artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

杉本博司 歴史の歴史

会期:2009/04/14~2009/06/07

国立国際美術館[大阪府]

意味深なタイトルが付けられた本展。会場には本人の作品と収集物(化石、隕石、書籍、建築の残骸、仮面、考古遺物、宇宙食、美術品、etc...)が大量に持ち込まれ、美術と諸科学が巨大な渦を巻くような混沌とした空間が形成されていた。その渦の中で攪拌されるわれわれ観客は、否が応でも感性のツボを刺激され、まるで覚醒へと誘われるかのよう。それでいて、作品の配置でちょっとしたストーリーを作ったり、見立てを駆使するなど茶席のもてなしのような遊び心も。また、照明には細心の注意がはらわれており、国立国際美術館が普段とはまるで異なる空間に変身したことにも驚かされた。出品物全てが杉本の所有品ということも含めて、こんな贅沢な展覧会は滅多に見られるものじゃない。清濁併せのんだ大人が本気で遊んだらこうなるんだ、という稀有な一例であろう。

2009/04/13(月)(小吹隆文)

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ラグジュアリー:ファッションの欲望

会期:2009/04/11~2009/05/24

京都国立近代美術館[京都府]

「ラグジュアリー」を切り口に服飾史をたどるとともに、ラグジュアリー観の変遷をも考察する。端的に言うと、物質的ラグジュアリーから精神的ラグジュアリーへと価値観が抽象化していく過程を見せていた。展覧会の後半は川久保玲とメゾン・マルタン・マルジェラに割かれていたが、両者が服飾史において特別な地位を占めるのか、それともキュレーターの強い思い入れによるものかは、ファッションに疎い私には分からない。折からの不況時にラグジュアリー(贅沢)と銘打つのはいかにもKYだが、企画自体は約3年前から進められてきたものであり、その点は不運であった。「むしろこういう時期だからこそ前向きに」というキュレーターの言葉(記者発表時)は、後付けの理屈だが正しいと思う。

2009/04/10(金)(小吹隆文)

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千家十職×みんぱく

会期:2009/03/12~2009/06/02

国立民族学博物館[大阪府]

千家十職とは、茶事全般の道具(茶碗、窯、表具、指物など)を作って来た十の家のこと。300年から400年を超える歴史を持ち、当代で11代から17代を数える。本展では、彼ら十職が作り出してきた名品の展示に始まり、十職の目で選ばれたみんぱく(国立民族学博物館)収蔵品と、収蔵品にインスパイアされた十職の新作との共演、みんぱく側が十職の仕事を10の動詞に当てはめ、その分類に応じてセレクトした収蔵品展示が行なわれた。アルチザンとアカデミズムのコラボレーションとでもいうべき異色企画だが、収蔵品に新たな価値を与える手法としてとても斬新だ。

2009/03/12(木)(小吹隆文)

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椿昇 2004-2009: GOLD/WHITE/BLACK

会期:2009/02/17~2009/03/29

京都国立近代美術館[京都府]

2003年の「国連少年」(水戸芸術館)以来となる椿昇の大規模個展は、いかにも彼らしい挑発に満ちた内容となった。2004年以降、椿が目の当たりにしたのは、あらゆる天然資源を掘り尽くす米国・ユタの鉱山及び鉱山労働者が体現するグローバリズム経済の歪みや、イスラエルとパレスチナの間で永遠に続くかのごとき宗教的・政治的対立など。そうした体験を基に本展では、全長約30メートル(実物大)のミサイルのオブジェや、十二使徒とだぶらせた鉱山労働者の肖像、パレスチナの壁を再利用する国際宇宙ステーションのプラン、スターバックスのロゴマークと宗教的モチーフとバングラデシュの犠牲祭の映像が融合した祭壇のごときインスタレーション等が設営され、まるで斎場のような空間が出現した。また、彼の一貫したテーマである「ラディカル・ダイアローグ(根源的対話)」の実践として、さまざまなジャンルで活躍するゲストを招いたトークイベントが毎週開催される。椿いわく「利潤と簒奪を礼賛する高度資本主義社会が限界を迎えた今こそ、シェアと共存を旨とする新たな社会システムを構築するチャンスであり、そのためには各人が徹底的に思考する必要がある。本展はそのための装置である」(筆者要約)。しかし、メッセージを解説する文字資料は敢えて省略されており、観客は作品のみを通してアーティストの意図を読み取るしかない。この不親切な設定をどう捉えるかで、本展への評価は二分されるだろう。事実、記者発表時にも「言葉」の解釈をめぐって椿と某新聞記者の間で激しいやり取りがなされた。自分自身はもちろん、観客、美術館、メディアに対しても安易な対応を許さない厳しい態度は、知的武闘派の椿らしい愛のムチといえる。しかし、視覚体験のみで本展の意図を正しく理解するのは非常に困難だし、椿の挑発にメディアがどこまで応えるのかも心もとない。やはり何らかの形で言説を前面に出す工夫が必要ではあるまいか。

2009/02/16(月)(小吹隆文)

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吉原治良賞記念アートプロジェクト contact Gonzo:「the modern house──或は灰色の風を無言で歩む幾人か」project MINIMA MORALIA section 1/3

会期:2009/02/11~2009/02/20

大阪府立現代美術センター[大阪府]

どつき合いの喧嘩がそのままダンスになるcontact Gonzoのパフォーマンス。3年前に彼らを知った時の驚きは今も鮮明だが、同時に一発屋の懸念も抱いていた。久々に彼らのパフォーマンスと活動記録を見て、その表現には大きな可能性があることを改めて実感した次第。彼らの今回の活動は、刷新され約3年もの月日をかけて展開された「吉原治良賞記念アートプロジェクト」によるもの。同賞の主旨はさておき、3年間にわたって観客の注目を維持し続けるのは、やはり不可能と言わざるを得ない。私も途中で脱落したため、プロジェクトの全体像は把握できていない。この点は次回以降見直しが必要だと感じた。

2009/02/14(土)(小吹隆文)