2022年10月01日号
次回10月17日更新予定

artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

パビリオン・トウキョウ2021、水の波紋展2021 消えゆく風景から ─ 新たなランドスケープ(後編)

[東京都]

先日見逃したキラー通り(外苑西通り)沿いの作品を見る。ワタリウム美術館にも何人か展示しているが、館内作品は省略。美術館の先のビルの裏に広がる空き地を舞台に、SAIDE COREが《地球 神宮前 空き地》(2021)と題して7組のアーティストをフィーチャーしている。空き地に柵を設けて導線をつくり、その先に駐車場の「Times」の黄色い看板を10枚ほど展示したり、スケボー用のスケートパークを設置したり。その脇には打ち捨てられた数台のキャリーケースのふた半分が切り取られ、なかに空き地の雑草が移植されている。さらにその奥にはバリー・マッギーが落書きした小屋があり、見上げるとビルの屋上の看板に描かれたマッギーのグラフィティが目に入るという趣向だ。その空き地の一角に、何台もの監視カメラを取り付けた小屋が建っているのだが、周囲をブルーシートで囲われて立ち入り禁止になっている。あれはなんなの? そんなナゾも含めて、この空き地が「水の波紋」のなかでいちばん「波紋」を呼んだ作品だ。



SIDE CORE《地球 神宮前 空き地》[筆者撮影]



バリー・マッギー《無題》(2019)[筆者撮影]


さらに進むと、新国立競技場の手前の空き地に野菜を植えたファブリス・イベールの《たねを育てる》(2008)がある。「アートで街を野菜畑にする」というプロジェクトで、江戸野菜を育てているそうだ(「水の波紋展2021」)。その先に建つのは、「パビリオン・トウキョウ」の藤森照信の《茶室「五庵」》(2021)。芝に覆われた台形の基壇の上に、見晴らし台のような茶室を載せたつくり。予約しなかったので入らなかったが、イベールの畑ともども都会のど真ん中にこんな田舎の時空が出現するのは悪くない。



藤森照信《茶室「五庵」》[筆者撮影]


思えば、最初の「水の波紋95」が開かれたのは、バブル崩壊後とはいえ、まだ日本経済に勢いのあった時代。ところがその後、経済的には停滞しているのに、2度目のオリンピックもあって東京は再開発に沸き、このへんの風景もだいぶ変わったし、また現在も変わりつつある。今回の「水の波紋」はそんな変わりつつある都市の隙間を見つけ、うまく作品を潜り込ませることができたと思う。その点では、建築家が主体となって訪日客に日本文化を紹介しようとした「パビリオン・トウキョウ」より刺激的だった(もっとも「パビリオン・トウキョウ」の企画もワタリウム美術館だが)。もうこうなったら、「水の波紋」は4半世紀に一度、「パビリオン・トウキョウ」は次の東京オリンピックが開かれる半世紀後(?)くらいに、また開いてみたらどうだろう。25年と50年に一度の芸術祭。そうすれば、都市の変化と同時にアートの移り変わりも浮き彫りにされるはずだ。

パビリオン・トウキョウ2021

会期:2021/07/01〜2021/09/05
会場:新国立競技場周辺エリアを中心に東京都内各所
ビクタースタジオ前/明治神宮外苑 いちょう並木入口/国際連合大学前/旧こどもの城前/渋谷区役所 第二美竹分庁舎/代々木公園 パノラマ広場付近/kudan house庭園/浜離宮恩賜庭園 延遼館跡/高輪ゲートウェイ駅 改札内
公式サイト:https://paviliontokyo.jp/

水の波紋展2021 消えゆく風景から — 新たなランドスケープ

会期:2021/08/02〜2021/09/05
会場:東京・青山周辺 27箇所(岡本太郎記念館、山陽堂書店、渋谷区役所 第二美竹分庁舎、テマエ、ののあおやまとその周辺、梅窓院、ワタリウム美術館とその周辺)
公式サイト:http://www.watarium.co.jp/jp/exhibition/202108/

2021/08/18(水)(村田真)

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益子と笠間の建築

[栃木県]

隈研吾の弟子筋にあたるMOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIOによる《道の駅ましこ》(2016)は、木造の集成材による大スパン建築を実現し、ダイナミックな空間構造をもつ。さすが日本建築学会賞(作品)(2020)とJIA日本建築大賞(2017)の両方に選ばれた作品である。そして商業施設としても楽しい。道の駅という難しいビルディングタイプを見事に「建築」化している。



《道の駅ましこ》



《道の駅ましこ》


また内藤廣の設計による《フォレスト益子》(2002)は、一般人もすぐにわかるような隈研吾的なデザインの署名性はないが、専門家には了解できる湾曲するかたちと構造の調和が素晴らしい。また、それを引き立てる外構のランドスケープ・デザインも巧みである。



