artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
三田村陽「hiroshima element」
会期:2015/07/21~2015/08/08
The Third Gallery[大阪府]
関西在住で、広島とは縁もゆかりもない三田村陽。彼は約10年間にわたり月に一度広島を訪れて、スナップ写真を撮影し続けた。その作品をまとめた写真集『hiroshima element』の発行を記念して開催されたのが本展だ。広島は原爆と共に語られることが多いが、三田村は既成概念を避け、あえて白紙の状態から広島と向き合った。もちろん原爆にまつわる情景を撮った作品もあるが、あくまでも一モチーフに過ぎない。だとすれば、「なぜ広島なのか」との問いが脳裏をよぎるが、三田村は「むしろ自分もそれを知りたいのです」と言わんばかりに「わからなさ」を隠そうとしないのだ。むしろ戸惑いや問いかけの連続こそが彼の作品の本質であり、被写体と真摯に向き合う姿勢の積み重ねこそが作品の魅力なのだろう。「なぜ広島なのか」と思った人は、その問いかけこそ自分が既成概念にとらわれている証だと気付かされるに違いない。
2015/07/21(火)(小吹隆文)
瀬戸正人「瀬戸家1941-2015──バンコク ハノイ 福島」
会期:2015/07/14~2015/07/27
新宿ニコンサロン[東京都]
家庭アルバムは写真家の自己表現をめざすものではないゆえに、逆に撮ることの原点を指し示し、写真本来の輝きを刻みつけることがある。ただ、今回瀬戸正人が新宿ニコンサロンで開催した「瀬戸家」展は、その中でもやや特異なありようを呈していると思う。というのは、「瀬戸家」の来歴そのものが、普通の日本人の家庭アルバムにはおさまりきれないものだからだ。
瀬戸正人の父、武治は1941年に会津若松の写真館で撮影した記念写真を残して出征し、上海、ベトナム、ラオス、タイと転戦して終戦を迎える。ところが、引揚げの機会を失って、タイ国ウドンターニ市に留まり、当地でハノイから来たベトナム人の女性、ジンと結婚して写真館を経営するようになる。1953年、トオイ(日本名、正人)が誕生。1962年になって、ようやく故郷の福島県梁川町(現伊達市)に帰郷することができた。
つまり、日本の戦前から戦後にかけての歴史と社会状況を、あまり例のない角度から照らし出しているのが「瀬戸家」に残された写真群であり、それらのスナップ写真、記念写真には、その断面図が重層的に畳み込まれているのだ。今回の展示では、小さい写真をスキャニングして大きく引き伸ばし、実物と一緒に並べていた。写真の表面の傷や染み、印画紙の凹凸までくっきりと浮かび上がることで、実物以上の物質感を体験できるのが興味深い。そのことによって、タイ、ベトナム、日本の時空が入り混じり、行き交うような、カオス的といえる展示空間が成立していた。
会場には、福島やハノイで撮影した瀬戸自身の「作品」も展示されていたのだが、今回はむしろ「瀬戸家」のアルバムだけで構成した方がよかったような気もする。「作品」はまた別の物語を呼び起こしてしまうからだ。
2015/07/20(月)(飯沢耕太郎)
黒田菜月「ファンシー・フライト」
会期:2015/07/13~2015/08/08
東塔堂[東京都]
2013年に第8回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞し、翌年個展「けはいをひめてる」を開催した黒田菜月。2014年には吉開菜央監督の映画『ほったまるびより』の撮影現場の写真をおさめた写真集『その家のはなし』を刊行するなど、順調にキャリアを伸ばしている。今回の東京・渋谷の東塔堂での展示では、彼女の日常の場面に眼差しの触手を伸ばしていく感覚が、繊細に研ぎ澄まされ、より深く対象の奥へと届いてきていることがしっかりと伝わってきた。
黒田は、展覧会にあわせて刊行された同名の写真集にこんなことを書いている。
「からだを通りこころで受け止めるものや、こころで感じていることの身体への現れには、飛躍がある。それは、夢のチェンジのような無差別なものではなく、どこかにその人自身の因果が隠れ潜んでいる。」
このような「飛躍」の感触は、写真を撮り続ける中で少しずつ育っていったのだろう。「からだ」と「こころ」のズレは、うっとうしさや居心地の悪さにもつながるが、ほのかな、だが心ときめくエロスを呼び起こす元にもなっていきそうな気がする。今回展示されたシリーズでは、ウサギやヤギなどの動物、若い女性を撮影したポートレートなどにそれをはっきりと感じることができた。今はむしろ、その「飛躍」をより積極的に拡大していくべきではないだろうか。写真家としても、一皮むけて、新たな方向に一歩踏み出していく時期に来ているように思える。
