artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
Unknown Nature
会期:2014/08/22~2014/09/03
アユミギャラリー+アンダーグラウンド+早稲田スコットホールギャラリー[東京都]
神楽坂と早稲田の計3会場で開かれていて、8月には神楽坂の2会場しか見られなかったので、今日は早稲田会場に行く。神楽坂のほうはあまり印象に残る作品はなかったなあ。強いていえば、モデルとともにヌードになって一緒に撮影した鷹野隆大の小さなポラロイド写真が、投げやりにも見える素っ気ない展示ともども惹かれるものがあった。早稲田では、たぶん初めて見る小島章義の作品が新鮮。キャンバス地をさまざまなかたちに結んで絵具を塗ったものを、壁にかけたり床に置いたりしている。ちょっと雑だが、これらも「絵画」に違いない。現代版のシュポール・シュルファスか。下辺から足を生やしたタブローもある。タブローが「動産」であることを強調しているようで、思わず買いたくなるが手が出ない。足が出るからな。
2014/09/02(火)(村田真)
渡辺眸「1968 新宿」
会期:2014/08/26~2014/09/08
新宿ニコンサロン[東京都]
筆者は1973年に東京に出てきたので、1960年代末のあの伝説的な新宿の状況は直接経験していない。それでも、 月堂、ピット・イン、国際反戦デー、紅テント、フォークゲリラといった、当時新宿にまつわりついていた文化的な記号の群れは、間接的に目にしたり耳にしたりして、憧れの気持ちを抱いていた。それゆえ、僕と同世代はもちろんだが、より若い世代の観客にとっても、渡辺眸の今回の展示は、まず被写体となった1968~69年の新宿と、そこにうごめく異形の人物たちへの関心が先に立つのではないだろうか。
だがそれだけではなく、このシリーズには、渡辺の写真家としての初心、被写体に対する独特の距離感を保った接し方がいきいきとあらわれている。渡辺は当時通っていた東京綜合写真専門学校で、カメラの距離計を1メートルに固定してスナップ撮影するという実習があり、それをきっかけにして新宿に通いはじめたのだという。だが、会場に展示された45点の写真を見ると、1メートルという至近距離には特にこだわらず、融通無碍に被写体との距離を詰めたり伸ばしたりしていることがわかる。結果的に、このシリーズには、新宿という奇妙な狂いを含み込んだ磁場が発するエネルギーの高まりが、くっきりと写り込むことになった。時代と写真家の感受性とが幸福に一致した、ごく稀なケースといえるのではないだろうか。
なお、展覧会の開催にあわせて、街から舎から同名の写真集が刊行されている。また同展は10月23日~29日に大阪ニコンサロンに巡回する。
2014/09/01(月)(飯沢耕太郎)
浜田浄 個展 1982~1985の─鉛筆による大作「DRAWING」─
会期:2014/09/01~2014/09/13
ギャラリー川船[東京都]
浜田浄(1937-)が80年代に精力的に取り組んでいた鉛筆画を見せる個展。鉛筆の黒鉛を和紙の上に塗り込めた平面作品が20点弱、展示された。
それらはいずれも無機的で、何かの形象が描写されているわけでもなく、筆跡もまったく認めることができない。ただただ、黒い均質な画面が立ち現われているのだ。その黒い平面に、まず圧倒される。
とはいえ、その黒さは、漆の黒でもなく、墨の黒でもない、やはり鉛筆の黒なのだ。光をわずかに反射しているので硬質的に見えなくもないが、その反面、柔らかな温もりすら感じられることもある複雑な質感がおもしろい。とりわけ床置きにされた作品は、長大な2枚の和紙の両面を鉛筆で塗りつぶしたうえで、1枚の一端を丸めて重ねているため、その硬質と軟質の両極を同時に味わうことができる。
描くのではなく塗る、いや塗り込める。事実、この作品における浜田の手わざは、4Bの鉛筆で短いストロークを無限に反復させる作業をひたすら繰り返すものだった。シンプルではあるが強い身体性を伴う運動から生まれたからこそ、これほどまでに私たちの眼を奪うのだろう。絵画は、やはり身体運動の賜物なのだ。
