artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
増山たづ子「すべて写真になる日まで」
会期:2013/10/06~2014/03/02
IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]
こういう展覧会を見ると、写真による“表現”とは何かということが、あらためて問い直されているように思えてくる。
1917年生まれの増山たづ子は、第二次世界大戦中に行方不明になった夫を待ちながら、農業と民宿を営んで、福井県との県境に近い岐阜県徳山村で暮らしていた。ところが、この山間の町に巨大ダム建設の計画が持ち上がり、村の大部分が水面下に没するという話が現実味を帯びてきた。増山は1977年頃から、簡単に撮影できる「ピッカリコニカ」で村の様子を「とりつかれたように」撮影し始める。その作業は徳山村が廃村になり、本人も岐阜市内に移住した後になっても続けられ、2006年に88歳で亡くなるまでに約10万カットのネガ、600冊のアルバムに達したという。
やや色褪せたサービスサイズのカラープリントを中心にした展示を見ていると、増山の視線が、徳山村を照らし出す太陽の光のように、森羅万象にあまねく注がれているのがわかる。むろん、隣人である住人たちの動静を細やかに写した写真が多いのだが、増山の住む戸入集落の川べりに生えていた、彼女が「友だちの木」と呼ぶ楢の老木もたびたび登場する。廃村になった村の雪の中から顔を出したヒマワリに対しては「世の中には不思議なことがたくさんある」と、その奇跡的な出現を讃えている。「このホリャー(時は)二度とないでなー」という思いに支えられた、素朴な記録写真には違いないのだが、あらゆる写真撮影の行為の原点がここにあるのではないかという、強い思いにとらわれてしまうのだ。
背にぎっしりと手書きのメモが記された600冊のアルバムが、ずらりと並んでいる展示が壮観だった。10万カット分のエネルギーがそこから放射されてくるようで、思わずたじろいでしまった。これらの写真群は、野部博子さんを代表とする「増山たづ子の遺志を継ぐ館」が保存・管理している。それもまた特筆すべき偉業だと思う。
2013/11/16(土)(飯沢耕太郎)
三島喜美代─Painting Period 1954-1970
会期:2013/11/09~2013/12/14
ギャラリーヤマキファインアート[兵庫県]
三島喜美代といえば、印刷物の活字をシルクスクリーンで陶に転写した立体作品が有名だ。しかし、本展の主役はそれらではない。1950年代後半から70年頃まで制作していた、コラージュとペインティングのミクストメディア作品約10点が出品されたのだ。同世代ならともかく、後進の世代がこれらの作品に接する機会は皆無に等しい。戦後美術史を掘り起こす貴重な機会をつくってくれた画廊と作家に感謝したい。三島は現在も新プロジェクトを着々と進行中とのこと。活動歴60年を超えて、ますます意気軒昂。
2013/11/16(土)(小吹隆文)
ターナー展
会期:2013/10/08~2013/12/18
東京都美術館[東京都]
2度目の訪問。これだけの作品が来てるんだから何度でも行きたい。今回の発見は、多くの画面に太陽が描かれていること。なにをいまさらというなかれ、太陽はモネやゴッホの絵にも登場するけど、こんなに頻繁に描いた画家はほかにいないはず。太陽が描かれているということは、画面が全体に明るいと同時に、視界が逆光になるので陰影が多いということでもある。つまり光とともに闇も際立つのだ。ターナーの画面のまぶしさや明暗の極端な対比は、どうやらこの逆光に由来する。そう考えると、まぶたを切り取られて太陽光を直視しなければならなくなったレグルスの神話が、ターナーの画家としての生きざまと重なってくるではないか。
2013/11/15(金)(村田真)
ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展
会期:2013/11/09~2013/12/23
名古屋市美術館[愛知県]
名古屋へ。「生きる喜び」(オノ・ヨーコの作品)がなくなったまち。だが、伏見地下街と出入口には、打開連合設計事務所による長者町ブループリントは変わらず、残っている。そして名古屋市美のハイレッドセンター展では、青木淳+杉戸洋のリノベーションを一部残した会場構成だった。リノベーションのリノベーションであり、また面白い効果を生む。事件の記録のようなキャプションと展示が興味深い。ほとんどのプロジェクトを知っていたが、当時の資料でこれだけまとめて見たことはない。当時、1,000円札模型の報道に関して、赤瀬川源平は新聞社に抗議していた。自由で、時代のエネルギーが伝わる。
2013/11/15(金)(五十嵐太郎)
田代一倫「はまゆりの頃に 2013年春」
会期:2013/11/06~2013/11/24
photographers’ gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]
2011年4月から続けられていた田代一倫の「はまゆりの頃に」の東北行脚は、今回の展示で一区切りということになりそうだ。この欄でも何度か言及したように、被災地を含む東北各地でたまたま出会った人たちに声をかけ、正面向きのポートレートを撮影するという、ある意味「愚直な」やり方を貫くことで、あまり類を見ない独特の肌合いを持つ作品が成立してきた。撮影人数はのべ1200人にのぼるそうだが、そのことだけでも気の遠くなるようなエネルギーが費やされている。にもかかわらず、写真から発する気分はとても穏やかで柔らかいものだ。これはやはり、撮り手の田代の人柄が反映しているということだろう。本作が2013年度のさがみはら写真新人奨励賞を受賞したのも当然と言える。
なお、今回の展示にあわせて写真集『はまゆりの頃に 三陸、福島2011~2013年』(里山社)が刊行された。全488ページ、掲載写真453点。社員ひとりだけという小さな出版社が「ずっと残したい本だけを出版する」ことを目指して設立され、本書がその最初の出版物になる。ずっと田代の展示を見続けてきた観客のひとりとして、このようなクオリティの高い写真集に仕上がったことを心から祝福したい。
あらためてページを繰ってみて、このシリーズが、写真だけでなくその下に添えられた言葉(キャプション)によっても支えられていたことがよくわかった。
「『自宅の2階に、津波で流された方の遺体が挟まっていました』
被災した方と会話し、撮影したのは、この方が初めてでした。瓦礫を前にして私はどこかテレビ映像のように感じていましたが、彼女のこの言葉で、目の前の風景が突然、現実となって押し寄せて来ました。」
写真集の最初の写真に付されたキャプションである。ここにも写真と同様に、身の丈にあった言葉を手探りで、誠実に掴みとり、記していこうという「愚直な」姿勢がしっかりと貫かれている。
2013/11/15(金)(飯沢耕太郎)