artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

山谷佑介「ground」

会期:2014/03/20~2014/04/06

POST[東京都]

2〜3月にYUKA TSURUNO GALLERYで「Tsugi no yoru e」を開催したばかりの山谷佑介が、続けざまに個展を開催した。POSTのギャラリー・スペースと店舗内に展示された6点の作品は、とてもユニークな方法で制作されている。
ライブハウスの床を撮影し、それをインクジェット・プリントで実物大に引き伸ばして、もう一度その床に貼り巡らす。数時間経つと、ダンスに興じる観客たちによって、プリントのペーパーは汚され、踏みにじられ、表面が剥離してぼろぼろになっていく。それをそのまま展示したのが今回の「ground」展で、画像の片隅に煙草の吸い殻や髪の毛などがそのまま貼り付いているのに、妙に心そそられた。コンセプチュアルな作品だが、物質性が異様に強く、光と影に還元された画像ではない直接的な「印画」を獲得するという意味では、「写真とは何か?」という根源的な問いかけに答えを出そうとする「写真論写真」のようでもある。
「Tsugi no yoru e」が、大阪のアメリカ村界隈を撮影したモノクロームのスナップショットだったので、今回のシリーズでの“飛躍”は驚きと言うしかない。山谷の写真家としての資質が、ひとつの方向ではなく、多方向的に全面開花しつつあることのあらわれとも言えるだろう。しばらくは、彼の動向から目を離せそうもない。
なお、展覧会にあわせて、lemon booksから同名の写真集が刊行された。「床」のシリーズだけではなく、同時期に撮影されたカラー・スナップ群もおさめられており、山谷の発想が彼自身の生活感覚にしっかりと裏付けられていることをよく示していた。

写真:201207132330-0522 www

2014/03/27(木)(飯沢耕太郎)

銀座地下街ラジオくん 声のアーカイブ展

会期:2014/03/19~2014/03/26

KANDADA 3331[東京都]

「銀座地下街ラジオくん」とは、取り壊しが決定している銀座4丁目の三原橋地下街を取材したラジオ番組。本展は、学生放送局「ざぎんWAVE」が同地下街の店主や常連客、周辺の画廊主らにインタビューして採集したさまざまな「声」を紹介したもの。
展示は、しかし、実際に音声が再生されていたわけではない。その点は惜しまれるが、それでも文字や写真、記事、図面などによって語られた地下街への思いを読むと、そこが多くの人びとにとっての憩いの場であったことがよくわかる。三原橋地下街は、次々と資本が投入される銀座の街中にあって、例外的にかつての時代の空気を吸える安息の場所だったのだ。
こうした問題はいまに始まったことではない。銀座のみならず、全国の都市は、かつてもいまも、スクラップ・アンド・ビルドの論理によって急速に塗り替えられている。むろん、その速度に相乗りする類のアートがあってもいい。だがその一方で、その奔流に打ち込まれる楔こそアートとして評価しなければならない。なぜならアートとは支配的な見方とは異なる別の視点を提供するものであり、その視角から見たもうひとつの世界のありようを私たちに垣間見せることができるからだ。きらびやかな銀座だけではない、庶民的な銀座の街並みが実在しており、しかも多くの人びとに求められているという声を紹介した本展は、そうしたアートの働きを存分に示した。

2014/03/26(水)(福住廉)

光山明 写真展 消えたこと/現れること

会期:2014/03/18~2014/03/29

gallery 福果[東京都]

