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美術に関するレビュー/プレビュー

中桐聡美、山田真実「測鉛をおろす」

会期:2022/07/30~2022/08/28

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

中桐聡美と山田真実による二人展。展覧会名にある「測鉛」とは、海の深さを測るための装置で、目盛や紐を施した綱の先につけて下ろす鉛製の重りのことだ。海へずんずん入っていく鉛によって、その深さを観察者に知らせる。本展において、その鉛は、木版画やシルクスクリーンにおけるインクが紙に押し付けられ、孔という境界を通り抜けて形を生むこと、境界を超えて相互の関係性を測り合うことと重ね合わされている。さらには、二人の取り組みもまた互いの測鉛のようだ。

瀬戸内海でシルクスクリーンの写真にカッターナイフでドローイングを重ねる中桐と、琵琶湖で凹凸版をベースに木版画に取り組む山田。アール・ヌーヴォーに由来を持ち現在も世界中で使われているガラスブロックの窓から覗き込んで見える海の風景写真を窓ごとに刷って見せる中桐と、主に江戸時代に使用され蒸気船の就航とともに姿を消した、琵琶湖の浅さに特化した形を持つ丸子船を彫り刷る山田。技法の違いがどのように対象との関係の結び方を変えるのか、あるいは各々の関心がいかに技法を選び取らせたか、使わせるかといった視点が鑑賞者に与えられる。とはいうものの、両者の作品やリサーチの軌跡が展覧会会場の中でパッキリと分けられているわけではない。それらの混在によって、鑑賞者は事後的にこの対比の強さに気付くことになるだろう。そして鑑賞者は思うのではないだろうか。二人は互いをどう思っているのだろうかと。

特にその相互的な距離感が展覧会で明示されることはないが、Instagramで二人は「景色」と「部屋」をテーマに展覧会に関連する写真を投稿している。それぞれの拠点から撮影された物々は視覚的に呼応し合い、連続性が見えてくる。二人は別にコレクティブというわけでもなさそうだが、会期終了後、二人はどうしていくのだろうか。Instagramが今後も更新されるのかどうかをそっと見守りたい。

展覧会は無料で鑑賞可能でした。


中桐聡美《ガラス窓》(2022)シルクスクリーン/水性インク、かきた紙
[Photo by Takeru Koroda, courtesy of Kyoto City University of Arts/撮影:来田猛、提供:京都市立芸術大学]


天井:山田真実《丸子船(イ)フナツクリ》(2022)水性木版/墨、和紙
床:山田真実《湖面に帆をはる》(2022)水性木版/墨、和紙、琵琶湖の石(海津、塩津、菅浦)
[Photo by Takeru Koroda, courtesy of Kyoto City University of Arts/撮影:来田猛、提供:京都市立芸術大学]



公式サイト:https://gallery.kcua.ac.jp/archives/2022/8724/
「測鉛をおろす」Instagram:https://www.instagram.com/sokuenwo/

2022/07/31(日)(きりとりめでる)

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木谷優太、林修平、室井悠輔「P 尽き果て」

会期:2022/07/15~2022/08/07

IN SITU[愛知県]

本展は、名古屋駅からほど近いオフィスビルの一角にある「IN SITU」(完全予約制)で開催された木谷優太、林修平、室井悠輔によるもので、Pというのは「ポスト」を意味するという。

ポスト・トゥルース、ポスト・モダン、ポスト・コロナ、ポスト・コロニアル……次に何を考えるべきか、何を超えようとしているかと命名するとき現われる「P」。相対化の応酬たる「P」を3人はどのように扱うのか。


P:未踏の状態における可能性

宇宙に行ってしまったら、妄想の宇宙は消えてしまうという室井悠輔は、触れたことのないパチンコの絵《Cherry P》を描く。パチンコに幼少期からユートピアを感じながらも、金銭的余裕のなさから店に入ることすらできずにいるなかで描かれる資本主義の肖像。ポスト資本主義社会で重要視されるものが資本ではなく専門知だとして、未知なるものの価値はどうなるのかという問いであり、ひとつの答えだといえるだろう。


P:生活だけが残る

covid-19で注目を集めた言葉のひとつ「エッセンシャルワーカー」は、基本的に公共圏に不可欠な職種を指す。しかし、親密圏にもエッセンシャルワーカーは存在し、それはジェンダーに結びついているのではないかと、木谷優太は《二重生活》を制作する。木谷が「家庭内にあるエッセンシャルワーク」を男性である自身のセルフポートレイトでなぞるとき、何か違和感を感じたらそこにはジェンダーバランスの不均衡が見え隠れする。実家の壁にありそうなプラスチックの画鋲で留められた写真は、そのものが展示物でもあるのだが、人の家に貼られた写真を見てしまったような気持ちにさせる。何を超えようとも果てようとも、生活は残る。


