artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

河北秀也 東京藝術大学退任記念「地下鉄10年を走りぬけて──iichikoデザイン30年展」

会期:2014/11/13~2014/11/26

東京藝術大学大学美術館[東京都]

営団地下鉄(現・東京メトロ)のマナーポスター、焼酎いいちこ(三和酒類)の仕事で知られる河北秀也氏(アートディレクター・東京藝術大学教授)の退任記念展。
 藝大美術館3階のエレベーターホールから会場に入ると、正面は地下鉄車両を模した細長い展示室である。じっさいに日比谷線の車両を採寸してつくったのだそうだ。この「地下鉄」の「車窓」には河北氏が1974年から10年余にわたって手がけた営団地下鉄のマナーポスターシリーズが貼られ、窓の内側の展示台には「いいちこ」の雑誌広告の実物やパッケージ、学生時代に手がけた「いちごみるく」(サクマ製菓)のパッケージなどが並ぶ。「窓上」や「中吊」にも鉄道広告を模したかたちで過去の仕事が紹介されている。「地下鉄車両」を抜けた先は1984年4月から始まったいいちこのポスター。展示室の奥ではそのテレビコマーシャルが流れ、『季刊iichiko』のバックナンバーなどの書籍が読めるコーナーが設けられている。国立大学教授の退任記念展としては驚くほど凝ったしつらえは、いいちこの醸造元である三和酒類の協賛、東京メトロの協力を得て実現したという。
 マナーポスターシリーズは「パロディ広告の元祖」とも呼ばれ★1、ユーモアのあるヴィジュアルやコピーはその意図するところが一瞬で記憶に残るデザイン。これに対して、いいちこのポスターは外国の風景の中に、探さなければわからないほど小さくいいちこの瓶が写っている。1枚だけのポスターを見ても、何を訴えているのかすぐにはわからない。一つひとつが見る人にインパクトを与えたマナーポスターと、30年間ほとんど変わらないスタイルで静謐なイメージを送り出し続けているいいちこのポスター。表面的にはまったく異なるスタイルのポスターシリーズが同一のアートディレクターの手によって生み出されてきたのはとても不思議に思われる。しかし河北氏のポスターの仕事にはいずれも共通する点がある。そのひとつがポスターというメディアの持つ特性に対する深い洞察である。すなわち「ポスターは現代では弱いメディアである。しかしデザインによっては強いシンボル効果をはたす」という河北氏の言葉★2を振り返るならば、弱いメディアを弱いままにするのではなく、そこからどのように最大限の効果を引き出し得るのかいう課題の追求が起点にあるという点においていずれの仕事にも一貫した姿勢を見ることができるのだ。マナーポスターは駅でポスターを見る人に訴えるばかりではなく、メディアで話題になることで掲出されたポスターの何倍にもなる相乗効果をもたらした。いいちこポスターは掲出量は多くないが、長い時間をかけて商品のブランドイメージをつくりあげていった。結果的にいいちこの発売前に年間売上が3億5千万円だった会社は拡大を続け、2004年の最盛期には587億円を売り上げるメーカーに成長した。商品が認められたことは言うまでもないが、ポスターそのものも話題になり、人々の記憶に残るものとなっているという点も両者に共通している。デザイナーとしてのスタイルは表現ではなく、発想のプロセスにあるのだ。余談であるが、三和酒類では河北氏がつくるポスターやCMを事前に見ることがなく、駅に掲出され、テレビで放映されて初めてその内容を知るという。会社はものづくりに徹して内部に広報部門を置かない★3。クライアントとデザイナーとの対等な関係が長期にわたるキャンペーンの背景にある。
 焼酎業界において長らくトップの座を占めていたいいちこの売上は2004年をピークにこの10年間で100億円ほど減少し、2012年にはトップの座を「黒霧島」(霧島酒造)に奪われている★4。いいちこが作りあげていった新しいマーケットに他のメーカーが並び立つようになったときに、はたしてデザインの戦略は変わるのだろうか。河北氏はすでに三和酒類「日田全麹」のCMにおいて従来のいいちことは異なる日本的なイメージを用いている。2013年にはゴールデンボンバーの楽曲を音楽に採用。三和酒類は2014年11月には新商品「空山独酌」を発売し「日田全麹」をリニューアルした。さて、いいちこそのもののブランディングはこれからどのような展開を見せることになるのだろうか。[新川徳彦]