2015/07/20(月)(飯沢耕太郎)
鈴木理策「意識の流れ」
会期:2015/07/18~2015/09/23
東京オペラシティアートギャラリー[東京都]
2015年2月1日~5月31日に丸亀市猪熊源一郎美術館で開催された鈴木理策「意識の流れ」展が東京オペラシティアートギャラリーに巡回してきた。同展のカタログにおさめられた倉石信乃との対談「写真という経験の為に」で、倉石の「鈴木さんはわりと、経験主義者なわけですよね」という問いかけに対して、鈴木は「はい、とても」と答えている。だが、この場合の「経験」というのは、微妙なバイアスがかかった概念だと思う。
ひとつには、今回の展示作品のテーマとなる熊野(鈴木の故郷でもある)の自然や祭礼を、直接的ではなく、あくまでも写真を通じて「経験」しているということだ。むしろ、現実と写真との間のズレこそが鈴木の最大の関心のひとつになる。同カタログに「人間の目とカメラの目には必ずズレが生じるという事実は、私が写真に魅かれる最大の理由である」と書いている。もうひとつは、あくまでも自分の個人的な「経験」にこだわりつつも、それを狭隘な「経験主義」に封印することなく、より広く開いていこうとする態度が見られることだ。鈴木の写真を見ていると、むしろ彼自身の眼差しや身体性が消え去り、より普遍的な、人類学的とすらいいたくなるような「経験」が姿をあらわすように思えてくる。
それにしても、鈴木の写真作品の展示には、ある程度以上の大きさを持つ器が必要になるのではないだろうか。今回は「海と山のあいだ」の連作を中心に、「水鏡/Water Mirror」「White」「SAKURA」「 tude」の5作品、約150点が並んでいたのだが、プリントを「見せる」ことを作品発表の基本と考える彼にとって、作品をインスタレーションする環境のあり方が大事な要素となることがよくわかった。全体にバランスのとれた展示だったが、むしろそのバランスを突き崩す仕事、近作の花のシリーズ「 tude」(2010~14年)や動画作品「The Other Side of the Mirror」(2014年)などに、この写真作家が止まらずに動き続けていることが、くっきりとあらわれてきている。さらなる「経験」の広がり、深まりが期待できそうだ。
2015/07/17(金)(飯沢耕太郎)
Nerhol「01」「01 Scape」
会期:2015/07/11~2015/08/29
YKG Gallery/G/P GALLERY[東京都]
写真とグラフィックデザインの領域が最も近づいたのは、1920~30年代だったのではないだろうか。バウハウスのラースロー・モホイ=ナジの『絵画・写真・映画』(1925年)などを見ると、フォトグラム、フォト・モンタージュ、そして文字・記号と写真とを組み合わせるティポ・フォトなどの新たな技法が、写真家とデザイナー(両方を兼ねる場合もある)の相互交流によって生み出されていったことがわかる。小型カメラの登場やグラフマガジンの興隆など、同時代の視覚世界の急速な拡張が、果敢な造形の実験に結びついていったのだ。
その意味では、1990年代以降のデジタル化の進行は、20~30年代の状況と重なりあって見えてくる所がある。インターネットとスマートフォンの時代における視覚表現も、写真とグラフィックデザインと境界領域を溶解、浸食しつつあるのではないだろうか。Nerhol(田中義久+飯田龍太)の作品を見ていると、彼らとモホイ=ナジやマン・レイを比較したくなってくる。今回の作品は、ある一日にインターネットに上がった画像を紙に印刷し、厚く重ねて、「0」と「1」という数字の形が浮かび上がるようにカッターで彫り込んでいったものだ。東京・六本木に新たに開設したYKG Galleryでは、その「写真彫刻」の実物が、恵比寿のG/P GALLERYではその一部を拡大して撮影した写真作品が展示されていた。
現代社会の断面図を指標化して提示しようとする意欲的な試みではあるが、それが「写真の可能性をラディカルに拡張」した「クリティカリティの冒険」(後藤繁雄)であるかどうかについては、判断を保留しておきたい。モホイ=ナジやマン・レイの作品は、まさに世界の眺めを更新するような「ラディカル」な試みであったわけだが、Nerholの二人の作品がグラフィカルなセンスのよさと、手業の極致という段階に留まるのか、そうでないのか、まだ確信が持てないのだ。
YKG Gallery:2015年7月11日~8月29日
G/P GALLERY:2015年7月11日~8月9日
2015/07/16(木)(飯沢耕太郎)