artscapeレビュー

ノルウェイの森

2011年02月01日号

会期:2010/12/11

TOHOシネマズスカラ座[東京都]

もし世界がこんなにのっぺら坊の一枚岩になってしまったとしたら、一刻も早くおさらばしたい。思わずそんな独り言を喉元で呑みこんだほど、映画『ノルウェイの森』は単調きわまりなく、じつに退屈な映画である。というのも、この映画の登場人物たちはみな一様にボソボソと呟くような話し方をしていたからだ。それが「世界的文学」を映像化した監督の世界観の現われなのか、あるいはそもそも村上春樹のファンは小説を読むときからすでにあのような小さくて暗い声を脳内で再生させているのか、正確なところはよくわからない。百歩譲って、根暗な主人公はよしとしよう。ただ、その陰湿な文学青年を効果的に引き立てるはずの脇役まで同じように暗く染め上げてしまったのは、どうにもこうにも理解に苦しむ。緑の心に落ちている陰は表面上の明るさと表裏一体だからこそ陰になりうるのであって、天真爛漫なキャラクターを失ってしまえば緑は緑でなくなり、直子とのちがいがわからなくなってしまう。ニヒルな魅力とユーモアにあふれていたレイコも、この映画では肉欲にかられた年上の女にすぎない。みんながみんな小さな声でブツブツとなにやら「文学的」な会話を繰り広げる、自己陶酔を極限化したエロ映画。ここには、しかしはっきりと美術の問題が含まれている。撮影のロケーションとして神奈川県立近代美術館鎌倉館や多くの貸し画廊が入居している銀座の奥野ビルが登場しているからではない。趣味趣向を共有する同族同士で連帯しながら他者を排除する一方、その親密性の高い範囲だけを世界として誤認する傾向は、オタク文化を背景にしたスーパーフラットであろうと、翻訳不可能な独自の絵画言語を死守する抽象絵画であろうと、社会的であることを金科玉条とするアートプロジェクトであろうと、いまやあらゆるアートに通底する「普遍的」な性格だからだ。無数の小宇宙が並立する相対主義に居直るこのであれば、何も問題はない。けれども、群島のあいだを交通する航路を切り開こうとするのであれば、このつぶやき型コミュニケーションとどうすれば関係性を結ぶことができるのかを考えなければならない。これを思うと、さらに気が滅入る。

2011/01/01(土)(福住廉)

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