《フォレスト益子》


伊東豊雄の《笠間の家》(1981)は、陶芸家の里中英人のアトリエ兼住居として建てられたが、施主が亡くなった後、笠間市に寄贈され、改修を経て、一般見学できるようになった。ちなみに、笠間と益子は陶芸のまちである。現在、この建築はギャラリーや創作工房として利用できるほか、カフェとして簡単な飲食も提供していた。正直、隈建築とは対照的にインスタ映えしない外観だし(木の影が白い外壁に重なる場面はあるが)、小さい写真だと空間の良さはあまり伝わりにくい。だが、これは実際に内部を体験しないとわからない超名作だった。湾曲する居間のヴォリュームは、《中野本町の家》(1976)を彷彿させるが、外にも開いている。

まず圧倒的なデザインの密度によって、複雑なかたちと空間が設計されている。当時の伊東は40歳前後だが、まだ公共建築の仕事は手がけていない。それゆえか、膨大なエネルギーを住宅につぎ込んでいる。歩きまわると、絶妙なデザインで組み込まれた書斎の本棚、作り付けの机、寝室のクローゼットに隠されたトイレなど、さまざまな場面に遭遇するだろう。さらに《笠間の家》では、大橋晃朗による個性的な家具が彩りを添える。まるで公共建築に挑むかのようなデザインの量が凝縮され、豊かな空間が出現した。改めて、近年こうしたかたちで勝負する建築が減っているかもしれないと思う。外に開く、コミュニティなどが主要なキーワードとなり、複雑なデザインの操作が行なわれていないからだ。われわれはポストモダンを過小評価するあまり、かたちと空間の強度と可能性を忘れているのではないか。



《笠間の家》



《笠間の家》



《笠間の家》内のギャラリー



《笠間の家》内のリビング

2021/08/15(日)(五十嵐太郎)

境町の隈建築群

[茨城県]

シラスの建築系チャンネルの隈研吾特集「建築が嫌われた時代の建築論──批評家・思想家としての隈研吾を読む」(7月14日放送)でゲストに迎えた『隈研吾建築図鑑』(日経BP社、2021)の著者、宮沢洋氏が、茨城県の境町が面白いというので行ってきた。小さな自治体だが、なんと6つもの隈建築が集中している。確かに傾いたルーバーが張り付いた道の駅さかい内《さかい河岸レストラン 茶蔵》(2019)や、木組みが導入された《さかいサンド》(2018)を訪れると、多くの人で賑わっていた。しかも無料の配布物では、世界的な建築家の名前を全面にアピールしている。もっとも、予算が十分にあるプロジェクトではない。干し芋の繊維をルーバーで表現したカフェ《S-ブランド》(2021)のほか、L字に連結する《S-Lab》(2020)や《S-Gallery》(2020)など、わずかなデザインの操作を伴う。が、国立競技場のような巨大な施設を手がける一方、シークレットワークになりそうな小さい物件も発表しているのが、隈研吾の特徴だ。それゆえ、境町の建築群は、地元で歓迎され、町おこしにも一役買い、ひいては建築家の存在を社会に知らしめることに貢献している。



《さかい河岸レストラン 茶蔵》



《さかいサンド》



《S-ブランド》



《S-Gallery》奥が《S-Lab》


個人的に興味深く思ったのは、小さい写真では一番わかりづらい《モンテネグロ会館》(改築2020)の空間が良かったこと(古材は構造でなく、装飾だが)。逆にルーバーを用いた建築は、サムネイル的なサイズでも写真映えする。



《モンテネグロ会館》


ところで、境町では、フランスのNavya社の自動運転バス「アルマ」を公道で定常運転していた。筆者が訪れた翌週、名古屋で同じバスの実証実験を開始というニュースが流れたことを踏まえると、こちらの方が先駆的なのかもしれない。



自動運転バス「アルマ」


さて、境町の次に足を運んだのは、今年オープンした同じ茨城県の《廣澤美術館》(2021)である。これも隈が設計したものなので、7作品を連続で見学した。デザインはシンプルにして明快であり、庭園に囲まれた三角形のプラン、6,000トンの力強い巨石が外壁を隠し、細い梁の列が天井を走る。なるほど、展示壁ゆえに開口は不要だから、壁が多くなるわけで、それを自然石で装飾している。もっとも、トップライトによって導かれたライティングダクトの位置のせいか、照明によって額縁の影が、かなり長く出ていたのが気になった。



《廣澤美術館》

2021/08/14(土)(五十嵐太郎)

山形で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき

会期:2021/07/17~2021/08/27

山形美術館[山形県]

