artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

プレビュー:トヨタコレオグラフィーアワード2014──次代を担う振付家の発掘

会期:2014/08/03

世田谷パブリックシアター[東京都]

8月3日にトヨタコレオグラフィーアワード2014が開催されます。これは、必ずしもそう限定されているわけではないのですが、日本のコンテンポラリーダンスの分野にとって最大のアワードです。今回のファイナリストたちは、いまのダンスの状況を反映した、バラエティに富んだ顔ぶれです。
ここには、「日本のコンテンポラリーダンス」というかたちでまとめられるひとつの傾向は見いだせないことでしょう。むしろ多様な試みが、踊りの場を活性化し続けている、そういう光景に遭遇できるのではないでしょうか。8月の公演ですが、チケットが早々に売り切れる可能性が高いので、今月のプレビューで紹介します。必見です。ちなみに、ぼくは7月からBONUSという「ダンスを作るためのプラットフォーム」をインターネット上でスタートさせます。このなかに〈ジャーナリズム〉というコーナーがあります。今回、〈ジャーナリズム〉が最初に取り上げるテーマが他ならぬこの「トヨタコレオグラフィーアワード」です。かもめマシーンの主宰として活躍している萩原雄太さんに取材・執筆をお願いしました。このアワードに初めて触れる人にもよくわかる内容になっていると思います。ご一読ください。

2014/06/30(月)(木村覚)

大駱駝艦・天賦典式『ムシノホシ』

会期:2014/06/26~2014/06/29

世田谷パブリックシアター[東京都]

今作は、ぼくの大駱駝艦鑑賞歴のなかで、もっとも素晴らしかった。これは「舞踏」ではないかもしれない。けれども「舞踏」ではないが故に、まったく新しいなにかだった。圧倒的にユニークなのはその動きのありようだ。いわゆる「舞踏」にありがちな、じとーっとした動き、緩慢さのなかに緻密さが内包されているといえばいいだろうか、そうした動きはほとんどない。代わりにあるのは、シンプルで短い動きの反復だ。いつもの「キーッ」と叫ぶ声が漏れ、その都度、動きは変わるのだが、合図のたびに変わる動きは、どれも単純で短い。それは過去のダンス史を振り返っても前例がほとんどないもので、でも、たとえば、ゲームのキャラクターがプレイヤーによって動かされるのを待っている際のあの反復的な動きとか、あるいは短い動作を繰り返すGIFの画像に似ているなんて連想が膨らむと、それが日常見慣れている動作であることに気づかされる。そうした動きを、男性10名弱、女性10名弱がいくつかの小グループに分かれつつ、揃って行なうのである。最近知り合ったGIFマニア(20代)はGIFの魅力を、起承転結がなくて、起きる出来事に揺らぎがなく、故に安心して見ていられるところにあると話してくれた。演劇はもちろんのことダンスにおいても起承転結がないことは、しばしば欠点として語られがちだ。だが、彼のような感性からすれば、起承転結は余計な仕掛けに映るのであって、ひとつのGIF画像として閉じ込めたかのような動作の完璧な反復は、けっして裏切ることはないし、それどころか陶酔的な誘惑を秘めている。単純な反復がもつグルーヴということならば、テクノ・ミュージックはまさにそういうものだ(そして、たしか舞台に用いられていた音楽はジェフ・ミルズだった)。タイトルにあるように、登場するダンサーたちは、冒頭、人間のまま(しかし、白塗りの状態)で現われたあと、再び登場したときには、男はやかんを被ってあちこち歩き回り、女は脚を折り畳んでダンゴムシのように転がり、「ムシ」へと変貌した。そこへ「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」と口走るいかにもな格好をした松尾芭蕉(村松卓矢)があらわれ、いつのまにか女たちを奪っていった。麿赤兒はその女たちに混じって突然あらわれた。女たちとは異なり、麿の足は赤い靴を履いている。ならばムシではなく人間か? そうかと思っていると、同じ格好の赤い靴を履く女の子たちが群れであらわれ、捕虫網を宙に遊ばせる。ムシと人間とが行き来し、渾然一体となっているかと思うと、松尾芭蕉と麿赤兒とが二人だけになり、向き合う格好に。麿が踊れば、松尾芭蕉は「違う!」「No!」と絶叫。今回も、やはり後半部に「父殺し」のモチーフが展開された。しかし、圧巻だったのはラスト。男たち女たちの群舞が最後に用意されていたのだが、彼らはほとんど全裸の肌に銀粉を塗り、顔をマスクで覆っていた。その効果で、舞台がメタリックなきらめきに包まれた。背中を向くと、本人とおぼしき顔写真が背中に大きく貼付けられている。全員が背中を見せれば、写真の顔がずらっと並ぶ。この光景がこれまた奇想天外で、シュルレアルにも映るし、同時に何やらSNSの顔写真のようでもある。「舞踏」よりもリアルななにかを感じながら、それが指す風向きへと大駱駝艦は帆を進めていた。ぼくは今度、大駱駝艦の公演に上記したGIFマニアの知人を誘ってみようと思う。きっといまの大駱駝艦にピンとくるのは、彼みたいな感性の人に違いないのだ。

