artscapeレビュー
ペイズリー文様──発生と展開
2012年03月01日号
会期:2012/01/27~2012/03/14
文化学園服飾博物館[東京都]
ネクタイ、スカーフ、バンダナ、シーツ。自分の身の回りを見ただけでも、さまざまなテキスタイル製品にペイズリー柄を見ることができる。ペイズリー文様とはいったいなにか。辞書には植物文様とあるが、なにをどうしたらあのような勾玉型の、複雑な文様になるのだろうか。この展覧会で私が長年抱いていた疑問が解けた。
展示解説によれば、ペイズリー文様の起源は、17世紀初めにインド北部カシミール地方の織物に現われた花模様である。当時のカシミール地方はイスラム支配下にあり、イスラム文様の影響のもとにこのような文様が現われたと考えられる。時代を下るにつれて、個別に描かれていた花模様はいくつかの葉をともなって樹になり、18世紀には花束へと変容する。19世紀初めには、さらに花と花とのあいだに別の花や小さな花束が加えられ、現在見られるペイズリー文様の原型が現われる。
同じ頃、このカシミール製のショールはヨーロッパに輸入され、大流行を見る。しかしながら、輸入品は非常に高価であったため、ヨーロッパで模倣品の生産が始まった。そしてヨーロッパにおけるショールの一大産地がスコットランドの都市ペイズリー(Paisley)であったために、この文様はペイズリーと呼ばれるようになったのである。生産ばかりではなくデザインもヨーロッパで独自に行なわれるようになったことにより、文様は新たな展開を見た。興味深いのは、ヨーロッパ人がこの文様をなにに由来したものと認識していたかである。ペイズリー文様は、フランスでは椰子やオタマジャクシ、イギリスでは松かさと呼ばれていた。花束が文様の起源であるという認識が希薄であったために、ヨーロッパでさらに独創的な形へと変容していったと考えられるのである。これは中国磁器のザクロ文がタマネギと間違えられ、マイセンでブルーオニオンと呼ばれる独自の文様を生み出したことにも似ている。ヨーロッパで展開した安価なペイズリー文様の製品は世界各地へと輸出され、今度はインドや他の地域で生産されるテキスタイルの文様にも影響を与えてゆく。今日でも日々新しいペイズリー文様がデザインされており、展覧会にはリバティ社(イギリス)がハローキティをモチーフにデザインしたペイズリー文様の生地も出品されている。ペイズリー文様は、商業と工業の発達が東西のデザインに交流をもたらし、その姿を変容・発展させていった好例のひとつなのである。[新川徳彦]
2012/02/18(土)(SYNK)