artscapeレビュー
書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー
濱野智史『アーキテクチャの生態系』
発行所:エヌティティ出版
発行日:2008年10月27日
90年代は、浅田彰と磯崎新がany会議を通じて、大文字の「建築」を議論の中心にすえ、積極的に哲学との対話を進めたが、いまやそうした批評の空間は完全に変わり、社会学が強くなり、近い過去のサブカルチャーを扱う論壇が急成長した。そして1980年前後の生まれの論客は、主体ではなく、環境が決定するという主張が多い。本書もそうした流れの一冊といえるだろう。特徴は、コンテンツの内容や善悪の倫理は問わず、ウェブにおける情報環境をさまざまな進化が絡みあう、生態系として読み解くこと。またネットの世界は欧米の方が素晴らしいとか、進んでいるという議論に回収せず、これを現状肯定的な日本論に接続すること(ガラパゴスとしての、匿名型の2ちゃんねるや、ニコニコ動画)。海外の動向よりも日本の事情というのもゼロ年代の批評的な風景かもしれない。本書では、「限定客観性」や「操作ログ的リアリズム」など、さまざまな新しいキーワードも出しているが、同期と非同期について触れた時間の問題が興味深い(ツィッターにおける選択同期など)。ネットの世界は、コミュニケーションのモデルでもある。ゆえに、ゲーテッド・コミュニティとしてのミクシィ、あるいはミクシィのように都市空間や集合住宅を設計するといったコメントもなされている。大文字の「建築」からコンピュータの「アーキテクチャ」へ。これもゼロ年代の大きな転換だった。
2010/06/30(水)(五十嵐太郎)
高祖岩三郎『死にゆく都市、回帰する巷』
発行所:以文社
発行日:2010年6月20日
ニューヨーク在住の批評家・翻訳家である高祖岩三郎による、『ニューヨーク列伝』『流体都市を構築せよ!』に続くニューヨーク論、都市論の三冊目。著者は、ニューヨーク発の42の都市に関するエッセイを通して、2006年から2009年におけるニューヨークの現在を、政治、都市社会学、都市地理学、アートなどの文脈に接続させつつ語る。高祖によれば、「都市化」は「楼閣」と「巷」という二つの要素を持っており、「楼閣」は大建築や交通機関などの基盤施設で、国家や資本によって形成されるもの、「巷」は集合する人々の関係性が活性化したような状況、民衆の集合身体を指す。古典的な都市において一体化していた両者が、現代の都市においては非対称的に分離している。そして「巷」が、周縁に追いやられている。そのような「死にゆく都市」から「回帰する巷」へと、著者は可能性を模索する。42のエッセイは、それぞれに切り口が違っており、幅広く近年のニューヨークを知ることができるのが面白い。
2010/06/20(日)(松田達)
カタログ&ブックス│2010年06月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
drowning room
2010年10月31日から11月23日まで、神戸アートビレッジセンターで行なわれた「Art Initiative Project Exhibition as media 2009 drowning room」のカタログ。メイキングと展示図版を掲載。
幕末の探検家・松浦武四郎と一畳敷
INAXギャラリーの巡回企画展「幕末の探検家・松浦武四郎と一畳敷」展のカタログ。幕末から明治への激動の時代に、独自の仕事を成し遂げた希有な人物の軌跡を、残された多様な「断片」からたどる一冊。
photographers' gallery press no. 9
photographers' galleryによる年1回発行の機関誌。美術史に残る批評を数多く発表し、以後の美術制作・批評に大きな影響を与えたアメリカの美術批評家マイケル・フリードへのロング・インタビューや、林道郎による論考などを収録。
伊藤若冲ーアナザーワールドー
2010年4月10日から5月16日まで、静岡県立美術館で行なわれた伊藤若冲─アナザーワールド─のカタログ。華麗な着彩画で知られる江戸中期の絵師、伊藤若冲の水墨画の魅力を紹介。
時の宙づりー生・写真・死
2010年4月3日から8月20日まで、IZU PHOTO MUSEUMで開かれている「時の宙づり─生と死のあわいで」展のカタログ。19世紀の貴重なダゲレオタイプをはじめ、家庭や心の中で大切にされてきたヴァナキュラー写真の魅力を紹介し、写真の本質を解き明かす。
2010/06/15(火)(artscape編集部)
『選択』
発行所:選択出版
発行日:2010年7月1日
1975年に創刊した、完全予約購読による会員制の雑誌。大企業トップや国会議員など、政財界のエグゼクティブを対象にした雑誌であり、各界指導者総数という意味で「三万人のための情報誌」を標榜しているが、実際の発行部数は倍の六万部で「政策決定者に最も大きな影響を与えている雑誌」だという。実際、例えば小泉純一郎は読者であることを公言している。興味深いのは、本音や真実を書くために、また記事の質の高さを確保するために、ほとんどの記事が著者名なしで書かれているところである。他の雑誌とは一線を画した編集方針であり、例えば建築界にはこういう雑誌はないが(ブログではありえるが)、かつて磯崎新、伊藤ていじ、川上秀光らが在学中に八田利也というペンネームで物議をかもす論考を書いていたこと、建築三酔人による『東京現代建築ほめ殺し』が出版されたことなどを思い出した。真に先見的なる媒体の可能性について、考えさせられる雑誌である。なお『選択』2010年7月号には「世界が認め始めた日本人建築家の実力」という建築についての問題定義的な記事が掲載されている。
URL=http://www.sentaku.co.jp/
2010/06/01(火)(松田達)
パオロ・ニコローゾ『建築家ムッソリーニ』(桑木野幸司訳)
発行所:白水社
発行日:2010年4月20日
ドイツのヒトラーが建築に関心をもっていたことはよく知られていよう。これについては20世紀最大の悪玉だけに、多く論じられ、映画でも紹介されたり、日本語で読める文献がすでに多く出ている。だが、イタリアのファシズムを先導したムッソリーニと建築の関係は、あまり研究がなされていなかった。当時のファシズム建築について、日本語で読めるものは、おそらく、すぐれたデザインで人気があるテラーニ関係の書籍や雑誌ぐらいだろう。だが、ムッソリーニにとって、テラーニは多数いる建築家の一人でしかない。むしろ権力者の信頼を得て、大型のプロジェクトをコーディネイトしたピアチェンティーニ、EUR42で意見が対立したパガーノのほか、ブラジーニ、ポンティ、モレッティの方が重要だろう。しかし、彼らに関する日本語の情報は少ない。そうした意味において、ムッソリーニと建築をめぐる包括的な研究書が、今回邦訳で読めるようになったことは大変に喜ばしい。彼があれこれ指示を出した都市改造などに関する記述は、細かい地名が多く、手元にローマの地図がないと、意図がわかりにくいだろう。だが、それだけムッソリーニは、具体的に景観を考えていたのだ。彼とヒトラーは互いの都市を訪問し、それぞれのプロジェクトについて意見交換をしていたが、本書ではイタリアとドイツにおける建築政策の比較も深いレベルで行う。ともあれ、ファシズムが建築家にとって魅力的な時代だったことがよくわかる。
2010/05/31(月)(五十嵐太郎)