2014/06/26(木)(木村覚)

魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展

会期:2014/06/18~2014/09/01

国立新美術館[東京都]

ロシア出身の貴族セルゲイ・ディアギレフが主宰したバレエ団「バレエ・リュス(ロシア・バレエ)」。舞踏、音楽、そして美術において卓越した才能を見出し、1909年からディアギレフが亡くなる1929年までの20年間にバレエを革新し、総合芸術にまで高めた伝説のバレエ団。本展はいまから100年ほど前に演じられたバレエ・リュスの舞台衣裳を集めた展覧会だ。会場は四つのパートに分けられている。第1は1909年から1913年までの初期の活動。アレクサンドル・ブノワ、レオン・バクストらによる美術・装置は東洋的、あるいはロシア的なエキゾティシズムに溢れ、西欧の観客に大きなインパクトを与えた。第2は1914年から1921年。第一次世界大戦が勃発した後、ディアギレフはそれまでの東洋趣味から離れ、ピカソやコクトーなどパリで活躍していた芸術家たちと共同し、同時代のモダニスムを取り入れてゆく。第3は1921年から1929年で、モダンで洗練された作品が生み出された時代。マリー・ローランサンやガブリエル・シャネルなどが美術を手がけている。第4はバレエ・リュスの解散後。ディアギレフの没後にその活動に触発されたバレエ団がいくつか現われるが、そのなかでも1932年に結成されたバレエ・リュス・ド・モンテカルロの活動に焦点を当てる。あくまでも衣裳を中心とした展示ではあるが、いくつかの映像によって総合芸術としてのその舞台の新しさを垣間見ることができよう。
 ディアギレフの時代に限定すればわずか20年の活動期間ではあるが、関わった人々はダンサー、音楽家、美術家のいずれも多彩で、バレエ・リュスはつねに変化し、新しい舞台を生み出し続けていた。それは、バレエ・リュスが他のバレエ団と異なり、固定の劇場を持たなかったこと。プロモーターとしてのディアギレフは才能を見出す能力に長けており、成功したダンサーがバレエ団を離れても、新しい才能を見つけ出し、バレエ団に新風を送り続けることができたことなどの理由があげられよう。またパリでの成功(それは必ずしも経済的な成功を意味しないが)は西ヨーロッパの芸術家やそのパトロンたちとの交流をもたらし、脚本、音楽、美術を変化させていった。
 本展に出品されている舞台衣裳はみなオーストラリア国立美術館の所蔵品。ディアギレフの没後、バレエ・リュス・ド・モンテカルロに引き継がれた舞台衣裳が、1973年の競売でモダンアートの作品蒐集を目指していたオーストラリア・ナショナル・ギャラリー(現オーストラリア国立美術館)によって落札されたのだ。その後も蒐集は続き、バレエ・リュスの衣裳と関連資料は同館の重要な位置を占めるコレクションとなっている。ヨーロッパのバレエ団の衣裳が蒐集対象とされたのは、バレエ・リュス・ド・モンテカルロがオーストラリアで3回にわたって公演を行ない、同バレエ団で活躍したダンサーたちがオーストラリアのバレエの基礎を築いた存在であったからだという。豪華で色鮮やかな衣裳は100年前につくられたものと思えないほどよい状態に見えるが、それは同美術館の修復部門の仕事の賜物である。本展図録に詳説された資料獲得の経緯やその修復のプロセスはとても興味深い。
 1909年から1929年はすなわち明治42年から昭和4年。バレエ・リュスは日本にはやってこなかったが、ヨーロッパに訪問、留学していた日本人でその舞台を見た人たちがいる。本橋弥生・国立新美術館学芸員の論考「日本におけるバレエ・リュスの受容──1910-20年代を中心に」(本展図録、181-193頁)には、パリやロンドンでバレエ・リュスの舞台を鑑賞した日本人として、石井柏亭、山田耕作、小山内薫、島崎藤村、大田黒元雄、二代目市川猿之助らの名前が挙げられている。またバクストらが手がけた舞台美術は、はやくから日本で紹介されていたという。オーストラリアと日本。20世紀初頭の極東の地にまで影響を与えたバレエ・リュスの舞台が、当時いかにセンセーショナルなものであったかがうかがわれる。[新川徳彦]

