artscapeレビュー
パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー
岩渕貞太『斑(ふ)』
会期:2014/03/08~2014/03/09
アサヒ・アートスクエア[東京都]
60分間、自然の景観に身を漂わせているかのような時間だった。ぼくだけだろうか、優れたダンスを前にすると決まってそうなるのだが、舞台上の出来事とは無関係な考えごとに夢中になってしまった。黒沢美香を見ていてもそんな状態になるのだが、おそらくそんなことが起きるのは、目の前の運動に無理がなく、とはいえ常に微妙な変化やズレがそこにはあって、ゆえに見ている者の脳が活性化され続けるからではないのか。ダメだなと思うダンスというのは、見る者に頭での理解を促す。振り付けが伝えたい意味とか、テーマ性とかを読まされる。意味とかテーマの説明に身体が奉仕しているダンスは、曲芸の動物を前にするときのように、息苦しくなる。こちらの開かれたい部分が開かないのだ。岩渕貞太の今回の作品には、その息苦しさが皆無だった。それは、なかなか希有で、すごいことだ。冒頭、三人(岩渕の他、小暮香帆と北川結)が舞台に上がるとジョギング・ウェアに見えなくもない姿で、「ウォーミング・アップ」をはじめた。徐々に体をほぐす。この「ほぐし」が、少しずつバランスを変化させることで、動きのヴァリエーションをつくってゆく。「振り付け」が先にあるというよりは、筋肉や間接の構造が生む身体の性格がひとつの動きを生み、その動きがさらに次の動きを動機づける、そんな風なのだ。だから無理がない。最初は純粋に「ウォーミング・アップ」に見えた動きは、腰や腕や脚の付け根あたりが起こす「ツイスト」によって、たんなる体操ではない、ダンスが生じている。体が生むダンスだなと思わされた。体の構造が、また各自の構造の個性が、ダンスになっている。岩渕がもともともっているグロテスクさへの興味が、ことさらではないかたちで呈示されている、そうも思った。当たり前のようだが、簡単ではない。不意のツイストが、つむじ風のように自ずと生じ、さっきまでのリズムを崩す、変化に富んでいてずっと見てしまう。他の2人が退いて、結果的にソロになる場面など、構成の変化はある程度あるにせよ、ほぼ最初からの状態がずっと続く。きわめてミニマルなのだけれど、強烈な意志が背後にあると感じさせる。上手く説明できないのだが、初めて見る感触だった。この世のどこにもなかったダンス、だけれども、ぐっと引きつけられる力のあるダンスの誕生を目の当たりにした。
2014/03/08(土)(木村覚)
プレビュー:いわき演劇まつり
会期:2014/03/20~2014/03/22
いわき芸術文化交流館アリオス、MUSIC & Bar Queen、アートスタジオ もりたか屋、La Stanza(ラ・スタンツァ)[福島県]
昨年末に、水戸芸術館で目の不自由なひとたちと一緒に美術展を見るという企画に参加した。その企画が始まる前に、展示をざっと見ていたのだけれど、1人で見るのと、グループで目の不自由なひとも隣に居ながら作品を見るのとでは、ほとんどまったくと言ってよいほど異なる経験だった。そういうこと、よく忘れる。作品の純粋な鑑賞なんてない。鑑賞はいつもノイジー。だって、演劇・ダンスの公演なんて、誰とも同じ席で見ることができないのだ。それに、前に背の高く帽子を被った輩が居るかも知れないし、そうして視界が遮られたって、鑑賞は鑑賞なのだ。「どこ」で「誰」と見るかというファクターだけとってみても、鑑賞はおおいいに揺らぐ。誰と生きているのか。「3.11」はその当たり前だけど反省せずにいたことを気づかせてくれた。「いわき演劇まつり」(3/20~22)に行きたい。このイベントで見るマームとジプシー(『Rと無重力のうねりで』『まえのひ』ほか)は格別のような気がする。いや、わからないけれど、でも、そうであったらことだな、と思う。平田オリザのアンドロイド演劇(『さようなら』)や「銀河鉄道の夜」の公演もあれば、地元の高校演劇部の上演(いわき総合高校演劇部『あひる月13』)もある。そういうラインナップが並んだとき、それぞれの作品からどんな気持ちが生まれるのか、わくわくする。ぼくがチケットを買うことで、いわきの観客の席を奪うことにならないのなら、行ってみたい。