★1──河北秀也『河北秀也のデザイン原論』(新曜社、1989)109頁。
★2──同、223頁。
★3──『デザインの現場』2003年6月号、1-15頁。
★4──『日経ビジネス』2014年11月10日、26-43頁。



展示風景

2014/11/14(金)(SYNK)

グラフィックデザイン展<ペルソナ>50年記念 Persona 1965

会期:2014/11/05~2014/11/27

ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]

東京オリンピックの翌年、1965年11月12日から17日まで、松屋銀座において「グラフィック・デザイン『ペルソナ』」と題するグループ展が開催された。参加者は、粟津潔(1929-2009)、福田繁雄(1932-2009)、細谷巖(1935-)、片山利弘(1928-)、勝井三雄(1931-)、木村恒久(1928-2008)、永井一正(1929-)、田中一光(1930-2002)、宇野亜喜良(1934-)、和田誠(1936-)、横尾忠則(1936-)ら、いずれも日宣美出身の11名。名前を見ればわかるとおり、その後の日本のグラフィックデザイン界を牽引していったスターばかり。当時は概ね30代であった。6日間の会期に3万5千人もの来場者があったという50年前のグラフィックデザイン界の「事件」を、そのときに出品された作品で再構成したのが今回の展覧会である。
 展覧会の趣旨はどのようなものであったのか。展覧会の命名者であり当時の図録に序文を寄せた勝見勝は「チームワークと無名の行為を求めつづけられてきたペルソナの人々が、個性の表現を指向しはじめたのも、私にはごく自然な成りゆきと思われます」と書く。ゆえに「この展覧会によって、グラフィックデザイナーの存在が広く社会的に知られることにな」ったと位置づけられる★1。しかし今回の図録に柏木博氏が書いているように、グラフィックデザイン史に残るこの「事件」の詳細には不明なところが多い。なぜこの展覧会が組織されることになったのか。なぜこの11人だったのか。先立つ10年前に組織された「グラフィック55」展からどのような影響を受けているのか。出品デザイナーやその後の日本のグラフィックデザインにどのような影響を与えたのか。
 たとえば、それまで一般に無名であった11人が3万5千人もの観客を集めたのか。それともすでにスターであったから人々が集まったのか。グラフィックデザイナーによれば「最終日にもういちどゆっくり見てみたいと思って出かけたところ、会場の混雑ぶりはラッシュ時の国電なのでアキれてしまった。若い男女がタメ息まじりに押し合いへし合い作品を見つめている有様は、異常な熱気をはらんで、ちょっと恐ろしいほどの光景であった」という★2。出品されている仕事はさまざまで、展覧会のために自主制作されたものもあれば既存の広告ポスターもあるところをみれば、デザイナーによって展覧会に向かう姿勢は異なっていたと推察される。福田繁雄は「ペルソナ展以降は、自分の造形思想に頑固にこだわるように」なったと書いているが★3、他のデザイナーたちはどうだったのか。展覧会を伝える新聞や雑誌の記事には「第1回」と冠されているものがあり、またニューヨーク展が企画されているとの記述が見られるが、第2回展もニューヨーク展も実現された気配はない。とにかくペルソナ展に関する疑問は尽きない。開催から50年を迎えるいま、ペルソナ展の事実と歴史的位置づけ、そして今日的意義はあらためて検証されるべきであろう。[新川徳彦]

★1──本展チラシ。
★2──山城隆一「独特の熱気を生み出した〈ペルソナ展〉とその出品作家」(『アイデア』1966年3月号、65頁)。
★3──福田繁雄『遊MOREデザイン館』(岩波書店、1985)55頁。


展示風景

関連レビュー

ムサビのデザインII デザインアーカイブ 50s-70s:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2014/11/13(木)(SYNK)

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ボストン美術館──華麗なるジャポニスム

会期:2014/09/30~2014/11/30

京都市美術館[京都府]

