artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

ルイス・ガレー「マネリエス」

会期:2014/10/04~2014/10/05

京都芸術センター[京都府]

最後の体感約20分ぐらいに押し寄せたダイナミクスの波、間の取り方、観客への緊張感の与え方、editセンス、一瞬一瞬の変化すべてが輝いて見えるほどの、神がかった演出力に感動。

2014/10/04(土)(松永大地)

プレビュー:悪魔のしるし『わが父、ジャコメッティ』

会期:2014/10/11~2014/10/19

KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ/京都芸術センター 講堂[神奈川県/京都府]

最近はcore of bellsとの共作『子どもを蝕む“ヘルパトロール脳”の恐怖』でその無気味な才能を発揮していた悪魔のしるしの危口統之。今作は、彫刻家の父・木口敬三と危口本人が出演する。おそらくリアルな(血縁関係のある)二人の人生と演劇というフォーマットとが重ねあわされたところでどんなことが起きるのかという、ひとつのドキュメンタリー演劇の試みとして注目できる。とはいえ、危口のことである。先述したcore of bellsとの共作では緻密なルールを課したアドベンチャーゲームのように会場を設えつつ、結果的には観客をただただ混乱させ、ひたすら目を瞑った状態でその場歩きをさせる、そういう拷問のごとき「悪巧み」を仕掛ける作家だ。きっと観客はおちおち座っていられまい。ただし、今作でぼくが期待しているのは、観客ではなく危口本人に「悪巧み」の矢が向けられているかもしれぬということだ。この場が危口演出のお化け屋敷のようになるのか? それとも危口本人が自らの変容を促されるトラップを用意しているのか? 観客への仕掛けと危口本人への仕掛けとがあるテンションを生み出しつつ共存していたら、それはそれは面白そうである。

横浜公演=2014/10/11~2014/10/13
京都公演=2014/10/16~2014/10/19


悪魔のしるし×KAAT 『わが父、ジャコメッティ』

2014/09/30(火)(木村覚)

室伏鴻×ASA-CHANG&巡礼『アウフヘーベン Vol. 1』

会期:2014/09/23

CAY[東京都]

室伏鴻はけっして一人では立たない。室伏はつねに誰か「と」立つ。そのためには「誰か」はたしかに必要なのだが、問題は立つそこに「と」があること。室伏鴻と「○○」ないし「○○」と室伏鴻。この「と」が機能すること。それは室伏と誰かが歩調を合わせることを意味しない。息を合わせ、互いの思いを同じにしようとすることは、望ましいというよりむしろせっかくの「と」がもつ危うさや緊張を回避してしまう間違った狙いというべきだ。だからといって、それぞれがただ勝手に自分自身を主張している状態では、やはり「と」で立つ意味はない。さて、その微妙なパランスを模索しながら両者がどう立ったかという点がこの公演の見所となるのだが、その結果もまた述べるのが難しい。ASA-CHANG&巡礼の音楽は、多様な楽器が用いられているばかりではなく、音声サンプリングが多用され、にぎやかで、それ自体が多様な要素の共存する「と」の演奏だった。音楽演奏が始まった後から室伏が登場すると、まるで諸要素が絡まってできたひとつの束の上に、さらにもうひとつの要素を貼付けるみたいで、両者が拮抗するように見えてこない。一番気になったのは、3人の演奏者たちは、つい立ての裏でその姿が一切見えないことだ。気配はちゃんとするので、演奏へのリアクションを室伏は時折するのだが、反対に演奏者からの応答はない。少なくとも見えない。姿を見せぬ者たちと姿をさらした者とはかくも拮抗しづらいのか。いっそ、室伏も姿を隠して、どちらも姿を見せぬままで、声で3人の演奏者と向かい合ったなら、拮抗したのかもしれない。

2014/09/23(火)(木村覚)

山崎広太『Running』(「Tokyo Experimental Performance Archive」での上演)

会期:2014/09/23

SuperDeluxe[東京都]

アメリカン・ヒットチャートのポップソングたちが立て続けに10曲以上かかっただろうか、40分超のパフォーマンスはほとんど同じbpmの音楽が観客と山崎広太の耳を覆うなかで進められた。構成は大きく三つに分かれていた。冒頭、山崎は浴衣に白いつば広の帽子を被り、うつむき加減で踊った。舞踏にも映る。手の指が小刻みに揺れる。でも、せわしなく動く足が体を平行移動させるのは、舞踏というより黒人系のダンスのようだ。強烈に内側に籠るのではない。その分、軽い。軽いが足と腕が別系統で動いているように見えるときなど、スリリングな瞬間が頻発する。浴衣と帽子を取ると、スポーティな短パン姿で、山崎はファッションショーのウォーキングのように、舞台奥か前に歩いて来ては退く。何十回と繰り返しても、そのたびニュアンスが違う。頻出する動きもあった。それは身体に障害をもっているかのような引きつった動作。ウォーキングが崩れてくると、突拍子のない動きが連なる。連結は滑らかなのだが、それでも、意外なイメージが飛び込んできて驚かせる。山崎らしいスリリングでユーモアも漂うダンスがあらわれた。そう思ってみていたのだが、終幕に近づくにつれて、とくに曲がアップテンポになると、それに合わせて激しくなる分、山崎の動きがエクササイズに見える場面が出てきた。エクササイズが舞台に持ち込まれてもよいけれども、印象として残念なのは、音楽に山崎の動きが支配されているように見えたことだ。ポップソングの力を舞台に置いてみたかったということなのだろうか。そうなのかもしれない。けれども、ポップソングと対峙するならば、音楽に身体を合わせるのとは異なる、もうひとつ別のアイデアが置かれても良かったのではないか。そうすると、あえてアメリカのポップソングを用いる批評的な意味があらわれたのではと思う。

2014/09/23(火)(木村覚)

プレビュー:鉄道芸術祭vol.4「音のステーション」

会期:2014/10/18~2014/12/23

アートエリアB1[大阪府]

京阪電車の駅コンコース内にあるアートエリアB1が毎年開催している、鉄道の創造性に着目した芸術プログラム。過去には、西野達、やなぎみわ、松岡正剛がプロデューサーを務めたこともあるが、今回はプロデューサー制を取らず、「音」をテーマにした作品展示やパフォーマンス、コンサート、ワークショップなどを開催する。ゲストは、有馬純寿、伊東篤宏、宇治野宗輝、江崎將史、鈴木昭男、野村誠、藤本由紀夫、八木良太などの面々。彼らがつくり上げる、ジャンルや業態の枠を超えた“音のステーション”がいまから楽しみだ。

2014/09/20(土)(小吹隆文)