artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
野上眞宏「1978 アメリカーナの探求」
会期:2022/08/16~2022/08/28
ギャラリー・ルデコ[東京都]
立教大学卒業後、広告写真や高校・大学の同級生の細野晴臣が結成したロックバンド、はっぴいえんどのメンバーたちの撮影などをしていた野上眞宏は、1974年に以前から憧れていたアメリカに渡る。ロサンゼルスからワシントンD.C.に移り、最初のまとまったシリーズとして撮影し始めたのが、本作「1978 アメリカーナの探求」である。
渡米4年目でアメリカの生活にも慣れ、何をどう撮りたいのかも明確になってきていた。1975年にたまたまニューポートビーチの美術館で見たウィリアム・エグルストンのカラー作品や、ジョエル・マイエロヴィッツの仕事などにも刺激され、カラーポジフィルム(コダクローム)を使うことにした。そのクリアな、だがやや翳りのある発色(エドワード・ホッパーの絵を思い起こさせる)は、国道1号線沿いに点在していたスーパーマーケット、ガソリンスタンド、看板の群れ、アメ車など「アメリカーナ=アメリカ的なるもの」を撮影するのにぴったりであり、画面全体にピントを合わせ、なるべく情報量を多めに撮影するスタイルも固まっていった。こうして、今回ギャラリー・ルデコで個展を開催し、オシリスから同名の写真集を刊行した本シリーズが形をとっていった。
エグルストン、マイエロヴィッツ、スティーブン・ショアらが参加し、同時代の写真家たちに大きな影響を及ぼした「ニュー・カラー」のムーブメントがスタートするのが1981年であることを考えると、野上のカラー写真への取り組みはかなり早い。現時点で見ると、ほぼ同時発生的といえるだけでなく、その視覚的探究の純粋性は他の写真家たちよりもむしろ際立っている。「異邦人の眼」によって、逆にアメリカ人が見過ごしがちな被写体の魅力を、ヴィヴィットに捉えることができたともいえそうだ。なお、同時期に東京・青山のポピュラリティーギャラリーでは、1979年に移り住んだニューヨークで、路上に駐車した自動車たちを捉えた写真による「PARKING, NYC 1979-84」(8月9日~21日)が開催された。こちらも見応えのある展示だった。
2022/08/19(金)(飯沢耕太郎)
久松知子「ホワイトキューブの向こう側」
会期:2022/08/26~2022/09/25
NADiff Gallery[東京都]
使い古しの黄色いテープの入った業務用ゴミ袋、足先にクッションをつけた脚立、梱包された平たい箱を無造作に並べた台車、木箱が積まれた工場のような室内風景……。どこかの工事現場でも描いているのかと思ったら、アートフェア終了後の撤収風景だという。なるほど、平たい箱にはおそらく絵画が梱包され、積まれた木箱は美術品運搬用のクレートってわけか。
これは、日本画、近代美術史、美術館といった美術を支える諸制度をモチーフにしてきた久松の、アートマーケットに切り込んだシリーズのひとつ。アートフェアそのものではなく、搬出時のどうでもいいような風景をスナップショット的に描くのは、華やかに着飾った紳士淑女がきれいに並んだ作品を品定めする会場の舞台裏にこそ、アートマーケットの本質が隠され、アーティストにとってのイマジネーションの源泉が潜んでいることを暴露しているのかもしれない。タイトルどおり「ホワイトキューブの向こう側」だ。
おもしろいのは、このうちの1点の絵が別の絵のなかに画中画として描かれていること。具体的には、先述の「平たい箱を積んだ台車の絵」が透明シートに梱包され、壁に立てかけられているところを描いた絵があるのだ。れれれ? 搬出時の台車を描いた絵が別の絵に描かれているということは、すでに搬出時に「その搬出を描いた絵」が存在していたことになる。これはありえない話。このようにさりげなく虚実を織り交ぜるのも久松の得意とする芸当だ。
2022/08/13(土)(村田真)
コウノジュンイチ「終わりのない街」
会期:2022/08/08~2022/08/21
ギャラリー蒼穹舎[東京都]
コウノジュンイチの写真展は本欄でも何度か取り上げたことがある。その度に同じようなことを書いているのだが、街の路上を彷徨い歩き、シャッターを切り、プリント(自家製のカラープリント)して展示するという彼の行為は、何ともとりとめがなく、砂粒が指の間をすり抜けていくようにも見える。彼が2009年から、蒼穹舎で年に一、二度ほどのペースで続けている写真展も、全部見ているわけではないが、それほど大きく変わってきているわけでもない。だが今回の、2014年に集中して撮影した写真群を、あらためて選び直したという展示を見ているうちに、これもまた、写真家の行為としてある種の必然性を帯びているのではないかという気持ちが強まってきた。