展示のキャプションをよく見ると、近年の作品も含まれていることがわかる。つまり、浜田は70歳を超えた現在もなお、この過酷な身体運動を要求する作品に挑んでいるのだ。生きることと直結した絵画とは、まさにこのような作品を言うのではないか。
2014/09/01(月)(福住廉)
牛腸茂雄「〈わたし〉という他者」
会期:2014/08/29~2014/10/26
新潟市美術館[新潟県]
荒木経惟展にあわせる形で、新潟市美術館の常設展示の会場では、同館が所蔵する牛腸茂雄の作品展が開催されていた。昨年(2013年)は牛腸の没後30年ということで、展覧会や写真集の刊行が相次いだことは記憶に新しい。今回の展示も、彼の写真の仕事を新たな世代へと受け継いでいこうとする意欲的な試みといえそうだ。
桑沢デザイン研究所時代の初期作品、最初の写真集となった『日々』(1971年)、最後まで取り組んでいた未完のシリーズ「幼年の〈時間〉」(1980年代)などに、友人たちと試作した映像作品、インクブロットやマーブリングの手法による写真以外の作品も加えて、「〈わたし〉という他者を問い続けた牛腸の制作の多面性」に迫ろうとしている。写真家=アーティストとしての成長のプロセスがくっきりと浮かび上がる展示は、なかなか見応えがあった。
だが今回の展覧会の白眉といえるのは、1982年に東京・新宿のミノルタフォトスペース新宿で開催された「見慣れた街の中で」の展示を再現したパートだろう。昨年刊行された新装判『見慣れた街の中で』(山羊舎)の編集過程で、ミノルタフォトスペースの展示には、1981年の写真集『見慣れた街の中で』に掲載されていない作品が含まれていたことがわかった。今回の展示では同館所蔵のプリントを、会場写真を参照しながら、同じレイアウトで並べている。それによって、牛腸がいかに巧みに観客の視線を意識しながら写真展を構成していたかが、ありありと見えてきた。写真相互のつながりとバランスを考えつつ、やや高めに写真を置いて、小柄な牛腸の目の高さで見た街の眺めを追体験させようと試みているのだ。この展示で、『見慣れた街の中で』をもう一度読み込み、読み替えていくための材料が、完全にそろったということになるだろう。
なお、新潟市美術館の荒木経惟展と牛腸茂雄展に呼応するように、8月から10月にかけて市内の各地で「新潟 写真の季節」と銘打ったイベントが開催された。角田勝之助「村の肖像
I、II」(砂丘館/新潟大学旭町学術資料展示館)、会田法行・渡辺英明「青き球へ」(新潟絵屋)、濱谷浩「會津八一肖像写真展」(北方文化博物館新潟分館)などである。このような試みを、今後も続けていってほしいものだ。
2014/08/31(日)(飯沢耕太郎)
カラー・ミー・ポップ──松山賢
会期:2014/08/27~2014/09/08
高島屋新宿店10階美術画廊[東京都]
チューブから絞り出された絵具を載せた白い小皿を真上から描いた「絵の具の絵」シリーズを中心とする展示。約10センチ四方の小品は前にも見たし、1点もってるけど、縦横5列ずつ計25枚の小皿を並べた大作は初めて。各皿の周囲はそれぞれの皿に載ってる絵具の色に円形に塗られていて、つまり正方形の画面にさまざまな色の円形が整然と並んでいるので、抽象画のようにも見えるし、曼荼羅を思い出したりもする。ほかにも人体(珍しく男性ヌード)や風景、花の絵の表面に装飾模様を盛り上げた作品もあるが(それぞれのモチーフと上に盛られた模様は関係している)、初めて見るのは、ロウソクを描いた絵。もっと正確にいえばロウソクの写真を描いた絵なのだが、その表面を円形の複雑なパターンに彫っている。この円形パターンもロウソクの焔の輝きから導き出されたものだろうけど、これもどこか曼荼羅を思い出させ、ローソクの火とも相まって宗教的な雰囲気を醸し出している。進化(深化・神化)してるなあ。
2014/08/30(土)(村田真)