artscapeレビュー
2017年12月01日号のレビュー/プレビュー
鉄道芸術祭vol.7 STATION TO STATION
会期:2017/11/10~2018/01/21
アートエリアB1[大阪府]
京阪電車「なにわ橋駅」構内という独特のロケーションで知られるアートエリアB1では、「鉄道芸術祭」という、鉄道にまつわる歴史や文化を多角的に捉え直し、クリエイティブな表現として発信することをテーマにした企画展を毎年行なっている。7度目となる今回は、アーティスト、グラフィックデザイナーであり、不定期刊行物『球体』の責任編集者である立花文穂をメインアーティストに迎え、彼のディレクションの下、約20組の作家が作品展示を行なっている。作品は、絵画、ドローイング、映像、漫画など多彩で、なぜだか分からないが通常の展覧会とは異なる空気感が感じられた。旅をテーマにした作品があったからだろうか、ロードムービーを見ているかのような気持ちになったのだ。立花は本展を『球体』の最新号としてディレクションしたと述べており、展覧会を書籍として成立させようとしたことが、この不思議な手触りを生み出したのかもしれない。こうしたクロスジャンル的なキュレーションが増えれば、美術展はいまより面白くなるかもしれない(同時に大コケする可能性も増えるのだけど)。
2017/11/12(日)(小吹隆文)
THE ドラえもん展 TOKYO 2017
会期:2017/11/01~2018/01/08
森アーツセンターギャラリー[東京都]
ドラえもんとは、言うまでもなく日本の大衆文化を代表するアイコン。他の主要な登場人物も含めて、これほどあらゆる世代に知られ、親しまれ、愛されているキャラクターは他に類例がないのではないか。逆に言えば、にもかかわらず、ポップ・アートのなかにそれほど回収されていないのが不思議である。
本展はドラえもんをテーマにした企画展。「あなたのドラえもんをつくってください」という依頼に応えた28組のアーティストによる作品が展示された。著作権の問題をクリアしているからだろうか、それぞれのアーティストが思う存分ドラえもんと対峙しながら制作した作品は、いずれもすがすがしい。
ドラえもんという記号表現を自分の作品に有機的に統合すること。おそらく、本展のように強いテーマ性をもった企画展を評価する基準は、そのように与えられた外部要因と自分の内側にある内部要因との整合性にあるように思う。その縫合がうまくいけば作品として成立するし、失敗すれば破綻する。じつに明快な基準である。
例えば村上隆は、これまでマンガやアニメーションの記号表現や文法を巧みに回収してきたせいか、そうした有機的な統合をじつにスマートに成し遂げてみせた。背景をマットな質感で、キャラクターを光沢のある質感で、それぞれ描き分けるなど、いつもながらに芸が細かい。近年は牛皮を支持体にして大規模な絵画を手がけている鴻池朋子も、藤子・F・不二雄の丸みを帯びた描線を牛皮に取り入れることに成功している。全裸のしずかちゃんが双頭のオオカミの口に咥えられて連れ去られてゆく光景は、脳裏に焼きつくほど、じつにおそろしい。村上も鴻池も、ドラえもんを取り込みつつ、それに呑まれることなく、自分の作品として完成させていた。
とりわけ群を抜いているのが、しりあがり寿である。そのアニメーション映像は、「劣化」というキーワードによって、ドラえもんと自分の絵をシームレスに統合したものだからだ。自分の絵をドラえもんに合わせるのではなく、ドラえもんを強引に自分の絵に取り込むわけでもなく、コンセプトを設定することで双方を有機的に媒介してみせた手並みが、じつに鮮やかである。自虐的に見えるようでいて、「劣化」に一喜一憂する現代社会を笑い飛ばす批評性もある。しりあがりの作品こそ、現代美術のもっとも核心的な作品として評価すべきではないか。
2017/11/13(月)(福住廉)
安藤忠雄展─挑戦─
会期:2017/09/27~2017/12/18
国立新美術館[東京都]
安藤忠雄と言えば、1990年代の中頃だったか、学生時代に聴いた彼の講演会をいまも鮮明に憶えている。スクリーンに映し出された画像は、京都は木屋町に安藤が建てた商業施設。近接する高瀬川の川面とテラスをほとんど同じレベルに合わせた点が大きな特徴だと安藤は誇らしげに語った。ただ、この計画案に対して、当初、安全上の理由から反対意見があったようだ。曰く、「子どもが川に降りて溺死する可能性を否定できない」。むろん安藤はただちに次のように反論したという。「水深がせいぜい10センチか20センチの川で溺れ死ぬような生命力に乏しい子は、いっそ死んだらええんちゃいますか」。プロボクサーから独学で建築を学び、いまや世界的な大建築家となった安藤忠雄の原点とも言うべき「野性」を、そのとき垣間見たような気がしたのである。
本展は建築家・安藤忠雄の本格的な回顧展。これまでの作品をスケッチ、ドローイング、設計図、マケット、写真、映像など、およそ200点の資料によって振り返った。広大な会場に大小さまざまな資料を抑揚をつけながら展示した構成は、確かにすばらしい。だが本展の最大の見どころは、館外の野外展示場に原寸大で再現された《光の教会》である。
《光の教会》とは、1989年に大阪府茨木市の茨木春日丘教会に建てられた礼拝堂。打ちっぱなしのコンクリートで構成した大空間の一面にスリットで十字架を表わした作品で、安藤の代表作のひとつとして高く評価されている。本展で再現された作品に立ち入ると、長椅子の数こそ少ないものの、正面にそびえ立つ光の十字架はまさしく教会そのものである。晩秋の柔らかな光が描き出す十字架はもちろん、側面の壁に現われる光と影のコントラストも非常に美しい。大半の来場者は荘厳な雰囲気に言葉を失っていた。