コウノはプロフェッショナルな写真家ではないから、これらの写真は金銭を代価とする仕事ではなく、あくまでも“愉しみ”として撮影されたものだ。街を歩き、その時の自分の気持ちにフィットする光景に出会った時に、その手応えを確かめるようにシャッターを切る。あまり人の姿がない、写っていてもかなり距離をおいた光景そのものに意味があるというものよりも、むしろそこに彼がいたということの存在証明になるような写真が選ばれていた。今回の展示では、雨上がりの路上にカメラを向けた写真が目についた。そのやや青味を帯びたウェットな空気感が、プリントに的確に写し込まれている。一点一点の写真は砂粒のようだが、それらを結びつけ、つなげていくと、コウノジュンイチの写真のなかにしか成立してこない、「終わりのない街」の姿が浮かび上がってくるようにも思えてきた。
関連レビュー
コウノジュンイチ写真展「遠ざかる風景」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年09月01日号)
コウノジュンイチ写真展 「境界」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年09月15日号)
2022/08/10(水)(飯沢耕太郎)
井上裕加里「Women atone for their sins with death.」
会期:2022/07/30~2022/08/07
KUNST ARZT[京都府]
戦前に広島に渡り被爆した在韓被爆者、終戦による「国境線」の引き直しによって故郷から分断された日韓の女性たちの個人史、ルールの服従と排除による「集団」形成のプロセスの可視化。井上裕加里はこれまで、東アジアの近現代史や共同体の境界線を批評的に問い直す作品を発表してきた。
「死をもって罪を償う女性たち」というタイトルの本展では、イランおよび隣接するパキスタンで起きた「名誉殺人」をテーマとする写真作品を発表した。ともにイスラム共和国である両国では、女性の人権に対するさまざまな制限に加え、「貞節」を守るべしという性規範に抵触したと見なされた女性が、「家族の名誉を守る」という理由で父や兄弟によって殺害(惨殺)される「名誉殺人」がしばしば起きている。
日本とイラン。地域的・宗教的な隔たりを架橋する仕掛けが、ギャラリーの扉の表/裏にそれぞれ掲示された両国の「女性専用車両」のサインだ。公共空間において男女を厳格に分ける宗教的要請に基づき法制化されているイランとは異なり、日本では「女性専用車両」に乗車するかどうかは個人の選択だが、設置の背景には痴漢の性被害に合う「公共空間」の非安全性がある。井上は、「女性専用車両」のサインを「公共に開かれた安全な空間」であるべき展示空間にインストールすることで、表現の現場調査団による『「表現の現場」ハラスメント白書2021』が明らかにしたように、ギャラリーや美術館もまた、「性差別的発言」「男性観客による執拗なつきまとい」といった性被害に脅かされる「安全ではない」空間であることを突きつける。
そして、扉の内側には、「名誉殺人」の事例を人形で再現した写真作品計7点が並ぶ。被写体に用いられたのは、「Fulla(フッラ)」という名前の中東・イスラム版のバービー風着せ替え人形。褐色がかった肌、黒い目、ヒジャーブ(スカーフ)の下は黒髪だが、目鼻立ちやスレンダーな体型はバービーを思わせ、「アラブ美人」のステレオタイプ化という点でも興味深い。井上は、衣装の何着かを手作りしたフッラ人形とともにイランに渡航し、現地の路上で「再現シーン」を撮影した。添えられたテクストには、各事件の経緯が記される。女性性をアピールする写真やリベラルな発言をSNS上で公開し、パキスタン初のソーシャルメディア・スターと呼ばれたモデルのカンディール・バローチは少し異色だが、彼女以外は10代の少女で、「父親の反対する男性とつきあった」「親族ではない男性と通話した」「出席した結婚式で異性の前で歌い踊った」「バイクの少年を二度振り返って見た」といった行為を理由に殺害された。
これらはいずれも、実の父親や(義理)兄弟による「家庭内殺人」である。ここに、単に「イスラム教の怖い国」「人権意識の遅れた地域」と切り捨てられない、DVとの構造的類似性がある。すなわち、妻や娘、姉妹は家長(男性)に従属する所有物であり、(性の)管理の対象と見なす家父長制的支配構造だ。自分の意のままに従う、意志も声も持たない受動的な人形。男たちには、娘や妹がまさにこのように見えていた。井上による「再現シーン」は、「殺害現場」そのものの再現ではないが、「男たち自身が見ていたビジョン」の再現という意味で恐るべきイメージである。そこでは、「理想美の造形化」に加えて、「家父長的支配者である男性にとっての規範的女性像」として、女性たちの身体は二重にモノ化されているのだ。
公式サイト:http://www.kunstarzt.com/Artist/INOUEyukari/iy.htm
関連レビュー
