artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

象設計集団+アトリエ・モビル《名護市庁舎》

[沖縄県]

竣工:1981年

象設計集団の建築を二つ見た。ひとつは《今帰仁村中央公民館》(1975)であり、もうひとつが《名護市庁舎》(1981)である。名護市庁舎の原型のひとつは《今帰仁村中央公民館》にあるだろう。平屋でコの字型に中庭を囲むプランと回廊を構成する赤い列柱。当時、ブーゲンビリアでおおわれていた屋根と、貝殻が埋め込まれてできた文字。沖縄という風土に触発されてできた建築であるといえよう。しかし《名護市庁舎》では、単に地域主義的というだけではなく、建築としてもうひとつの抽象度を獲得していたように思えた。風の道を取り入れたこと、シーサーやアサギテラス(アサギは沖縄古来の神を招いて祭祀を行なう場所のこと)、パーゴラなど、沖縄的な建築言語を取り入れたことは、当然この建築をこの場所にしかないものにしていたが、そのテラスや内部空間、また吉阪隆正ゆずりであるのかル・コルビュジエ的なスロープを歩いた経験は、空間体験として新しい何かを感じた。それが何であるのかうまく言語化するのは難しいが、内部においても外部においても多孔質で開口率の高い壁や天井のあり方が、独自の空間の質を生み出していたのではないかと思われた。

2009/10/27(火)(松田達)

金城信吉《風樹館》

[沖縄県]

竣工:1985年

金城信吉氏(1934-1984)は、沖縄を代表する建築家である。風樹館は金城氏の最後の作品であり、琉球大学校内に建てられた資料館。丸みを帯びた煉瓦張りの壁に近づくと、荒々しい割肌が見えてくる。割肌といっても、ここまで荒いものはなかなか見ない。ゆるくうねった外壁は、グスク(城)に触発されたものであろう。後にいくつかのグスクを見て、石垣がゆるやかな曲面で構成されていることを知った。エントランスの立体的な窪みは印象的で、日本では滅多に見ない建築言語であると思ったが、イスラム建築のイーワーンと呼ばれる半屋外空間に近い。金城は旅行好きで、東南アジアを多く旅行したというから、マレーシアかインドネシア辺りで見かけているのだろうか。エントランスホールでは「ひんぷん」と呼ばれる沖縄の民家の目隠しを用いているなど、琉球建築のエレメントが随所に用いられており、最初は白井晟一を思い出したのであるが、建物をめぐるうち、金城氏の中に沖縄の建築が血肉化されているのだと知った。金城氏については、この建築を見るまでほとんど知らなかったのであるが、沖縄の現代建築の第一世代であるらしい(入江徹氏談)。その後が真喜志好一ら、そして琉球大学建設工学科の初期に教鞭を執った仙田満の影響を受けた建築家が現われてきているという。

2009/10/27(火)(松田達)

大谷幸夫+大谷研究室+国建《沖縄コンベンションセンター》

[沖縄県]

竣工:1987年

大谷幸夫による設計。丹下健三研究室にて多くの丹下プロジェクトに関わることからスタートした大谷の作品のなかで、《沖縄コンベンションセンター》はやや異質な雰囲気を帯びている。実家のすぐそばに大谷による《金沢工業大学》(1969-)が建っており、筆者は何度となく足を運んでいたため、大谷の建築デザインはわりと身に染み付いている。モダニスト的であるが、かならず一部に歴史的意匠であったり、独特の造形言語であったり、「遊び」が入っている。しかし本作品においては、自由な曲線群により構成された屋根、その軒先の装飾、池の上に飛び交うパーゴラ的な曲線装飾をもつ柱、アートオブジェのような空調吹き出し口、強調された天井の造形美など、その造形的な「遊び」が全面展開しているかのようだ。全体的な雰囲気は竜宮城のようにも感じた。筆者は《金沢工業大学》、《国立京都国際会館》(1966-)、《東京大学法学部4号館・文学部3号館》(1987)に続いて4つめの大谷の建築体験であったが、他の作品とは明らかな断絶があるところが興味深い。バブルの影響もあるのだろうが、同時期の《東京大学法学部4号館・文学部3号館》は相当にモデストである。
しかしこれは断絶ではないだろう。ル・コルビュジエが《ロンシャンの礼拝堂》でこれまでの彼のイメージを大きく裏切ったかのように見せて、実際には彼の絵画や彫刻との連続性の方が多かったように、むしろこの《沖縄》は、大谷における《ロンシャン》なのではないだろうか。それぞれの大胆な造形言語の片鱗は、過去のプロジェクトの「遊び」に見いだされる。ここまで自由に建築をつくることのできる爽快さを感じた。

2009/10/26(月)(松田達)

高松伸《国立劇場おきなわ》

[沖縄県]

竣工:2003年

沖縄伝統芸能の保存と育成のための国立劇場。上部にいくにつれてせり出した、PCパネルによる菱形格子状の外壁は、沖縄の伝統住宅の壁から引用されているという。この外観の存在感は圧倒的だった。土着建築言語が翻案され、抽象性と具象性が同居するような不思議な印象を受けた。沖縄には現代建築がいくつもあるが、沖縄の人に聞いてみると、沖縄的なるものを異なって解釈したうえで強調されている場合があるという。その場合は現地の人が見て沖縄的には決して見えない。オリエンタリズムの視線が「日本」を誤って強調してしまう場合に似ているのだろう。しかし、高松氏の建築は、土着建築言語の土着的な強調は行なわない。むしろ、現代建築の視点からの解釈を行なっている。また、内部に入るとミースの装飾的H鋼、テラーニ的に直交する梁が強調された軽やかな天井など、近代建築言語へのオマージュ(といえそうなもの)も散見された。土着建築言語も近代建築言語も、いわば他者の言語であるが、それらがまったく違和感なくひとつの建築として統合的に昇華していたように感じられた。

2009/10/26(月)(松田達)

高橋堅《Brass Clinic Private Viewing》

[千葉県]

竣工:2009年

クリニックの内装。入ってみておそらく誰もが驚くだろう。多くの面が、サンダー処理された真鍮板で覆われており、クリニック全体が、白と黄金を基調として構成されている。真鍮には各種病原体の殺菌力があり、あらゆる環境表面に真鍮板を用いた世界で初めての抗菌クリニックだという。真鍮へのこだわりは徹底しており、ドアノブから幅木まで、あらゆる部分に真鍮が用いられ、金物等で現われそうな銀色は一切見えない。建築において金色は、金閣寺や中尊寺金色堂の例はあるが、特に現代建築ではほとんど御法度というくらい用いられない。しかしそれを高橋堅氏はあえて空間の中核に据える。エントランスの受付カウンターの荷物置きの窪み、空調の吹き出し口には角度が付けられており、これらいくつかの斜めの面の存在によって、白と黄金でできた空間の単調さは回避され、リズムが付けられる。不思議なことに、空間からはどことなく「抽象的な和風」も感じられた。これは通路がやや広めであったりと、ゆったりとした雰囲気があったことも影響しているのではないだろうか。もしかしたらこの空間は、建築を知っている人ほど戸惑いを感じるかもしれない。というのもここでの空間体験は、これまで自分が知っている既存の空間のカテゴリーに入らない新しいカテゴリーの体験であると感じたからである。咀嚼に時間がかかる。しかしそれこそが、新しい空間の誕生を意味するものである。

2009/10/24(土)(松田達)