artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

黒部と槍 冠松次郎と穂苅三寿雄

会期:2014/03/04~2014/05/06

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

筆者は長野県安曇野市の田淵行男記念館が主催する「田淵行男賞」の審査員を務めている。優れた自然写真の作者に与えられるその賞の審査のたびに話題になるのは、「山岳写真にいい作品がない」ということだ。動物や鳥、昆虫などを撮影する「ネイチャー・フォト」の隆盛と比較すると、たしかに山岳写真は応募者も少なく、作品も活気に乏しい。これまでの日本の山岳写真の輝かしい伝統を考えると、やや寂しい気もしないわけではない。山岳写真の題材が撮られ尽くしたということもあるかもしれないが、それ以上に写真家たちの被写体を前にした感動が薄れているのではないかと思う。今回日本の山岳写真のパイオニアと言える冠松次郎(1883~1970)と穂苅三寿雄(1891~1966)の代表作を集成した展示を見て、あらためてそのことを強く感じた。
秘境・黒部渓谷を克明に探索・撮影した冠の写真も、槍沢で山小屋を運営しつつ槍ヶ岳を中心とする北アルプス一帯を撮影し続けた穂苅の写真も、現在とは比較にならないほどの困難な条件で生み出されたものだ。重たい組立暗箱やガラス乾板、三脚などの機材を担ぎ上げるだけでも大変な難業だったはずだ。だからこそ、目の前に初めて見るような荘厳な景観が開けてきたときの歓びと感動もまた、大きかったのではないだろうか。彼らの写真にはそれがはっきりと写り込んでいる。多くの写真に、これも現在とはまったく違う服装や装備の登山者たちの姿が写っているのも面白い。まさに彼らの写真の仕事を「原点」として、新たな山岳写真の方向性を模索するべきではないだろうか。

2014/03/12(水)(飯沢耕太郎)

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没後百年 日本写真の開拓者 下岡蓮杖

会期:2014/03/04~2014/05/06

東京都写真美術館 3階展示室[東京都]

下岡蓮杖(1823~1914)は、日本写真史の草創期を彩る伝説的な人物である。狩野派の絵師から写真師に転身し、1862(文久2)年に横浜・野毛に写真館を開業。長崎の上野彦馬とともに「写真の開祖」として名を馳せる。牛乳販売、乗合馬車の開業、箱館戦争や台湾出兵のパノラマ画の制作など、写真以外の事業にも乗り出し、92歳という長寿を全うして亡くなった。トレードマークの蓮の杖をついた仙人めいた風貌の写真とともに、幕末・明治期の「奇人」として多くのエピソードを残している。
これまでは、ぶあつい「伝説」の影に覆われて、なかなかくっきりとは浮かび上がってこなかった写真師/絵師・下岡蓮杖の実像が、このところの研究の進展によってようやく明らかになりつつある。今回の東京都写真美術館の展覧会は、古写真研究家の森重和雄氏をはじめとする、長年の蓮杖研究の成果が充分に発揮された画期的な催しであり、前期、後記合わせて、代表作・資料280点あまりを見ることができた。
下岡蓮杖の写真はまさに「開拓者」にふさわしい、意欲的な実験精神に溢れているが、まだその表現の可能性を充分に汲み尽くしているとは言い難い。同時代の上野彦馬や横山松三郎と比較しても、やや単調で生硬な画面構成と言える。むしろ彼の役割は、技術的な側面を含めて写真を撮影、プリント、販売するシステムをつくり上げ、後世に伝授することにあったのではないだろうか。それとともに、今回の展示では、これまではあまり取りあげられることがなかった絵師・下岡蓮杖の作品がかなりたくさん集められていた。初期の「阿蘭陀風俗図」(1863年頃)から晩年の「達磨図」や「山水図」まで、どれも達者な筆さばきだが、ここでもある特定のスタイルに収斂していくような個性を感じることはできない。近代的な芸術家としての写真家が出現する以前の、アルチザンと山師とが融合した異色の人物──だが、その天衣無縫な表現意欲は実に魅力的ではある。

2014/03/12(水)(飯沢耕太郎)

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イメージの力──国立民族学博物館コレクションにさぐる

会期:2014/02/19~2014/06/09

国立新美術館[東京都]