Soft Territory かかわりのあわい|高嶋慈:artscapeレビュー(2021年07月15日号)
井上裕加里「線が引かれたあと」|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年09月15日号)
井上裕加里展|高嶋慈:artscapeレビュー(2015年04月15日号)
2022/08/06(高嶋慈)
表現の不自由展・京都 KYOTO 2022
会期:2022/08/06~2022/08/07
京都市内[京都府]
「あいちトリエンナーレ2019」にてSNSでの炎上、電凸、脅迫を受けて開催3日で中止に追い込まれた「表現の不自由展・その後」。会期終盤の一週間、抽選制で再開したが、文化庁の補助金不交付問題における政治家の圧力、歴史修正主義や性差別主義に支えられたナショナリズム、社会的分断などさまざまな傷痕と課題を示した。
一方、「表現の不自由展・その後」の「その後」といえる動きが、あいトリ以降も国内外で展開している。2019年12月~翌年1月には韓国・済州島の済州4.3平和記念館で、2020年4月~6月には台湾の台北當代芸術館にて開催された。また、2021年には、東京展に加え、名古屋・京都・大阪の有志によるグループが、東京展の実行委員会の協力の下、各地での展示を計画した。だが、右翼の妨害や郵便物破裂のため、予定通りに開催できたのは大阪展のみだった。
2022年は4月に東京、8月に京都と名古屋、9月に神戸で開催された。筆者は、あいトリでの鑑賞予定日が中止決定と重なり、再開時は抽選に外れ、昨年の大阪展では整理券配布終了のため、実見するのは今回の京都展が初となる。事前申し込みで50分毎の入れ替え制がとられた。一ヶ月前の安倍元首相銃撃事件もあり、会場入り口や周辺は警察が厳重に警戒し、封鎖された道路周辺では右翼の街宣車が「不自由展を粉砕せよ」と怒号を上げ続けた。
京都展の参加作家数はあいトリとほぼ同じだが、半数が入れ替わっている。「平和の少女像」は彩色された等身大のFRP製の像のみでブロンズ製ミニチュアは出品されず(実際に東京都美術館で展示拒否されたのは「ブロンズ製ミニチュア」の方)、大浦信行の出品作は版画の《遠近を抱えて》のみで映像作品はない。また、あいトリからの継続組の小泉明郎と岡本光博は新作を出品。小泉は、天皇の報道写真をキャンバスにプリントし、SNSの投稿写真の「背景補正」のレタッチのように、天皇の写った部分に「仮想の背景」を描き重ねて透明化させ、空気のように見えづらく内面化された天皇制を可視化する「空気」シリーズの新作を展示した。
岡本は、あいトリでの不自由展中止の新聞記事と、昨年の大阪展で抗議活動した街宣車をミニカーで「再現」したものを組み合わせるなど、自作を含む展示拒否の事例をドキュメントとミニチュア化で提示する「表現の自由の机」シリーズを展示した。ろくでなし子の有罪確定を報じる記事と「まんこちゃん」人形のコピーを組み合わせた作品や、済州島に設置された「平和の少女像」の肩にとまる鳥を3Dスキャンで複製して鳥かごに閉じ込めた作品は、「著作権」と「わいせつ」という不自由展では扱われてこなかった検閲トピックを示す。これら小泉と岡本の新作は、「実際に展示拒否された作品」ではないが、同展の継続性を「バージョンアップ」として示す意義を持つ。
一方、もう一つの「バージョンアップ」が、丸木位里・赤松俊子(丸木俊)、赤瀬川原平、山下菊二、新潟の前衛美術グループ「GUN」の中心メンバーだった前山忠という戦後美術史を召喚し、「検閲」「規制」を歴史的文脈の広がりのなかで捉える視点の提出である。「千円札裁判」での有罪判決を受けて赤瀬川が制作した、批判精神とウィットに富む《大日本零円札》(1967)。軍服姿の昭和天皇の写真や背広姿の似顔絵を砲弾やチャップリンの写真とコラージュした山下菊二の《弾乗りNo.1》(1972)。「カンパ箱」が美術館側の撤去の対象となった前山忠の反戦旗は、字体とあいまってベトナム戦争の時代感を伝えるが、2022年のいま、ウクライナ侵攻への抗議として回帰するように見える。そして、丸木夫妻が占領期に制作した絵本『ピカドン』(1950)は、GHQによる事後検閲で発行禁止となった。現在も読み継がれる絵本だが、占領軍による検閲の事例は、検閲主体の多様性とともに、「何がだめと判断されるのか」が恣意的であることを示す。
「美術館や公的施設における検閲や規制について実作品とともに考える」というのが不自由展の当初のコンセプトだが、会場の「外」から見ている限りでは、「右翼の攻撃VSカウンター」というネット上での攻防をリアルの場に可視化する事態へと変質したように映る。だが、妨害による延期や中止を乗り越えて開催された本展は、時代や判断主体による検閲事例の多様性と恣意性を示し、継続による深化を示していた。
表現の不自由展 公式サイト:https://fujiyuten.com/
2022/08/06(高嶋慈)