この再現された《光の教会》が優れているのは、建築展のある種の「常識」を裏切っているからだ。通常、建築展で見せられる展示物は実物の建築の縮小された再現物であることが多い。建築物そのものを美術館内に移動することはきわめて難しいがゆえに、マケットや設計図、写真、映像などのメディアによって実物を可能な限り再現することを余儀なくされているわけだ。だが安藤は原寸大の《光の教会》を美術館の敷地内にそっくりそのまま再現することで、こうした建築展の規範をあっさり転覆してみせた。
それだけではない。現在、茨木の《光の教会》の十字架にはガラスがはめられているが、そもそも安藤の建築案では何もはめられていなかったという。光だけでなく風も、温度や湿度も、自然を直接的に体感できる建築として構想されていたわけだ。ところが、それでは室内の快適性を担保できないという理由で事後的にガラスがあてがわれた。翻って本展の《光の教会》の十字架にはガラスも何も設置されていない。したがって来場者は光の温かさも風の冷たさも、文字どおり全身で感知することができる。つまり、本展における再現物は実物以上に建築家のオリジナリティを忠実に体現した作品なのだ。
安藤忠雄の本質的な「野性」は、自然との共生やら調和やらの美辞麗句のなかにあるのではない。それは、並大抵の建築家では決してなしえない、このような力業をある種強引に現実化させるところにあるのだ。
2017/11/13(月)(福住廉)
アリン・ルンジャーン「モンクット」展
会期:2017/10/28~2017/11/26
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]
本展は、今夏から秋にかけて京都で行なわれた、東アジア文化都市2017京都「アジア回廊 現代美術展」の関連事業。アリン・ルンジャーン(1975年バンコク生まれ)は、タイ国内のみならず欧米やアジア各地で活躍する現代アーティスト。2013年の第55回ヴェネチア・ビエンナーレに出品された彫刻インスタレーション《Golden Teardrop》は、2015年の「PARASOPHIA:京都国際芸術祭」(京都市美術館)でもお目見えしたので、思い出した人も多かろう。筆者はこのとき、彼の新作《骨、本、光、蛍》が扱う題材、歴史的物語の詩情あふれる語り口、繊細な映像美に強く心を動かされた。今年は、カッセル/アテネの「ドクメンタ14」でも新作《246247596248914102516... And then there were none》を発表した。彼がドクメンタに招聘されることになったのが、本展の出品作《モンクット》(2015年、パリ)である。本作もやはり複合的な作品で、会場1階には映像作品に関連するインスタレーションが展示され、2階ではビデオが上映された。「モンクット」とは王冠を意味し、モンクット王/ラーマ4世が受け継いだ王冠を複製し、そのレプリカをナポレオン3世に贈ったという歴史秘話が題材となっている。ストーリーには、王冠を巡るさまざまな表象が包含されている。場所はフォンテーヌブロー宮殿、パリのギメ東洋美術館のキュレーターの眼を通して、タイとフランスの外交史や文化的背景から語りが始まる。次にモンクット王の子孫にあたる金工職人による王冠の制作技法へと語り手と場面がともに転換する。この女性職人が映像内で仕上げた王冠レプリカ(正確には19世紀に複製されたレプリカのレプリカだが)が実際の展示室で展観されるという、凝った仕掛けなのである。[竹内有子]
2017/11/15(日)(SYNK)
植物画の黄金時代──英国キュー王立植物園の精華から
会期:2017/09/16~2017/12/03
JPタワー学術文化総合ミュージアム「インターメディアテク」[東京都]
キュー王立植物園が所蔵する18-19世紀に描かれた植物画28点と合わせて、東京大学が学術資料として明治期から採取してきた植物標本を紹介する展覧会。本展の特徴は、植物画に対応する実物標本を組み合わせて併置していること。昨年、筆者はキューガーデンを訪れたけれども、植物画を展示する付属施設「シャーウッド・ボタニカル・アートギャラリー」でこのような方法は採用していなかった。つまりこれは、キュー王立植物園と東京大学の学術的コラボレーションによる賜物といえよう。ボタニカル・アートとは本来、美の基準だけを満たすものではなく、科学的に精密な描写が求められる。出展作のいくつかには、インクと水彩で描かれた植物の主な図像に対して、小さい部位を鉛筆で下書きした跡が見られる。花の正確な構造を示すため、諸器官の解剖学的な分析は必須だった。双方を併置する妙とは、実物標本の圧倒的なマテリアリティが見る者に迫り、植物画にはない「質感」を提示できること。サイエンスとアートの融合である、植物画を総合的に堪能できる。同時代のデザイナーにとって、「自然のかたち」は拠り所となる共通のモデルであったから、造形活動や芸術理論に活用されたことが想い浮かぶ。近代とは、自然科学が急速に進展をみた時代。展示自体は小規模であるが、インターメディアテクの全館内を観覧すれば、より視野が広がる。植物界、動物界、鉱物界と、それらとは対照的に人工によって生み出されてきた産物、すべてがそこにある。館内はまさに近代性を表象するような、独特な世界観で形作られている。あてどなく歩いて展示物を見るうちに、さまざまなインスピレーションや気付きが得られそうだ。[竹内有子]
2017/11/15(水)(SYNK)