artscapeレビュー
2017年12月01日号のレビュー/プレビュー
更紗のきもの
会期:2017/10/03~2017/11/21
文化学園服飾博物館[東京都]
「更紗」とはインドを起源とする染物の総称。いつ頃から始まったのかは定かではないが、13世紀には大量生産が可能なほど、技術は発達していたという。技法としては手描きもあれば、プリントもある。染められる布は主に綿だが、絹や化繊もある。11-12世紀にはジャワ、そして17世紀以降にはヨーロッパ、日本でも江戸時代に作られるようになり、それぞれジャワ更紗、オランダ更紗、和更紗などと呼ばれている。染め方も素材も地域もさまざまとなると他の染色と何が違うのか、何が「更紗」なのかよく分からなくなるが、ブリタニカ百科事典には「人物、鳥獣、植物などの種々の模様を捺染」とあり、漠然と文様のありかたによって区別されるようだ。
展示はインド更紗から始まり、それが交易品として世界に広がり、世界各地の染織に影響を与え、模倣品を生み出した様子、そして明治から昭和初期の日本における更紗が紹介されている。インド更紗が交易品として各地で珍重された理由は、化学染料がなかった時代に、藍や茜を主体とした鮮やかな色彩の染色を他の地域ではできなかったからだ。ヨーロッパ各地では、インド更紗の輸入増大が貿易に不均衡をもたらし、輸入の制限、模倣と自国における生産が模索される。結果的にイギリスにおいて綿工業が産業革命の原動力のひとつとなったことはいうまでもない。アジアでは手仕事による模倣が行なわれたが、ヨーロッパでは染色工程には銅版プリントやシリンダーを用いた連続生産が導入された。日本に更紗がもたらされたのは16-17世紀(室町時代末~江戸時代)。南蛮貿易によってもたらされた文様染め木綿布が更紗と総称されたという。船載品はインド製のみならず、江戸時代後期にはヨーロッパ製のプリント綿布も輸入される。他方で江戸時代初期には日本でも輸入更紗を模倣した和更紗の製作が始まるが、輸入品のような鮮やかな色彩のものはつくることができなかったため、輸入品は変わらず珍重された。明治時代になると身分制による衣服の制限がなくなった。世界各地の文様が染色に取り入れるなかで更紗文様にも注目が集まり、明治から昭和初期にかけて更紗文様の図版集が相次いで出版された。『更紗圖案百題』(高橋白扇編、岸版画印刷所、1926年/大正15年)には、古渡り風の更紗、和風の文様の他に、ヨーロッパ、オリエント、アンデスなど世界各地の文様が収録されており、さまざまな文様が「更紗」と呼ばれ参照されていたことを示している。
展示品のなかでも印象的な逸品は三井家旧蔵「更紗切継ぎ杜若文様小袖」(江戸時代後期)。小袖の肩、裾、衽に17世紀から19世紀初めまでのものと考えられるインド製の22種類の更紗が継ぎ合わされている。古渡り更紗は小さな裂で家が買えるほどの価格であったと聞く。更紗に加えて胴には杜若(かきつばた)を手描きと刺繍で表したこの小袖は、どれほど高価なものであっただろうか。[新川徳彦]
公式サイト:http://museum.bunka.ac.jp/exhibition/
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2017/10/19(木)(SYNK)
キンダーブックの90年─童画と童謡でたどる子どもたちの世界─
会期:2017/10/21~2018/01/14
印刷博物館[東京都]
『キンダーブック』はフレーベル館が刊行する幼児向けの月刊保育絵本。1927年(昭和2年)11月に誕生し、今年で創刊90年を迎えた。印刷博物館で開催されているこの展覧会は、90年にわたる『キンダーブック』の歴史を、実物や絵本原画などによって辿る。展示は4部で構成されている。第1部は「観察絵本キンダーブックの誕生」。明治の終わりになると印刷技術の発展にともなって雑誌のカラー化が進み、同時期に子供向け絵雑誌が誕生する。ここでは『キンダーブック』誕生までに刊行された子供向け絵雑誌の数々が紹介されている。なかでもその質の高さで知られていたのは、1914年(大正3年)に婦人之友社が創刊した『子供之友』と、1922年(大正11年)に東京社が創刊した『コドモノクニ』だろう。『キンダーブック』は現在刊行されている幼児向けの月刊保育絵本のなかで最も歴史が古いが、大正から昭和初期に掛けて創刊された子供向け絵雑誌のなかでは後発だった。第2部は「キンダーブックで見る昭和史」。子供向け絵雑誌とはいえ、『キンダーブック』は教育を目的としているので、その内容には日常の暮らしや同時代の社会が取り上げられており、誌面を追うことで時代の流れを読むことができる。ここでは歴史的な出来事を示した年表と合わせて誌面が紹介されていると同時に、常に子供たちの心を捉えたであろう内容がテーマ別に紹介されている。なかでも「のりもの」や「宇宙」は今も昔もとくに男の子たちの心を捉えるテーマだ。時系列に見ると、創刊から1935年(昭和10年)頃までの誌面に描かれた子供たちの日常生活と、第2次世界大戦直前の誌面に現れる戦闘機や軍艦、防空壕や炭坑の解説との対比がとても興味深い。『キンダーブック』は1942年(昭和17年)4月に『ミクニノコドモ』と誌名を変え、1944年(昭和19年)2月から1946年(昭和21年)7月まで休刊する。戦後の号では、人々の暮らしが急速に変化していくさまを見ることができる。第3部「表現の変遷」では『キンダーブック』に寄稿した画家たちの原画や、造本の工夫、付録が紹介されている。第4部「私のキンダーブック時代」は、キンダーブックの読者、制作に関わってきた作家や画家たちによるエピソードだ。
