artscapeレビュー

書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー

多摩川アートラインプロジェクト実行委員会編『街とアートの挑戦』

発行所:東京書籍

発行日:2010年4月22日

2007年に開始した東急多摩川線を舞台とする、多摩川アートラインの三年間の記録である。清水敏男のディレクションのもと、アーティストや建築家らが参加し、駅や車両、あるいは駅のまわりで、さまざまな作品を手がけたプロジェクトだ。決して派手なイベントではないが、路線沿いにネットワークを形成しながら、身近な場所があちこちで変容する風景が印象に残っている。筆者も二回ほど出かけ、2007年にアトリエ・ワンのインフォ・トンネル、2008年に関根伸夫の伝説的な作品「位相─大地」の再制作やフロリアン・クロールの作品などを見学した。本書を読むと、どのようにアートラインが始まったのか、それがどう評価されたのか、あるいはどのような問題があったのか、がわかる。また参加者のコメントも寄せられており、今後、こうした企画がなされるときの礎になっている。

2010/07/31(土)(五十嵐太郎)

山田脩二『山田脩二 日本旅 1960-2010』

発行所:平凡社

発行日:2010年7月3日

1982年にカメラマンからカワラマン(瓦職人)になった山田脩二の写真集である。本書は、京都駅や六本木ヒルズ、大阪万博の大屋根や東京ビックサイトなど、建築家の設計した作品もあるが、垂直線を厳守する、いわゆる建築写真ではなく、むしろ日本各地を旅しながら、都市部ではない風景と人々の生活を撮影した白黒写真を収録している。いまのデジカメにはない、フィルムならではの、粒子がもつ質感が強い写真だ。そして黒い部分が多い。おおむね時間軸に沿って、1963年から2007年までの写真が並んでいるが、激動した時代の変化を強調するのではない。むろん、すでに失われた風景はある。とはいえ、全体的にあまり変わらない風景であることが興味深い。同じ目を通して撮影したせいもあるのだろう。彼が淡路島に越して、そこを拠点にしたことも一因かもしれない。冒頭を飾る島の棚田と、ラストにある淡路島の農村風景を比較しても、44年という時間の流れを感じさせない。だが、その変わらなさが、とてつもなく新鮮に思われる。

2010/07/31(土)(五十嵐太郎)

『ワンダーJAPAN』16号

発行所:三才ブックス

発行日:2010年6月16日

いつもへんてこで、美しくない日本の風景をビジュアルで見せてくれる雑誌。新宗教の建築などもとりあげてきたが、今回は「たのしい公園遊具」の特集。富士山型が多いのは知っていたが、本書を開くと、カブトムシや白鳥、テントウムシやうさぎなどの動物系、土星や人工衛星などの宇宙系、新幹線や船などの乗り物系、ゴジラや恐竜などの怪獣系など、予想を超える物件が目白押し。しかも、デザインはエッジがきいておらず、ゆるキャラ的な弛緩した雰囲気が漂う。なるほど、遊具なわけで、子ども向けなのだが、近所の公園がすでにテーマパークと化していたことに改めて驚かされる。

2010/07/31(土)(五十嵐太郎)

田中純『イメージの自然史』

発行所:羽鳥書店

発行日:2010年6月21日

筆者と同じ頃、すなわち1990年代の半ばに『10+1』で論考を書きはじめた田中純の最新作である。その動向には注目していた。当時、ベンヤミン再評価の流れが起きていたが、田中はおそらくその最良の成果となる都市論を執筆している。建築学科に所属する筆者が、やがて展覧会や審査などの仕事を通じ、創作の現場から建築と関わらざるをえなくなったのに対し、人文学を出自とする田中は、多木浩二のたどってきた道とは違い、創作者らと一定の距離をたもち、それゆえに批判的を言説を繰りだす。そして本書は、むしろ古今東西のイメージをさまようヴァールブルクの「ムネモシュネ」プロジェクトを現代において蘇生させたかのような原型的イメージをめぐる考察を行なう。『イメージの自然史』は、主に東京大学出版会の『UP』の連載をベースとしており、筆者も掲載時から断片的に読んでいた。改めて通読すると、相変わらず、ものすごい読書量であり、めくるめくイメージの連鎖の世界に誘う。読書という豊かな経験を思い出させてくれる本だ。実際、そうした本へのフェティシュを感じる。田中は最後に、こう言う。ネットワークの時代において、本という「『暗いおもちゃ』は、一冊一冊が異なる表情で佇みながら、どこか不穏な気配を漂わせている。液晶ディスプレイにはない暗さ、その翳りに、小さな生き物を思わせる生命が微かに宿る。……本書は、夕陽のように翳りを帯びた書物のアウラ、その儚い生命のイメージに捧げられてる」。なるほど、あえて主流にはのらない、懐かしさも感じられるかもしれない。過去や記憶なきネットとアーキテクチャ論、社会学的な言説、工学主義への注目、そうしたゼロ年代のメインストリームに対して、直接名指しすることはほとんどないが、密やかに、そして強靭に抵抗している。

2010/07/31(土)(五十嵐太郎)

三宅理一『秋葉原は今』

発行所:芸術新聞社

発行日:2010年6月21日

日本でもっとも有名な電気街であり、ゼロ年代にはオタクの聖地として注目された、秋葉原に関する最新の都市論だ。森川嘉一郎のアキバ論『趣都の誕生』(幻冬舎、2003)に比べて、安心して読める。むろん、三宅理一は、2004年から「D-秋葉原」構想の当事者として、再開発の一部に関わった経緯もあるが、歴史家として、もっと長い歴史的なパースペクティブから、この街の変容を描いているからだ。そしてグローバルな視点から、海外の事例と比較しながら、秋葉原の位置づけを行なっていることも説得力がある。萌えというオリエンタリズム的なキーワードで読み解くのではない。本書は、2006年にグランドオープンしたUDXビルを含む、一連の再開発が、いかなる経緯でスタートし、どのように展開したかの流れを、法制度や経済状況、また事業者の関係などから複合的に分析する。詳しく説明される日本における、都市計画の手続きは興味深い。残念なのは、ゼロ年代になって、地元の意向が反映されなくなったことだ。例えば、第二東京タワーの誘致問題や、ヨドバシカメラの駅前進出などである。その起死回生として持ち上がったD-秋葉原のプロジェクトも、中止に追い込まれたことだ。おそらくデザインミュージアムなどが実現すれば、画期的な施設になっただろう。経済の自由競争によって発展した秋葉原が、その同じ原理によって異なるものに変わってしまい、再開発が終わったときには、ほとんどの当事者がいなくなっていたというのは皮肉である。

2010/07/31(土)(五十嵐太郎)