、新旧各々のメディアにはそれのみが持ちうる性質があるという当たり前のことに気づかされるからだ。
 木野智史の《翠雨》はその土という素材のみが持つ質感だけがそこにあるような印象をもたらす[図1]。ラッパ型に丸められた、紙のように薄い磁器土は轆轤と焼成の技術を駆使したものには違いない。だが、木野の作品をみていると、土という素材が、たとえ機械仕上げのように滑らかな表面に仕上げられるにせよ、人間の手の痕跡をその内部に抱き続ける素材であるということを考えずにはいられない。そして、木野の手の痕跡は、抽象的な空間美へと昇華させられている。
 対照的に、増田敏也の陶の野球ボールがモニターの内部から画面を突き破って外に飛び出す作品は、その「手の痕跡」とハイテクとのあいだで宙づりになるジレンマを吐露するかのようだ[図2]。1977年生まれの増田の心象風景は、幼い頃テレビゲームで遊んだ初代スーパーマリオの粗いドットの画像であるという。彼は、虚構が虚構としての記号を有していた最後の時代の証人のごとく、重い陶の野球ボールを初代マリオと同様、粗いドットでつくる。このボールは増田自身の投影であるのか? そのボールはデジタル世界から外の物質世界へと抜け出て、ふたつの世界の境界であるモニター画面の破片とともに落下するのだ。ここに暴き出されているのは、もはや現実と虚構の境目にしか居場所がなくなった現代人の姿であるのかもしれない。[橋本啓子]

1──木野智史《翠雨》、2012
2──増田敏也《Low pixel CG 「場外」》、2012
ともに撮影=南野馨

2012/03/03(土)(SYNK)

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