artscapeレビュー

ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人

2011年02月01日号

会期:2010/11/13

シアター・イメージフォーラム[東京都]

90年代が「キュレイターの時代」だったとしたら、昨今は「コレクターの時代」らしい。日本に限ってみても、高橋龍太郎の「ネオテニー・ジャパン」(上野の森美術館ほか)や山本冬彦の「サラリーマンコレクター30年の軌跡」(佐藤美術館)、上田國昭・克子夫妻の「ゲンダイビジュツ『道(ドウ?)』」(練馬区立美術館)など、コレクションの傾向や作品の大小こそ異なるにせよ、これまで表舞台に上がることが少なかったコレクターにスポットライトが当てられるようになっている。これが、制作する美術作家を言説の面で牽引する美術批評や歴史的文脈に位置づけるキュレイションの弱体化と表裏一体の関係にあることは疑いないし、コレクターが前面化した背景にギャラリストが隠れていることもまちがいない。アート系の映画としては異例のロングランを続けている本作も、その意味では、現代アートの消費者の拡大と底上げを目論むギャラリストによる啓蒙映画として利用されている側面がないわけではないだろう。けれども、佐々木芽生監督が元郵便局員と図書館司書の夫妻のつつましくも豊かな暮らしに密着したこの映画は、そうした底の浅い「戦略」を打ち砕くほど、じつにまっとうなコレクターの真髄を浮き彫りにしている。それは、コレクションの前提には必ず「鑑賞」があるという厳然たる事実だ。ニューヨークの画廊界隈に頻繁に出没するハーブ&ドロシーの行動は、有望な作品を目ざとく買いあさってすぐさま転売して利益を得ようとする投機的なコレクターというより、むしろ銀座の画廊街に毎週出没する、一風変わった名物老人に近い。じっさい、この映画でもっとも印象的なのは、膨大なコレクションを文字どおり押し込んだ狭いアパートの一室より、この夫妻がオープニングに足しげく通いつめ、おしゃべりに興じながら批評的に鑑賞している姿だ。そう、鑑賞の先にコレクションや批評があるのであり、決してその逆ではないということを、ハーブ&ドロシーは身をもって体現しているのである。コマーシャルギャラリーの展覧会だけしか見ていないくせに現在のアートシーンを総括してしまうようなたちの悪い学芸員や美術評論家、売れそうな新人を一本釣りするために美大の卒展を徘徊する貪欲なギャラリスト、そのギャラリストの口説き文句を鵜呑みにして作品を買ってしまう低俗なコレクターが横行している昨今だからこそ、できるだけ多くの展覧会に足を運び、自分の眼で作品を批評的に鑑賞するという大原則を終始一貫させているハーブ&ドロシーの誠実な態度は際立っている。よきコレクターの映画というより、よき鑑賞者の映画である。

2011/01/01(土)(福住廉)

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