P:次へ次へと果てに向かうのではなく

林修平の《帝國水槽》は熱帯魚が泳ぐネイチャーアクアリウムだ。ただし、その中にある水草は『満州水草図譜』(1942)に掲載されたものである。林は日本に植民地化された時代の満州国という枠組みのなかでの水草を生育環境の再現に用いることで、鑑賞者の内面に起こる二つの連続性を探ろうとしている。地域的あるいは時代的な戦後意識の連続性の有無である。どこまでを他者とみなし、どこまでを自身のこととして引き受けるか。

入場料は500円でした。


室井悠輔《Cherry P》(2022/部分)
合板、ダンボール、アクリルガッシュ、オイルパステル、アクリルメディウム、木工用ボンド、パテ、釘、画鋲、捨てられるはずだったもの、ほか
[撮影:木谷優太]


木谷優太《二重生活》(2022)
インクジェットプリント
[撮影:木谷優太]



林修平《帝國水槽》(2022)
水草、熱帯魚、石、木、二酸化炭素、水槽
[撮影:木谷優太]



公式サイト:https://twitter.com/IN_SITU43/status/1545728893168275458

2022/07/31(日)(きりとりめでる)

国際芸術祭「あいち2022」 一宮市エリア

会期:2022/07/30~2022/10/10

[愛知県]

今回の芸術監督をつとめた片岡真実の出身地でもある一宮市のエリアは、やはり力が入っていた。まず、オリナス一宮(様式建築の旧名古屋銀行一宮支店)の内部に入れ子状に空間をつくり、奈良美智の作品群を設営していることで、多くの人がこの街に足を運ぶだろう。

ここから一番遠いのが、県内唯一の丹下健三による建築、《尾西生涯学習センター墨会館》(1957)だが、きちんと保存された1950年代のモダニズムが素晴らしい。三角形の敷地に沿って、外部に対しては壁をはりめぐらせ、閉じており、戦艦風でもあるし、ル・コルビュジエの影響も感じられる。かつては道路を挟んで向かいに、ノコギリ屋根の工場が存在し、対峙していた。ここは強烈な空間を体験するためだけでも、訪れる価値が十分にある。



《尾西生涯学習センター墨会館》



レオノール・アントゥネス《主婦と彼女の領域》(2022)墨会館での展示風景


繊維業で栄えた一宮市は、今もノコギリ屋根の風景が残るが、塩田千春の作品はまさにその下で糸のインスタレーションを展開していた。ただし、ツァオ・フェイの映像も、ノコギリ屋根の下なのだが、こちらはすでに天井を塞いでいる。必見の作品としては、旧スケート場の巨大な空間を使ったアンネ・イムホフの映像と音だろう。こうした異空間を体験できるのが、街なか会場の醍醐味である。なお、一宮市エリアのアーキテクトを担当した栗本真壱によれば、看護専門学校を展示場に用途変更することが大変だったという。



塩田千春《糸をたどって》(2022) のこぎり二での展示風景


一宮は、各会場が離れているので、炎天下であれば、おそらく自動車でまわるのがベストである(美術関係者はタクシーを借り切ったという話も聞く)。筆者は自動車を使ったので、ついでにいくつかの建築も見学した。あいち2022の会場にもなった《豊島記念資料館》(1966)(もともとは図書館)は、清々しいモダニズムである。一方で内井昭蔵設計の《一宮市博物館》(1987)は、世田谷美術館の直後くらいの仕事で、脂がのった時期の超濃密なポストモダンだ(ノコギリ屋根の企画展示も開催していた)。無駄を排除する現代では、無理なデザインだろう。ほかにstudio velocityとしてはやや抑えたデザインの《一宮聖光教会》(2022)は、外観のみ見学した。こうした愛知県のさまざまな魅力を再発見させるのが、まさにあいちトリエンナーレから続く役割である。



《豊島記念資料館》



《一宮市博物館》



《一宮市博物館》



《一宮聖光教会》



「国際芸術祭あいち2022 STILL ALIVE 今、を生き抜くアートのちから」公式サイト: https://aichitriennale.jp/

2022/07/31(日)(五十嵐太郎)

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橋本貴雄「風をこぐ」

会期:2022/07/26~2022/08/08

ニコンサロン[東京都]

以前、本欄で橋本貴雄の写真集『風をこぐ』(モ*クシュラ、2021)を紹介したことがある。その時にも感じたのだが、12年間を共に過ごした愛犬のフウとの日々を綴ったこの写真シリーズは、ありそうでなかなかない作品なのではないかと思う。むろん飼い犬や飼い猫を撮影した写真はたくさんあるのだが、橋本のアプローチはそれらと微妙に、だが決定的に違っているのではないだろうか。写真集の掲載作を中心に46点を選んで出品した本展を見て、その思いがより強くなった。

