artscapeレビュー
映像に関するレビュー/プレビュー
前谷康太郎「distance」
会期:2012/11/17~2012/12/24
梅香堂[大阪府]
暗闇の中にオレンジ色の光がぼんやりと灯り、徐々に大きくなったかと思うと再び縮小に転じ、やがて消失する。その繰り返しのなかで観客の瞼には残像が焼き付き、同一映像の繰り返しとは思えない豊かな視覚体験へと誘われる。ロスコの絵画を思わせる前谷の作品は、実は単純な方法でつくられているらしい。ただ、自作のピンホールカメラ風の道具を使用することで、映像に不思議な神秘性が宿るのだ。本展ではこの作品以外に、12個のブラウン管テレビを用いた作品なども出品。ブラウン管の個体差を生かすことで、ひとつの映像から豊かバリエーションを生み出すことに成功していた。彼の作品を見ていると、われわれの視覚にはまだまだ未知の領域が残っていることが実感できる。彼の作品をもっとたくさん見てみたい。
2012/12/13(木)(小吹隆文)
大崎のぶゆき展 リバーシブルストーリーズ
会期:2012/12/03~2012/12/22
ギャラリーほそかわ[大阪府]
時間とともにイメージが変容する映像を中心としたインスタレーションで知られる大崎が、新作を発表。作品はどこかの山中と湖畔を訪れた際の記憶をもとにしており、映像のほか、愛用のベスパ(スクーター)、赤い上着、船のオールなどで構成されていた。近年の大崎作品よりもプライベートに踏み込んだ印象が強いが、彼の旧作を知る人ならどこか懐かしさを覚えるかもしれない。現在のスタイルに過去作品の要素を盛り込んだ新作は、彼の今後の方向性を示唆しているのだろうか。次の個展が今から楽しみだ。
2012/12/06(木)(小吹隆文)
悪の教典
会期:2012/11/10
三池崇史監督の映画『悪の教典』を見る。『エヴァQ』で抱いていた不満が解消されるようなすごさだ。前半は暴力描写を抑え、後半はお前たちが望む暴力を見せてやるとばかりに高校生の惨殺シーンが続く。が、それはスカッとするスペクタクルにならず、観衆がドン引きする不快なリアル感を伴う。痛み、狂気、そして笑いさえも一緒くたに放出する。おそらく原作の内容を詰め込むことは難しく、物語としては壊れているところもあるが、先生は出席をとるように殺したというコピー通りに遂行される殺戮の場面は映像でしかできないこと。平等に人を殺していくハスミンは、死神や災害のような人を超えた存在に。キャスティングも秀逸である。
特筆すべき後半の殺戮シーンは、スプラッタでもなく(『死霊のはらわた』や『冷たい熱帯魚』とか)、暴力の多様性を示すネタでもなく(『アウトレイジ』や『ファイナルデッドコースター』のシリーズとか)、痛みがない本当にゲーム感覚の殺しでもなく(『ゾンビ』や『バイオハザード』のシリーズとか)、猟奇的でもなく(『ハンニバル』とか)、韓国映画のようなどろどろとした復讐でもなく、ひたすら単調だ。ただ猟銃を撃つというワンパターンを続け、気のきいた捨て台詞もない。むろん、キューブリックの『時計じかけのオレンジ』やクローネンバーグの粘着的なシーンへのオマージュは少しあるが、徹底的に凡庸で退屈なのが、むしろ画期的だ。三池くらいのベテランなら、普通に映画を撮れば、変化をつけたり、スペクタクルで盛り上げようとするけど、あえてそれを回避している。そのことで日本映画には希有な悪役を造形することが達成されていると思う。
2012/11/25(日)(五十嵐太郎)
エヴァンゲリヲン新劇場版:Q/巨神兵東京に現る
会期:2012/11/17
『エヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を見る。前作の『破』でだいぶ進んだため、衒学的な装飾を外すと、結構シンプルな内容だ。いや、あまりにもゆっくりで、物語がほとんど進まない。冒頭のシーンなど技術的に動く絵の迫力は増したが、これまでのエヴァ・シリーズの最大の特徴だったスピード感や編集のリズム感がまったく削がれてしまったのは残念だった。同時上映の『巨神兵東京に現わる』は、特撮博物館でも見たが、やはり映画館の大スクリーンがよい。都市の破壊シーンにおいて、CGではなく、徹底してモノを使うことで得られる物質感がよくわかる。劇中の言葉がカッコいいと思ったら、舞城王太郎が担当していた。短編だが、『エヴァQ』におけるサードインパクトも彷彿させる世界観である。
2012/11/22(木)(五十嵐太郎)
建築の際シンポジウム「映画、建築、記憶」
会期:2012/11/17
東京大学情報学環・福武ホール地下2階 福武ラーニングシアター[東京都]
「建築の際」シンポジウムに際して、諏訪敦彦監督の『H STORY』(2001年公開)とアラン・レネの『二十四時間の情事』(1959年6月公開)を久しぶりに見る。後者は当時の広島平和記念資料館の展示の様子がわかって興味深い。前者はラストの原爆ドーム内からのショットが印象的で、『不完全なふたり』と同様、開口=フレームが多くを物語る。シンポジウムでは講師を呼んで終わりではなく、4名の学生が問題提起を行ない、2部にわたって「映画、建築、記憶」をめぐる討議を展開した。射程は3.11後に及ぶ。諏訪がすべてを決定する主体としての監督ではないことがわる。また懇親会では、奥様も制作の過程で重要な役割を果たしていたことを知る。
2012/11/17(月)(五十嵐太郎)