今年見た展覧会では、もっともインパクトのある企画だった。国立西洋美術館が長期の休館に入っていることから、貴重なコレクションが貸与されたものだが、通常ならば、ただの名品展になりかねない。実際、本展をそのように鑑賞している来場者は圧倒的に多そうだった。しかし、別のレベルで意欲的な試みがなされており、断続的に挿入される長い説明文を読んでいくと、日本における西洋美術の受容というテーマを軸に、山形美術館と国立西洋美術館のコレクションと交差させながら、ダイナミックな三部構成が提示されている。すなわち、山形の地元彫刻家・新海竹太郎の渡欧体験、1900年パリ万博訪問、留学先の記憶/西洋美術館のコレクション形成史と建築の軌跡/再び山形に戻り、「洋画」の展開をたどる。もうひとつの開催地の高岡市では、おそらく第一章(林忠正と本保義太郎に変更)と第三章を入れ替えた展示になるはずだ(確認すべく、見に行こうと考えている)。ちなみに、山形美術館は、フランス近代絵画を核とした吉野石膏コレクションが寄託されており、国立西洋美術館の作品群とも出会う。

新海は上野の近くに暮らしたが、自らの死後、西洋美術館が存在する未来を想像できたであろうか、というテキストが、第一章と第二章を架橋する。作品解説の枠を超えた内容に尋常ならぬものを感じ、閉館が迫っており、限られた時間しか滞在できなかったため、カタログがない可能性も想定し(山形美術館ではありうる)、とにかく会場で文章だけは全部読むことにした。実のところカタログにはすべての文章は収録されていたが、上段に山形、下段に高岡に関する文章を並行させた構成、しかも文体や言いまわし、段落の構成も意図的にそろえた本の造りは見事である。これは新藤淳が中心になって企画したコレクションの展覧会だが、新しい形式の発明と言えるだろう。

またコロナ禍において、海を渡る作品の貸し借りが難しくなり、コレクションを見直して、有効に活用すること、あるいは簡単に西洋に行けず、改めて「遠く」を想像する意味を考えるという意味で、本展は時節にあう企画だ。ところで、会場の最後には、新海と本保をつなぐ仕かけとして、2人が並ぶ書籍を紹介していたが、カタログにはない。あとから見つかり、追加された資料なのだろうか。

★──高岡市美術館では「高岡で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき」に改題。(会期:2021年9月14日~10月31日)

2021/08/09(月)(五十嵐太郎)

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山形(金山町、新庄市、銀山温泉)の建築群

[山形県]

山形県の金山町を歩く。地域住宅計画、街並み景観条例、1978年から続く住宅建築コンクールなど、長い時間をかけた努力の甲斐あって、なるほど街並みの景観がよく揃う。金山スタイルというべき意匠も確立されている。林寛治、片山和俊らの東京藝大系の建築家が関与し、明治時代の土蔵をカフェやギャラリーに転用した《街角交流施設 マルコの蔵》(2012)と広場や、《街並み交流サロン ぽすと》(1936年竣工の旧郵便局)などのリノベーション(2000)、あるいはきごころ橋、小学校、役場などの現代建築を手がけ、ただ古建築を保存するだけでなく、新旧の魅力を融合した。また金山スタイルではないが、やはり藝大出身の益子義弘による森林に囲まれた火葬場が素晴らしい。



《街角交流施設 マルコの蔵》



《街並み交流サロン ぽすと》



益子義弘による火葬場


新庄市では、急勾配のとんがり屋根をもつ《雪の里情報館》の展示棟(旧農林省積雪地方農村経済調査所庁舎、1937)に立ち寄った。これは考現学で有名な今和次郎が設計した建築である。彼は青森県・弘前の出身だから、大雪がもたらす状況をよく知っていたはずである。もともとは雪害対策を調査するために設置された建築だが、第5展示室ではシャルロット・ペリアン訪問の展示があり、彼女がとてもお茶目なキャラクターだったエピソードを伝える。



《雪の里情報館》の展示棟(旧農林省積雪地方農村経済調査所庁舎)


また《新庄市エコロジーガーデン「原蚕の杜」》(2002)では、工学院大学の富永祥子研究室ほかによる1930年代の蚕糸試験場のリノベーションを見学した。外観は当初の状態に復元し、2階は見えない部分での耐震補強を施し、2021年の初頭に3棟の改修工事が完了している。旧第4蚕室は、創造交流館として再生し、とても良い雰囲気の「おやさいcafé AOMUSHI」、スタジオ、オフィスなどが入る。



富永祥子研究室ほかによる蚕糸試験場のリノベーション


銀山温泉は、エリアの手前で自動車を降りて、歩いていくことになるが、うねる細い川の両岸に宿がぎっしりと並ぶ風景が印象的だった。大正時代に建設された《能登屋旅館》(1921)など、よくできた和洋折衷が興味深い。一方、隈研吾による《藤屋》(2006)は、外に屋号すらも示さない、すっきりとしたミニマルなデザインや繊細なルーバーによって、賑やかな宿が多い環境において逆に存在感を示していた。



《能登屋旅館》



左が隈研吾の《藤屋》

2021/08/08(日)(五十嵐太郎)

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