「ニッポン顔出し看板紀行」シリーズを手がけている光山明の個展。これは観光地によくある顔出し看板を歴史的な事件の現場に設置して撮影した写真のシリーズで、今回は光山がもっとも関心を注いでいる足尾鉱毒事件を主題にした作品を発表した。
撮影地は事件の源となった足尾銅山をはじめ、そこから排出された鉱毒を沈殿させるために廃村にさせられた谷中村の跡地につくられた渡良瀬遊水地と谷中湖、そして請願のために上京しようとした農民を警察が弾圧した川俣事件の出発地である雲龍寺など。看板には、「強制破壊」や「谷中村廃村100年」、「鉱毒除外」という言葉とともに当時の事件が描かれており、いずれにも部分的に顔出しのための穴が開けられている。事件の痕跡を見出すことが難しい現在の風景に、光山は「顔出し看板」というキッチュな文化装置によって歴史を召喚しているのである。
なかでも今回とりわけ注目したのが、《川俣事件逮捕の図》である。副題に「小口一郎へのオマージュ」とあるように、この作品は同事件を主題にした小口一郎の版画を引用したもの。ただ、これまでの作品と異なっているのは、顔出しのための穴を開けるのではなく、画中で逮捕され連行される農民が被っている深編笠を半分に割り画面上に貼りつけている点だ。つまり画面の中の顔を見ることも、自分の顔を画面にはめ込むこともできないのである。
顔のはめ込みが現在に召喚した歴史を我有化することを意味しているとすれば、この《川俣事件逮捕の図》は、そうした歴史と現在の接点が失われているように見えなくもない。しかし別の見方をすれば、顔の入る余地がないがゆえに、逆説的に私たちの想像力が喚起されるとも言える。逮捕された農民たちは深編笠の下でどんな表情だったのだろうか。私たちはどうすれば苦難の歴史を分かち合うことができるのだろうか。むろん完全に同一化することはできないにせよ、光山が示しているのは、想像力によって歴史と向き合う姿勢や構えにほかならない。私たちにとって必要なのは、その身ぶりである。

2014/03/26(水)(福住廉)

アート・アーカイヴ資料展XI──タケミヤからの招待状

会期:2014/03/03~2014/03/28

慶応義塾大学アート・スペース[東京都]

まだ画廊も美術館もほとんどなかった1951年から6年間、瀧口修造による先鋭的な企画展を開いてきたタケミヤ画廊の資料を公開している。タケミヤ画廊は神田小川町にあった竹見屋洋画材店の大部分を展示スペースに提供したもので、企画を瀧口に依頼し、発案者の阿部展也を皮切りに、北代省三、山口勝弘、利根山光人、河原温、草間彌生、池田龍雄といった当時の若手作家の個展を中心に開いてきた。展覧会は約10日間ずつ計208回におよぶ。その案内状とリーフレット、写真などの展示。感心したことその1。案内状は全体の3分の1程度しかなく、リーフレットや写真もごくわずかだが、これだけ? とあきれるより、よく集めたもんだとホメるべきだろう。その2。初期のころの案内状の表記は「竹見屋画廊」「ギャラリー竹見屋」「タケミヤギャラリー」「画廊タケミヤ」などマチマチで、「画廊」も旧字体もあれば新字体もあって、細かい表記にこだわらない大らかさが感じられる(アーキビストからすれば困りもんだが)。その3。リーフレットはもちろんカラー図版など望むべくもなく、文字情報だけのシンプルなものだが、ちゃんと解説か推薦文が載り、おまけに出品作品のタイトルとサイズを記したリストまでついてること。これは資料的価値が高い。

2014/03/26(水)(村田真)

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青木恵美子 展──春のように

会期:2014/03/20~2014/03/30

東邦アート[東京都]

非具象絵画を説明するとき、短い文章のなかで色彩がどうの構図がこうのといっても伝わりにくいので、なにか具体的なモノにたとえることがある。青木の絵だと「夕焼け空の郊外風景」とか「底に異物が沈殿した血液」とか。本人の意図はともかく、なんとなくどんな絵か伝わるはず。でもそうやってなにかにたとえるとイメージが固定化しかねない。イメージの固定化はその画家のトレードマークづくりには有効だが、絵画表現としては退行を招く。だからつねに画家は見るものを裏切り続けなければならない。そして見るものは以前のような作品を期待しつつ、その期待を裏切られることも期待するのだ。青木も「夕焼け空」だと思ったら「青空」になったりするところを見ると、少しずつ裏切ってることがわかる。今回はさらに太い筆触を強調したモノクロームに近い絵や、画面の低い位置に水平線を引いた抽象なども登場したが、これらは具体的なイメージを呼び起こさないので、これまでと違ってなにかにたとえにくい。その意味では期待どおり大きく裏切ってくれた。でもちゃっかり「夕焼け空」も出している。

2014/03/26(水)(村田真)