artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
「木で創る─その蓄積と展開─」/金沢21世紀美術館コレクション展1「うつわ」
[石川県]
谷口吉郎・吉生記念金沢建築館の第5回企画展「木で創る─その蓄積と展開─」は、同館が2019年にオープンして以来、大型の模型がもっとも数多く集まった内容だった。導入部では、金沢工業大学の学生が制作した壁が出迎え、その向こうにやはりこれまでになく大きな断面図(1/10の妙成寺五重塔や1/100のW350計画=木造超高層建築物)、映像、そして実物の杉板材が控える。展示室の内部は、左側に「伝統木造の蓄積」、奥に震災や台風の災害を紹介する「都市化と木造建築」、右側に「新木造の展開」という構成だった。すなわち、石川県のチカモリ遺跡環状木柱列や福井県の一乗谷朝倉市遺跡朝倉館跡など、古建築から、金沢駅鼓門、金沢エムビル、ニプロハチ公ドーム(大館樹海ドーム)、スイスのSWATCH新本社など、現代木造の挑戦まで、北陸の事例を交えながら紹介している。とくに迫力があったのは、いずれも縮尺1/10の正福寺、南大門、光浄院の巨大模型である。所蔵は東京国立博物館だが、普段は金沢工業大学のキャンパスに設置されているものだ。近年、建築界では、木を使うことが注目されているが、改めて過去から現在、そして未来への展望をつなぐ試みである。戦災や震災がなく、木造建築が多く残る金沢ならではの企画だろう。実は金沢は、全国でもめずらしい金沢職人大学校が運営されており、各種の職人技や、歴史建造物の修復などを学ぶことができる。しかも学費が無料だ。
「木で創る─その蓄積と展開─」展 展示風景
金沢工業大学の学生が制作した壁
1/100のW350計画=木造超高層建築物
金沢エムビル
金沢工大に置かれている東大寺南大門模型
金沢21世紀美術館では、コレクション展1「うつわ」において、金沢らしい建築家の作品が展示されていた。奈良祐希による「Frozen Flowers」シリーズのインスタレーションである。彼は金沢に拠点を置く建築家であり、昨年は期待の若手が集うU-35の展覧会にも参加していた。そこでも陶芸作品を展示していたが、陶芸家としても活動している。東京藝大の大学院のときに休学し、多治見市の陶芸学校に行ったことがきっかけらしい。金沢21世紀美術館では光庭において炎のゆらぎをイメージさせる作品群を並べている。これらはCADを用いた造形だが、今回そのドローイングもとても美しいことに気づいた。会場では、白い壁にドローイングを貼っていたが、2次元だからこそ不安定な線が想像力を膨らませる。
「Frozen Flowers」シリーズ
奈良祐希のドローイング作品
第5回企画展「木で創る─その蓄積と展開─」
会期:2022年6月25日(土)~11月27日(日)
会場:谷口吉郎・吉生記念金沢建築館
(石川県金沢市寺町5-1-18)
コレクション展1 うつわ
会期:2022年5月21日(土)~10月16日(日)
会場:金沢21世紀美術館
(石川県金沢市広坂1-2-1)
2022/07/09(土)(五十嵐太郎)
名古屋造形大学と「just beyond」展
会期:2022/05/21~2022/06/25
名古屋造形大学[愛知]
今春、名古屋造形大学が都心に移転し、新しくつくられた名城公園キャンパスを訪れた。設計者の山本理顕は、これまでにも埼玉県立大学、公立はこだて未来大学、宇都宮大学、横浜国立大学において教育施設を手がけてきたが、今回のプロジェクトはグリッドにもとづく白い空間が全面的に展開し、実験的な場を探求した傑作である。いわゆる塀や正門はない。地上レベルでは、四隅に大きなヴォリューム(カフェテリア、図書館、ホール、体育館)を配しつつ、街並みの延長のように、大小の直方体群が散りばめる。これらの上部に5つの領域(美術表現領域や地域社会圏領域など)が交差する開放的な大空間をのせ、四方にテラスを張りだす。ストリートのような幅が広い廊下、各種の工房、教員のスペースなど、徹底した透明な空間である。必然的に各領域の学生や教員が、互いの創作の現場を意識し、コラボレーションを生みだすことが想定される。さらに今後、大学の活動が、まわりの集合住宅や近くの商店街とも連携をはじめると面白くなるだろう。
《名古屋造形大学 名城公園キャンパス》外観
地上レベル
建築系のエリア
工房が並ぶエリア
テラスから名古屋城を見る
幅が広い廊下のある上部のヴォリューム