国立民族学博物館が所蔵する34万点の資料から選び出した約600点を見せる展覧会。博物館における「器物」や美術館における「作品」という制度的な分類を突き抜けた、人類による造形の力をまざまざと感じることができる。
会場に一歩踏み入れた瞬間、そこはまったくの異世界。壁一面に並べられた世界各国の仮面はすさまじい妖力を放っているし、垂直に高くそびえ立つ葬送のための柱「ビス」を見上げていると魂が吸い上げられるかのように錯覚する。いかにも漫画的なトコベイ人形やフーダ人形に笑い、観音開きの箱の内側に人形を凝縮させたリマの箱型祭壇におののく。文字どおり一つひとつの造形に「釘づけ」になるほど、それぞれの求心力が並外れているのだ。
けれども、その求心力とは、おそらく現代人の視線から見た異形に由来するだけではない。それらの造形の大半が宗教的な儀礼や物語、すなわち神や精霊、死と分かちがたく結びつけられていることを思えば、それらの底には見えないものをなんとかして見ようとする並々ならぬ意欲と粘着性の視線が隠されていることに気づかされる。そのような「イメージの力」にこそ、私たちは圧倒されるのだ。
興味深いのは、人類史にもとづいた造形の豊かさをこれだけ目の当たりにすると、美術史を背景にしたアートがいかに貧しいかを実感できる点である。アーティストたちの着想の源を見通せるだけではない。通常美術館で鑑賞する作品を脳裏に思い浮かべたとしても、目前の造形にとても太刀打ちできないことは想像に難くない。事実、後半に展示されていた、銃器を分解して彫像に再構成したアート作品や、あたかも美術展におけるインスタレーションのように展示された器物などは、器物の豊かさを逆説的に強調する材料にはなりうるにしても、基本的には美術の貧弱さを再確認するものでしかない。
思えば、現代アートの現場にもっとも欠落しているのは、こうした人類史の水準ではなかったか。人類が創り出してきたイメージの歴史と比べれば、モダニズム絵画論やアートマーケット、美術館、芸術祭などをめぐる昨今の議論のなんとせせこましいことだろう。「美術」ですら明治に輸入された概念にすぎないことを私たちはすでに知っているのだから、もうそろそろ、ものをつくる身ぶりと思考を人類史の地平に投げ出すべきではないか。

2014/03/12(水)(福住廉)

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第17回岡本太郎現代芸術賞展

会期:2014/02/08~2014/04/06

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

審査員も受賞作品も似たり寄ったりの絵画コンペが林立するなか、いまや規格外の破天荒な作品が期待できる唯一の現代美術コンペといえるのがこのTARO賞だ。とはいえ、審査員がほぼ固定したまま17回も続けていると、マンネリとはいわないまでもある種の傾向が出てくるのは否定できない。それは日用品や映像や音などを動員したミクストメディアによるインスタレーションだ。もともと絵画も映像もなんでもありだから、目立とうと思えば最大5メートル立方のインスタレーションを出すのが有利だろうことは予想がつく。とくに今回は岡本太郎賞のキュンチョメをはじめ、岡本敏子賞のサエボーグも、特別賞の小松葉月やじゃぽにかも、受賞作品の大半はインスタレーション。ほかにも小山真 、萩谷但馬、廣田真夕、柵木愛子らがゴチャゴチャしたミクストメディアのインスタレーションだった。こうなると少数派の絵画・彫刻に加担したくなってくる。展示室中央のガラス面に即興で描いた文谷有佳里のドローイングは、目立たないながらも線描ならではの強度を備えた作品だと思う。それからもうひとつ気になるのは名前。キュンチョメ、サエボーグ、じゃぽにかってなんなんだよお!?

2014/03/11(火)(村田真)

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makomo exhibition「クッション」

会期:2014/02/01~2014/03/10

オソブランコ[大阪府]

お店の移転によってギャラリースペースが倍以上になった新生オソブランコ最初の展示は、7回目となるmakomo展。展覧会タイトルにもなっているクッションという作品、手のひら位のキャンバスにベージュで描いてあるその存在にとても惹かれてしまった。クッション……というより、木彫りの仏像、仏像の手のひらにも見えてくるような形象。もしかしてクッションそのものではなく、機能とか、意味を描いているのかしれないと思わせるような奥深い暖かみ。質感も眺めて楽しんでみる、堅いのか柔らかいのか。makomoの絵は画像やプリントではなく、キャンバスの実物をみるが格別にいい。相変わらず塗り込みは美しい。

2014/03/10(月)(松永大地)