2014/02/28(金)(木村覚)
神戸─アジア コンテンポラリーダンス・フェスティバル♯3 Aプログラム
会期:2014/02/15~2014/02/17
Art Theater db Kobe[兵庫県]
アジアと日本で活躍するアーティストの身体表現を紹介する「神戸─アジア コンテンポラリーダンス・フェスティバル♯03」。3回目の今回はコンタクト・ゴンゾの塚原悠也がプログラム・ディレクターを務め、異なるジャンルの複数のアーティストが協働して新作舞台をつくる試みが行なわれた。プログラムは2つの日程に分かれており、筆者が見たAプログラムでは、岡田利規(劇作家、演出家)×曽田朋子(造形作家)×ピチェ・クランチェン(ダンサー、振付家/タイ在住)と、スカイチャーチ(ハードコア・バンド/フィリピン在住)×西光祐輔(写真家)×コンタクト・ゴンゾ(パフォーマンス・グループ)による2つの演目を上演。前者は、現実と夢とその中間を象徴する3人の人物の交流を描いたもので、全編にみなぎる静謐な空気が印象的だった。一方、後者は轟音と喧嘩まがいの肉弾戦が繰り広げられるアッパーなもので、最後は走り回る出演者と観客が共に「どろソース」の歌を合唱し、不思議な連帯感に包まれた。筆者は舞台を見る経験が乏しく、この日も前者の演目を見ながら自分のリテラシー不足を実感した次第。もう少し舞台を見る機会を設けなければ。
2014/02/16(日)(小吹隆文)
TPAMショーケース参加作品 ARICA「しあわせな日々」
会期:2014/02/14~2014/02/16
横浜赤レンガ倉庫 1号館3Fホール[神奈川県]
横浜赤レンガ倉庫にて、ARICAの「しあわせな日々」を観劇。絶えずひとりでしゃべっているのだが、上半身しか動かない安藤朋子のほぼ独演なので、緊張感が途切れることがない。音の存在感も大きい。あいちトリエンナーレ2013の初演から変わったところもあり、作品がパワーアップしていた。今回はベケットの原文字幕が同時に表示されており、日本語訳の妙もリアルタイムで堪能できる。終了後、アーティストの金氏徹平による舞台装置の背後を見学させてもらったが、前から見えない部分はやはりシンプルかつ機能的だった。
2014/02/15(土)(五十嵐太郎)
吉本新喜劇×ヤノベケンジ
会期:2014/02/14~2014/02/16
よしもと祇園花月[京都府]
美術家のヤノベケンジが吉本新喜劇とがっぷり四つに組んだ、きわめてレアな、そして関西的な特別公演。物語の舞台は、大阪万博目前の1970年の大阪と、2度目の東京オリンピックを控えた2020年の東京。原子力エネルギーへの言及(架空の「ニュー・クリア・エナジー」に置き換えられた)や、アトムスーツを着用した池乃めだか(似合いすぎ!)が活躍するなど、ヤノベ色の強い世界観を背景にしながらも、全体的なテイストは吉本新喜劇そのものだった。ヤノベのメッセージが果たしてどこまで伝わったのか不明だが、分の悪い勝負を引き受けた彼の勇気は称賛に値する。あえて苦言を呈すると、中盤あたりで場面転換が相次ぎ、少々中だるみが感じられた。上演時間約2時間半(途中休憩含む)の長尺だったが、もう少しコンパクトにまとめられたのではなかろうか。また、アートファンとしては、もっと過激にヤノベ色を打ち出してほしかったという気持ちもある。ただ、水と油のようなアートとお笑いを融合させる試み自体は画期的であり、その目撃者になれたことを幸運に思う。
2014/02/15(土)(小吹隆文)