名古屋造形大学ギャラリーのオープニング企画展「just beyond」も開催されていた。地上レベルのギャラリーのほか、2つの独立した直方体のスペースも会場に用いており、あいちトリエンナーレの街なか展開にも使えそうな空間だろう。作品としては、白い半屋外の空間を意識した渡辺泰幸による無数の小さな陶製の鈴を吊り下げたインスタレーション、屋外ギャラリー平面構成チーム(建築・デザイン系の教員ら)が再構成した旧キャンパスにあった廃棄予定の什器群、蓮沼昌宏による旧キャンパスのイメージをもとにした絵画があり、圧巻はホワイトキューブに展示された登山博文の大きな絵画だった。名古屋造形大で教鞭をとり、昨年末に亡くなった登山のあいちトリエンナーレ2010に出品した大作を12年ぶりに展示するにあたっては、彼のアトリエから運びだし、関係者が苦労して設営する記録映像も、小さい別棟で紹介している。すなわち、「just beyond」展は、旧キャンパスの記憶と新キャンパスの未来をつなぎ、バトンタッチする試みと言えるだろう。
渡邊泰幸と屋外ギャラリー平面構成チームの展示風景
蓮沼昌宏の展示風景
登山博文の展示風景
2022/06/10(金)(五十嵐太郎)
題名のない展覧会─栃木県立美術館 50年のキセキ
会期:2022/04/16~2022/06/26
栃木県立美術館[栃木]
学生のとき以来だから、宇都宮の《栃木県立美術館》を訪問したのは20年以上ぶりになる。確か、初めてこの建築の存在を知ったのは、世田谷美術館の「日本の美術館建築」展(1987)で紹介されていたときである。《栃木県立美術館》は、大阪万博の《万国博美術館》(旧国立国際美術館、1970)も手がけた川崎清が設計し、1972年に開館したから、日本において早い時期に登場した県立美術館だろう。樹木を象徴的に残し、それを映しだすハーフミラーの外観が特徴である。塔状のヴォリュームでありながら、存在感を消すようなデザインは、近年の建築の動向と共振するだろう。意外に古びれていない。もっとも、段状の広場を囲むガラス面は、作品への日射の影響から後に不透明になり、当初の外部と内部が連続するような空間ではなくなっていた。またセキュリティのためとはいえ、屋外彫刻を展示する広場が、隣接する公園に対し、閉ざしているのももったいない。ここはアクティビティをもたらす、効果的な場として活用できるはずだ。ちなみに、直交座標系で完結させず、壁の角度を振った内部の空間体験は今も楽しい。
栃木県立美術館
研究員の案内で、常設展示のエリアも含む(1981年にオープン)、全館をフルに用いた50周年記念の「題名のない展覧会─栃木県立美術館50年のキセキ」をじっくりと鑑賞した。プロローグとしてコレクション無しの状態から発足した美術館誕生の経緯(模型や図面、建築雑誌において紹介されたページなど)、基金を活用した購入作品(コロー、モネ、ターナーなど)、調査研究をもとに企画した展覧会群、美術館が所有する名品、女性アーティストへのフォーカス(福島秀子ら)、西洋の挿絵本、「美術館と同級生」として1972年に制作された作品、21世紀の栃木の現代美術、栃木の建築や風景を表現した作品群など、さまざまな角度のテーマが続く。全展覧会のポスターを年譜として並べたり、カタログや鑑賞ガイドなど、「印刷物でたどる美術館のあゆみ」も興味深い。なお、いくつかの企画展については、ポスターの撮影者やデザイナーも明記し、さらに担当した研究員のコメントも交え、活動を振り返る。そもそも美術館とはどういう場であるのか、また展覧会を実現する背景をていねいに教える内容だった。なお、建築のここを見て、といったキャプションも館内に用意され、建築も作品として再発見してもらう試みも良かった。
「題名のたくさんある展覧会」セクション
模型
石井幹子の《シャンデリア》(1972)
奥に全ポスターによる年譜
ポスターの展示にもキャプション
壁の素材を説明する
2022/06/04(土)(五十嵐太郎)
沿岸部の被災地をめぐる
[宮城県]
せんだいメディアテークが推進する「アートノード」は、決して派手ではないが、ゆっくりと着実に動いている。アドバイザー会議にあわせて、川俣正による「仙台インプログレス」の状況を見学した。今年の春には、貞山堀の運河沿いに松林を一望できる小さな木造の《新浜タワー》(定員は5名まで)が完成している。構造材とは別にややランダムに斜めに配されたルーバーや、張り出した部材などのデザインによって、しっかりと川俣の作品になっていた。またその脇からは、2020年につくられた全長120mの《みんなの木道》が続く。もともとは運河にみんなの橋をつくる計画として始まったものだが、その前に木造やタワーができるというのも、いかにも川俣らしい展開だろう。
