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増山たづ子「すべて写真になる日まで」

2013年12月15日号

会期:2013/10/06~2014/03/02

IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]

こういう展覧会を見ると、写真による“表現”とは何かということが、あらためて問い直されているように思えてくる。
1917年生まれの増山たづ子は、第二次世界大戦中に行方不明になった夫を待ちながら、農業と民宿を営んで、福井県との県境に近い岐阜県徳山村で暮らしていた。ところが、この山間の町に巨大ダム建設の計画が持ち上がり、村の大部分が水面下に没するという話が現実味を帯びてきた。増山は1977年頃から、簡単に撮影できる「ピッカリコニカ」で村の様子を「とりつかれたように」撮影し始める。その作業は徳山村が廃村になり、本人も岐阜市内に移住した後になっても続けられ、2006年に88歳で亡くなるまでに約10万カットのネガ、600冊のアルバムに達したという。
やや色褪せたサービスサイズのカラープリントを中心にした展示を見ていると、増山の視線が、徳山村を照らし出す太陽の光のように、森羅万象にあまねく注がれているのがわかる。むろん、隣人である住人たちの動静を細やかに写した写真が多いのだが、増山の住む戸入集落の川べりに生えていた、彼女が「友だちの木」と呼ぶ楢の老木もたびたび登場する。廃村になった村の雪の中から顔を出したヒマワリに対しては「世の中には不思議なことがたくさんある」と、その奇跡的な出現を讃えている。「このホリャー(時は)二度とないでなー」という思いに支えられた、素朴な記録写真には違いないのだが、あらゆる写真撮影の行為の原点がここにあるのではないかという、強い思いにとらわれてしまうのだ。
背にぎっしりと手書きのメモが記された600冊のアルバムが、ずらりと並んでいる展示が壮観だった。10万カット分のエネルギーがそこから放射されてくるようで、思わずたじろいでしまった。これらの写真群は、野部博子さんを代表とする「増山たづ子の遺志を継ぐ館」が保存・管理している。それもまた特筆すべき偉業だと思う。

2013/11/16(土)(飯沢耕太郎)

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