artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
村山秀紀「ぎゃまんを遊ぶ」展
会期:2009/06/16~2009/06/28
アートスペース感[京都府]
表具師の村山秀紀が、現代のライフスタイルに適応した掛軸や屏風、表装の技術を生かした平面作品などを展覧。作品に多用されているガラスのオブジェは、ガラス作家の神田正之が制作した。展示はホワイトキューブと和室からなるギャラリー空間を生かしたもので、ホワイトキューブではどちらかといえば洋間向き、和室では伝統を重んじつつもフレキシブルに対応可能な作品が見られた。洋間でも床に敷物(今回は鉄板だった)を置けば簡易な床の間空間が作れるとか、屏風を表裏リバーシブルにして、TPOに応じて使い分けられるようにするなど、アイデア満載なので見ていて楽しい。また、表具師としての技術も堪能できる作品だったので、アイデア倒れに終わらず説得力十分だった。日本で美術作品の普及がはかどらない理由のひとつに住宅環境の貧しさがあると思うが、工夫次第でその短所をカバーできることを示した村山の提案に大いに賛同する。
2009/06/16(火)(小吹隆文)
小杉武久 二つのコンサート
会期:2009/06/12~2009/06/13
国立国際美術館[大阪府]
1960年代以来、一貫して音楽の概念を拡張する作品制作を続けてきた小杉武久が、美術館を会場に2日間のコンサートを開催。1日目は1960年代から2000年代の代表作を総覧する内容で、和泉希洋志、浜崎健、藤本由紀夫、ヤマタカEYEが共演。2日目はピアニスト・作曲家の高橋悠治と共演し、お互いのために委嘱した作品を中心に演奏された(5曲中、3曲が世界初演、2曲が日本初演)。数々の作品のなかでも、光反応発振器や接触反応発振器を用いて行為をダイレクトに音楽化させたり、フィードバックを多用して電子音の咆哮が会場中を駆け巡るタイプの作品は非常にスリリングで、音の生成と破壊と更新を繰り返しながら音楽が生まれてくるダイナミズムを全身で浴びる快感がえられた。また、かつては「前衛」とカテゴライズされていた小杉の音楽が、今やひとつの音楽としてすんなり聞こえてくる事実を前に(凡庸という意味ではない)、この半世紀の音楽表現の進展を実感した。
2009/06/10(水)(小吹隆文)
別府現代芸術フェスティバル2009 混浴温泉世界
会期:2009/04/11~2009/06/14
別府市内各所[大分県]
ジャンル:美術、パフォーマンス、その他
会期終了目前に訪れ、1日だけ流すように会場巡りした私に、このアートフェス全体を語る資格はない。が、遠方から訪れた身で実感したのは、アートだけを目的に別府を訪れるのはもったいないということ。温泉やグルメ、観光と組み合わせ、連泊して別府の街を味わい尽くすことで、初めて語れる催しなのだろう(主催者の目論みもそこだろうし)。作品で印象深かったのは、レトロな市街地の空気と絶妙にマッチしていたチャン・ヨンヘ重工業の映像作品と、犬、鶏、鼠、蛇、サソリなどをひとつの空間に放ち、阿鼻叫喚の戦闘シーンを記録したアデル・アブデスメッドの映像作品。特に後者は動物愛護団体が見たら卒倒ものだが、「混浴温泉世界」の理念と現在の国際情勢を象徴的に表わしており、短時間の作品ながら大変インパクトがあった。
2009/06/06(土)(小吹隆文)
よりみち・プロジェクト いつものドアをあける
会期:2009/05/09~2009/05/24
岐阜駅周辺から玉宮町界隈に点在する5ヵ所[岐阜県]
街中で美術展を同時多発的に行なうアートイベントは今や珍しくないが、このプロジェクトの特徴はコンパクトさ。各会場の距離が徒歩10分以内なので、ゆっくり歩いても2時間弱で回り切れる。背伸びせずDIY感覚で各会場(画廊、雑貨店、神社、カフェ等)と街の魅力をアピールしており、その力みの無さに好感を覚えた。なかでも、藤本由紀夫がディレクションしたpand(雑貨店)での展示、GALL ERY CAPTIONでの画廊とpandと河田政樹のコラボ、後藤譲が八幡神社で行なったさりげないインスタレーションは秀逸だった。
2009/05/09(土)(小吹隆文)
6+│アントワープ・ファッション展
会期:2009/04/11~2009/06/28
東京オペラシティアートギャラリー[東京都]
マルタン・マルジェラを筆頭に、アントワープシックスと呼ばれるデザイナーたち、さらにはその後の新世代までを含めて、アントワープ・ファッションの全貌に迫る野心的な企画。図録は写真資料とテキストともにたいへん充実しており、堅実な研究にもとづいていることがよくわかる。とくに言説分析の手法によって、当地の新聞記事からアントワープ・ファッションの変遷を丁寧に浮き彫りにするなど、すぐれた研究内容が反映されていたように思う。けれども、じっさいの展示は、まったくもって落第点。衣服、写真、解説パネル、映像などで構成していたが、空間の容量にたいして作品の点数が圧倒的に乏しいから、貧相で寒々しい展示になってしまっていた。ファッションショウを見せる映像も、壁に埋め込んだモニターを狭い通路にただ並べているだけだから、鑑賞しにくいことこの上ない。展覧会のプロフェッショナルが関与したとは到底思えない、じつに粗悪な展示だった。しかも、一部のデザイナーの日本語表記が一般的に流通している表記と異なっていた点も気になった。すでに「クリス・ヴァン・アッシュ」として定着している表記をわざわざ「クリス・ヴァン・アッス」と書き表わすことの意義がよくわからない。たえず微細な差異を捏造することで正統性を牛耳ろうとするアカデミズムのいちばん悪い部分が露呈してしまっていたのではないか。
2009/04/28(火)(福住廉)