なお、こうしたプロジェクトのミーティングでは、《新浜のみんなの家》が使われている。公園の仮設住宅地において伊東豊雄が最初に設計した《みんなの家》(2011)を移設したものだ。このあたりは、東日本大震災後に指定された可住地域と非可住地域の境界に近い。アーティストの佐々瞬が、半壊になった住宅の傷ついた部分を残しながら改修しているのも、このエリアである。また貞山堀の運河に近い宮城野区岡田の新浜地区では、建築ダウナーズの《風手土農園の小屋》や、佐々による《盆谷地の小屋》なども制作され、2021年にみんなの家を拠点として小屋めぐりのイベントが開催された。
《新浜タワー》
《新浜タワー》
《みんなの木道》
みんなの橋と塔の模型
その後、震災遺構 仙台市立荒浜小学校を久しぶりに再訪したが、駐車場のためのアスファルトのエリアが拡張されていた。それなりに来場者がいるのだろうが、今後、近くで新しい施設の開発も予定されているらしい。またその向かいの居住禁止の区域にある自宅跡地をスケートパークに改造した《CDP》(2012)は、健在だった。2019年に公開された震災遺構 仙台市荒浜地区住宅基礎は、コンクリートの基礎だけが残り、一帯がかつて住宅地だったことを伝える。ここからは、かつて海水浴場として賑わったエリアはすぐである。昔の状況に戻すことは難しいし、私有地のためか、いまだに瓦礫が除去されていない場所も残っているが、少しずつ新しい風景を獲得しようとしている。
再開発が予定されているほか、駐車場も整備された荒浜小学校の周辺
《CDP》から荒浜小学校を見る
震災遺構 仙台市荒浜地区住宅基礎
2022/05/19(金)(五十嵐太郎)
三重の街並み
[三重県]
実は昨年、初めて立ち寄ったのだが、その際はあまりにも滞在時間が短く、江戸から明治時代にかけて約200軒の町屋が連なる全体を見たかったので、東海道47番目の宿場町だった三重県の「関宿」を再訪し、約1.8kmの関宿の街道を往復した。もちろん、ここは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。さわやかな空間の主屋が残る《関の山車会館》、上階において街並みの変化を連続写真で展示する元町屋の《関まちなみ資料館》、大規模な《関宿旅籠玉屋歴史資料館》も、それぞれ良かったが、これだけの長い距離で、古い建築群が続く街並みを保存、もしくは修景しているのは本当に画期的だ。大室佑介が内部のリノベーションを手がけたピザ屋も、外観は一切手を加えられないように、街並みのファサードは厳密にコントロールされている。
関宿の街並み
関の山車会館の主屋
旅籠玉屋歴史資料館の2階
大室佑介によるリノベーション
初の松坂市は、有名な現代建築は存在しないが、古い建築がよく残っていた。そこで、まず赤い壁が目立つ「松阪工業高校資料館」(旧三重県立工業学校製図室)(1908)、モダンな《中井珠算簿記学校》、レンガ造の《松阪市文化財センター(旧カネボウ綿糸松阪工場綿糸倉庫)》(1923)などの近代建築をまわった。城跡内にある「松坂市立歴史民俗資料館」は、明治期の旧図書館を改造したものであり、松坂商人と日本橋の関係を学ぶ。二階の《小津安二郎松坂記念館》では、映画『秋刀魚の味』の家屋模型も展示されている。すき焼きで知られる「牛銀本店」は昭和初期の建築であり、ちょうどお昼だったので、横の洋食棟のランチを食べることができた。約1時間待ちになったが、近くの古い街並みを散策していれば、まったく苦にならない。
松坂市立歴史民俗資料館
牛銀本店
特に良かったのは、殿町や魚町である。個別の建築としては、小さい武家屋敷を増築した「原田二郎旧宅」、圧倒的にユニークな近代和風の意匠に感心させられた豪商「旧長谷川治郎兵衛家」、そして現代の公共施設に通じる空間の構成が巧みな《旧小津清左衛門家》などが秀逸だった。これらのパンフレットの解説ではほとんど触れられていなかったが、いずれも建築的な面白さをもっとアピールしたら良いのに、と思う。また城跡に近い、石畳の両側に武家屋敷が並ぶ、江戸時代の「御城番屋敷」は、復元かと思いきや、現存する古建築であり、しかも武士の子孫が今も居住し、実際に暮らしていることに驚かされた。関宿の街並みもそうだったが、まさに生きた文化財である。
旧長谷川治郎兵衛家
旧小津清左衛門家
2022/05/05(木)(五十嵐太郎)