ひとつには、被写体であるフウと橋本との距離感ということがある。フウを間近にとらえたカットはほとんどなく、広角気味のレンズでかなり距離を置いて撮影している。そのことによって、犬だけでなく、その周囲の光景、たまたま近くにいた人、ほかの犬などが写り込んでくる。今回の展示には、フウとともに移り住んだベルリンで撮られた写真が多い。それ以前の福岡、大阪、東京の写真と比較しても、橋本の関心が「フウのいる(いた)場面」をしっかりと写しとっておこうという方向に傾いているのではないかと感じた。

もともと交通事故で後ろ脚が不自由だったフウは、ベルリンで犬用の車椅子を装着して歩き回るようになる。おそらく、橋本は遠からぬフウとの別れを強く意識するようになったのではないだろうか。そのために、フウと過ごした日々の記憶、時間の厚みを、どのように写真のなかに取り込むかについて、より注意深い働きかけが必要になってきたことが、写真展の後半部の写真に強くあらわれてきていた。

最後のパートに、フウが亡くなった後、布に包んで車のバックシートに安置し、葬儀場に運ぶ場面の写真がある。フウの片耳と花束がちらりと見える。その後に、フウがまったく写っていないベルリンの光景の写真が5枚くる。これらの写真があることで、見る者にもフウの不在が共感できるように配慮されている。限られた点数しか展示できない写真展をどう構成するかという橋本の意識が、とてもうまく働いた締めくくりだと思う。

関連レビュー

橋本貴雄『風をこぐ』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年12月01日号)

2022/07/30(土)(飯沢耕太郎)

国際芸術祭「あいち2022」 愛知芸術文化センターと有松地区(名古屋市)

会期:2022/07/30~2022/10/10

[愛知県]

今回の「あいち2022」は、4つの会場で開催され、しかも常滑市と一宮市は名古屋から見ると反対方向なので、これまでと比べて、もっとも分散した芸術祭となった。またあいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展」を契機とした県知事と市長の対立の結果、初めて会場から名古屋市美術館が外れ、市の中心部は街なか会場がなく、愛知芸術文化センターのみであるために、名古屋市内のプレゼンスは減っている。なお、名古屋市美術館の「ボテロ展 ふくよかな魔法」は、新作ベースだったが、異様な比例によるデフォルメは、暗黙の了解とされた美/醜や男/女の枠組みを揺るがし、西洋美術史の名画をポストモダン的に読み替え、色使いも良かった。



愛知芸術文化センターでのオープニング




展示初日朝のオープニングカット


愛知芸術文化センターの展示は、河原温や荒川修作など、物故作家も含み、クオリティは高く、ハイコンテクストである。その結果、祝祭性はやや抑え、一目見てわかるような作品は少ない代わりに、キャプションは例年よりも長い。やはり前回に対し、安全運転である。またアーティストは、非西洋・女性が多いように思われた。個人的には、カデール・アティアの映像作品が、もっとも2019年のアンサーになっている。彼はもともと身体欠損を作品化する作家だが、今回は幻肢痛に始まり、家族の死、戦争や民族紛争の苦い記憶に展開し、その心理的な治癒を探る。作品では、日本や韓国には一言も触れないが、これは間違いなく、我々の問題でもある。また欠損を補う鏡像を使ったイメージも興味深い。



最初の展示室の河原温の展示風景




ローマン・オンダック《イベント・ホライズン》(2016)展示風景




奥村雄樹《7,502,733》(2021-2022)展示風景


名古屋市内だが、中心部からはおよそ30分かかる有松地区は、恥ずかしながら、知らないエリアだった。ここは古い町並みと建築がよく残り、芸術祭ということで、その内部空間も体験できるのが醍醐味である。ミット・ジャイインやAKI INOMATAほか、街の産業だった織物や染物に関する作品で統一している。有松地区は、ナノメートルアーキテクチャーが会場を整備するアーキテクトとして関与しており、稼働中の工場(株式会社張正)における展示やバリアフリー対応、消防との調整などのエピソードをうかがった。もともと真夏のあいちトリエンナーレは街なか会場めぐりが辛いのだが、マスク付きはさらに厳しい。



有松地区




イワニ・スケース《オーフォード・ネス》(2022) 株式会社張正での展示風景




プリンツ・ゴラーム《見られている》(2022) 竹田家住宅での展示風景


初日の夜は、パフォーミングアーツのプログラムだったスティーブ・ライヒのコンサートを鑑賞した。静かにホロコーストに触れる「ディファレント・トレインズ」(1988)や、パット・メセニーのための「エレクトリック・カウンターポイント」(1987)をライブで聴けたことで十分に感動的なのだが、今回のテーマのもとになった河原温のミニマルな表現にも通じる音楽会である。


「国際芸術祭あいち2022 STILL ALIVE 今、を生き抜くアートのちから」公式サイト: https://aichitriennale.jp/

ボテロ展 ふくよかな魔法

会期:2022年7月16日(土)〜9年25日(日)
会場:名古屋市美術館
愛知県名古屋市中区栄2-17-25(芸術と科学の杜・白川公園内)

2022/07/29(金)-2022/07/30(土)(五十嵐太郎)

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