19世紀後半から20世紀初頭にかけての西洋における「ジャポニスム」をテーマに、日本芸術が西洋の芸術家たちに与えた影響を探る展覧会。本展では、ボストン美術館が所蔵する同時代の絵画・日本の浮世絵・版画・工芸等の幅広い作品約150点が展示され、西欧での「ジャポニスム」の展開の様子が順に紐解かれていく。工夫されているのは、作品のイメージソースとなった日本の浮世絵・工芸がたくさん紹介されていること。芸術家たちが日本芸術をどのように取り入れたかについて比較・実見することができる。なんといっても見どころは初期ジャポニスムの時期の作、修復が完了した2メートルを超えるモネの大作《ラ・ジャポネーズ》(1876)。各セクションでジャポニスムの画家たちの作品を理解するための切り口が、「日本趣味(ジャポネズリー)・女性・都市生活・自然・風景」というように題され、最後のモネらの作品に至り「日本美術がいかに近代絵画の革新を導いたか」と結ばれる。印象派が展示の主眼であるゆえだろうか、もう少し新味のある示唆があってもよかったかもしれない。展示は絵画中心であるが、装飾工芸もある。工芸・デザインにおけるジャポニスムを再考するうえでも参考になる展覧会。[竹内有子]

2014/11/08(土)(SYNK)

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幾多郎と大拙──「道」のゆくえ

会期:2014/07/16~2014/11/03

鈴木大拙館[石川県]

金沢生まれの仏教哲学者、鈴木大拙の思想と足跡を紹介する「鈴木大拙館」は今年開館3周年を迎えた。これを記念して、同郷・同年生まれで親友関係にあった哲学者、西田幾多郎との関わりを紹介する展覧会が開かれた。二人とも若くから禅の修行を積み、大拙は海外経験を通じて禅文化を広く紹介し、幾多郎は西洋哲学を学び東洋の精神的伝統との融合を探求した。本展では、二人がお互いに影響を与え合った思想的背景が、「書」と「言葉」の展示によって説明される。弟子たちへ向けた講演内容や弟子による書物なども紹介され、次世代にわたっていまも生き続ける二人の思想を伝えている。同館の建築は、谷口吉生によるもの。館内は三つの空間からなる。大拙を知る「展示空間」から始まり、大拙の心や思想を学ぶ「学習空間」を経て、自らが感じ考える「思索空間」へ。来館者が館内を回り、印象的な体験ができるのは「思索空間」。そこに座って「水鏡の庭」と呼ばれる水面を見つめて思いにふけり、周りを歩いて樹齢数百年のクスノキや紅葉に染まる森の木々を眺める。心に沁み入る時間、至福である。[竹内有子]

2014/11/03(月)(SYNK)

7つの海と手しごと《第5の海》「オホーツク海とウイルタのイルガ」

会期:2014/10/04~2014/11/03

世田谷文化生活情報センター:生活工房[東京都]

世界の海の暮らしをクラフトで紹介する「7つの海と手しごと」シリーズ。第5回となる本展では、サハリン島の少数民族・ウイルタの「イルガ」という文様が取り上げられている。ウイルタの人々は、春から夏にかけては海と川でアザラシやトド、マスやサケを採り、秋から冬にかけては海がオホーツク海の流氷で閉ざされるために山に移動し、トナカイを飼養し、また野生のトナカイを狩って暮らしてきた。しかし日露戦争後にサハリン(樺太)が北緯50度でロシア領と日本領に分断されると、島の自由な移動は妨げられ、彼らは定住生活を強いられることになったという。ウイルタの人々に伝わる伝統的な文様が「イルガ」。渦巻きのような、ハート型にも見えるような繰り返し文様だ。なめしたトナカイの皮、衣服や靴のほか、木製のカトラリにも施されてきた。刺繍に用いられた絹糸は、中国との交易によってもたらされた。展示品の大部分は「北方民族資料館ジャッカ・ドフニ」(北海道網走、1978年開館、2010年閉館。ジャッカ・ドフニとはウイルタ語で「大切な物を収める家」という意味)が所蔵し、その後北海道立北方民族博物館に寄贈された資料。これらは第二次世界大戦後にサハリンから網走に移住してきた人々が守り、伝えてきたものである。古い工芸品は、樺太敷香町(現・ポロナイスク)につくられた先住民集落の教育所で日本人観光客向けにつくられたものだという。つまり、イルガが施された工芸品には、ウイルタの人々の暮らしばかりではなく、交易や被支配の歴史が刻まれているのである。[新川徳彦]

2014/10/28(火)(SYNK)

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