2014/06/25(金)(SYNK)

artscapeレビュー /relation/e_00026149.json s 10100463

生西康典『瞬きのあいだ、すべての夢はやさしい』

会期:2014/06/06~2014/06/16

MAKII MASARU FINE ARTS[東京都]

あらかじめ予約する際のウェブサイトにそう書いてあったのだから、承知していたこととはいえ、やっぱり観客はぼくひとりきりだった。案内してくれる女の人(桒野有香)とともに扉をくぐると、そこは小さく暗く細長い空間。指差すほうに椅子があり、座ると左右に耳とちょうど同じ高さのスピーカがこちらを挟むように設置してあった。案内を終えた女の人は向かい端でこちらに顔を向け、椅子に腰掛ける。薄暗い。程なくして目の前の女の人ではなくスピーカからの声。「私の声が聞こえますか?」つい「はい(聞こえてますよ)」と答えそうになるが、ここは「観客」でいるべきなのだろう。それにしても「私」とは誰のことか? 誰の声か? それよりも「私」が誰かが気になる。「私」の主は判然としないのだが、声は執拗に語りかけてくる。空間は薄く暗い。なんだか、目の前の女の人が肖像画に見えてくる。彼女が「私」ではないことはスピーカの位置から判断できる。でも、ならば一層「私」とは誰なのだろう。今度は声の主が男(飴屋法水の声だ!)に変わる。彼も「私」と言う。しかも「あなた」と語りかけもする。「あなた」はきっとぼくではない。なぜなら、この上演は複数回繰り返されている以上、ぼくではない誰かもここに座ってきたはずだし、あるいはこれからここに座るのだから。でも、それにしても、執拗に「あなた」への呟きは繰り返された。ときに「あなた」はぼくに寄り添い、ときにぼくに入り込み、それでいてさらにぼくと距離を取った。声の呼ぶ「あなた」に対して観客が受け取る遠かったり近かったりする感覚があり、それこそこの上演のメタ演劇的本質であろう、そうぼくは思った。生命の存在や死をめぐる話題が、世界や自然のあり方についての考えが、語られる。きっとこれが、再生装置による「声」だけならば、自分がたったひとりの観客であることを多少気軽に思えたことだろうが、目の前に女の人がいる。生身の人の存在は、いまの自分が他人と代替しうるただの観客であるという言い訳めいた思いを、許してくれない。独特の緊張が自分の身を意識させる。ああいつもの観劇の際の「複数の観客の一人」でいるときの、気楽さよ! 闇は、しかし、じつにデリケートにコントロールされた。そのたびに、自分の体に刻まれた記憶が喚起された。複数の声が聞こえているときも、心は繰り返し勝手な像をこしらえては崩した。その体験中に起こるすべての出来事が、この作品なのだ。そうだ、そう断定してしまおう。だって、それを知っているのはぼくしかいないのだから。

2014/06/16(月)(木村覚)

プレビュー:ダンス・アーカイヴ in JAPAN──未来への扉

会期:2014/06/06~2014/06/08

新国立劇場[東京都]

「ダンス・アーカイヴ in JAPAN──未来への扉」という公演が行なわれる。昨今、あちこちでダンスを「アーカイヴ」するプロジェクトのことを耳にするけれども、これは「日本の洋舞100年」を振り返る企画だそう。伊藤道郎、江口隆哉、石井漠、高田せい子ら、20世紀前半に、欧米のダンスの流れに影響を受けて、独自のダンスを生み出していった振付家たちの作品が再演される。かつてNYを旅したとき、ハンター・カレッジの学生たちが、マーサ・グレアムやトリシャ・ブラウンの作品を、自分たちのルーツを讃えるかのように上演しているのを見て、彼らのダンス史とのつき合い方に感銘を受けたことがある。若い国アメリカ合衆国にとって、20世紀の芸術は彼らの誇りであり、繁栄の象徴なのだろう。かたや日本では、自分たちの先達の作品と自分たちとのつながりを反省する機会というのはほとんどない。「歴史家とは、後ろ向きの予言者である」(シュレーゲル)なんて言葉もあるが、過去から未来を掘り出して来ることも可能であるはず。少なくとも、そう信じることは無駄ではあるまい。

2014/05/31(土)(木村覚)