artscapeレビュー
大駱駝艦・天賦典式『ムシノホシ』
2014年07月01日号
会期:2014/06/26~2014/06/29
世田谷パブリックシアター[東京都]
今作は、ぼくの大駱駝艦鑑賞歴のなかで、もっとも素晴らしかった。これは「舞踏」ではないかもしれない。けれども「舞踏」ではないが故に、まったく新しいなにかだった。圧倒的にユニークなのはその動きのありようだ。いわゆる「舞踏」にありがちな、じとーっとした動き、緩慢さのなかに緻密さが内包されているといえばいいだろうか、そうした動きはほとんどない。代わりにあるのは、シンプルで短い動きの反復だ。いつもの「キーッ」と叫ぶ声が漏れ、その都度、動きは変わるのだが、合図のたびに変わる動きは、どれも単純で短い。それは過去のダンス史を振り返っても前例がほとんどないもので、でも、たとえば、ゲームのキャラクターがプレイヤーによって動かされるのを待っている際のあの反復的な動きとか、あるいは短い動作を繰り返すGIFの画像に似ているなんて連想が膨らむと、それが日常見慣れている動作であることに気づかされる。そうした動きを、男性10名弱、女性10名弱がいくつかの小グループに分かれつつ、揃って行なうのである。最近知り合ったGIFマニア(20代)はGIFの魅力を、起承転結がなくて、起きる出来事に揺らぎがなく、故に安心して見ていられるところにあると話してくれた。演劇はもちろんのことダンスにおいても起承転結がないことは、しばしば欠点として語られがちだ。だが、彼のような感性からすれば、起承転結は余計な仕掛けに映るのであって、ひとつのGIF画像として閉じ込めたかのような動作の完璧な反復は、けっして裏切ることはないし、それどころか陶酔的な誘惑を秘めている。単純な反復がもつグルーヴということならば、テクノ・ミュージックはまさにそういうものだ(そして、たしか舞台に用いられていた音楽はジェフ・ミルズだった)。タイトルにあるように、登場するダンサーたちは、冒頭、人間のまま(しかし、白塗りの状態)で現われたあと、再び登場したときには、男はやかんを被ってあちこち歩き回り、女は脚を折り畳んでダンゴムシのように転がり、「ムシ」へと変貌した。そこへ「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」と口走るいかにもな格好をした松尾芭蕉(村松卓矢)があらわれ、いつのまにか女たちを奪っていった。麿赤兒はその女たちに混じって突然あらわれた。女たちとは異なり、麿の足は赤い靴を履いている。ならばムシではなく人間か? そうかと思っていると、同じ格好の赤い靴を履く女の子たちが群れであらわれ、捕虫網を宙に遊ばせる。ムシと人間とが行き来し、渾然一体となっているかと思うと、松尾芭蕉と麿赤兒とが二人だけになり、向き合う格好に。麿が踊れば、松尾芭蕉は「違う!」「No!」と絶叫。今回も、やはり後半部に「父殺し」のモチーフが展開された。しかし、圧巻だったのはラスト。男たち女たちの群舞が最後に用意されていたのだが、彼らはほとんど全裸の肌に銀粉を塗り、顔をマスクで覆っていた。その効果で、舞台がメタリックなきらめきに包まれた。背中を向くと、本人とおぼしき顔写真が背中に大きく貼付けられている。全員が背中を見せれば、写真の顔がずらっと並ぶ。この光景がこれまた奇想天外で、シュルレアルにも映るし、同時に何やらSNSの顔写真のようでもある。「舞踏」よりもリアルななにかを感じながら、それが指す風向きへと大駱駝艦は帆を進めていた。ぼくは今度、大駱駝艦の公演に上記したGIFマニアの知人を誘ってみようと思う。きっといまの大駱駝艦にピンとくるのは、彼みたいな感性の人に違いないのだ。
2014/06/26(木)(木村覚)