『キンダーブック』を刊行するフレーベル館は、高市次郎によって保育用品・教材の開発と販売を目的として、1907年(明治40年)4月に設立された。『キンダーブック』の創刊は創業から20年後のことになる。1926年(大正15年)に「幼稚園令」が公布され、幼稚園の保育項目に新たに「観察」が加わった。『観察絵本キンダーブック』の創刊にはそのような時代背景がある。編集には倉橋惣三、岸辺福雄、和田実らの幼児教育専門家、武井武雄、西条八十、巌谷小波などの童画家や童謡、童話作家が顧問として加わった。内容もさることながら、『キンダーブック』の特徴はその販売方法にある。先行する子供向け絵雑誌が書店で販売していたのに対して、『キンダーブック』は書店や販売店を通さず幼稚園への直接販売を行なったのだ。契約が取れれば1年間の販売部数が確定でき、返本のリスクが少ない。現在では多くの幼児向け保育絵本・児童向け学習雑誌が行っている方法をいち早く取り入れたのが、『キンダーブック』だった。
本展ではまた絵雑誌の印刷についても焦点が当てられている。なかでも顧問として編集にも関わった武井武雄は印刷に造詣が深く、狙った効果を出すためにイラストを色別に墨で描いて版をつくる試みもしていたという。図録には明治末から昭和初期に掛けての絵雑誌の印刷方法に関する考察が収録されており、現在一般的に用いられているプロセスカラー印刷でなぜ当時のような印刷表現ができないのかを知ることができた。平版印刷という仕組みは同様でも版の作りかたが違うのだ。[新川徳彦]
関連レビュー
コドモノクニ展|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー
2017/10/20(金)(SYNK)
彌永ゆり子個展 イメージズオアペインティングス
会期:2017/10/24~2017/10/29
KUNST ARZT[京都府]
本展は絵画展だが、展示されている作品はキャンバスや紙に絵具で描いたものではない。パソコンのお絵かきソフトで描いた絵をディスプレイで展示しているのだ。作家の彌永はデジタル・ネイティブで、幼い頃からパソコンで絵を描いていた。彼女にとって道具が何であるかはさほど問題ではないようだ。作品の特徴は、完成した状態(静止画)だけでなく、制作過程や加筆・修正など(動画)も作品の一部として見せていること。また、作品が完成したら上書きをして、別の作品が始まることもある。つまり、明確な始まりと終わりがないのである。道具が何かよりも、こちらのほうが革新的ではなかろうか。近年、漫画業界では手描きよりもパソコンで描く漫画家が増えているという。美術界でも同様の状況が起こるのだろうか。その時、従来のジャンル分けは無効となるだろう。彌永の作品は単に物珍しいだけではなく、今後美術がどのように変容していくのかを示唆している点で興味深い。
2017/10/24(火)(小吹隆文)
福岡道雄 つくらない彫刻家
会期:2017/10/28~2017/12/24
国立国際美術館[大阪府]
大阪を拠点に1950年代から活動してきた彫刻家、福岡道雄(1936~)。彼の仕事を展観する大規模個展が、地元の国立国際美術館で開催中だ。筆者は1990年代から福岡の作品を見るようになったので、彼のことは断片的にしか知らない。いや福岡と同世代の美術関係者にとっても、彼の仕事を体系的・網羅的に見るのはこれが初めてだろう。展覧会は、初期から2005年の「つくらない彫刻家」宣言前後までの約60年間を、全6章で時系列でたどっている。とりわけ《ピンクバルーン》など1960年代の仕事が並ぶ第2章(画像)と、真っ白な空間に1970年代から90年代の風景彫刻8点が配された第4章、《何もすることがない》などの文字を無数に刻み込んだ1990年代以降の作品が並ぶ第5章は、巧みな作品配置も奏功してたいへん見応えがあった。福岡は「反芸術」が流行した1950年代に活動を始めた作家であり、彼の創作態度には一貫して同時代の美術や美術界に対する「反」の姿勢が貫かれている。その一方で作風は時代によって大きく変化し、見ようによっては迷走と取れなくもない。迷走に次ぐ迷走の末に「つくらない彫刻家」に至るわけだが、そこには外見的な一貫性を取り繕うよりも、作家としての生き方に一貫性を求める、自己に厳しい態度が透けて見える。貴重な作品が見られたことはもちろんだが、制作活動と人生がシンクロし、ビシッと一本筋が通った作家人生を知ることができ、大いに感動した。
2017/10/27(金)(小吹隆文)
contact Gonzo『訓練されていない素人のための振り付けコンセプト』
会期:2017/10/28~2017/10/29
BUoY北千住アートセンター[東京都]
トヨタコレオグラフィーアワード2014で披露された作品を含む、今回の上演作品は3部に分かれており、それぞれ「001/重さと動きについての習作」「002/速度と動きについての習作(改定)」「003/角度と動きについての習作(新作)」と名付けられている。トヨタでも見た「001」は、メンバーのひとりが床に仰向けになると、もうひとりはその上に乗る。さらにその状態で、乗っている方がリュックに入れていた本を寝そべるメンバーの腹の上に積み上げたり、自転車の車輪を回したり、照明のスイッチも握っていて、暗転したりする。暗転すると、舞台奥にある小屋から3人目のメンバーが出てきて横笛を吹く。明転した瞬間に小屋に戻り戸をぴしゃりと閉める。もちろん、ポイントは仰向けで踏み潰されているメンバーの苦しみで、悶絶の声はマイクで拾われ、ハアハア言う声が増幅されている。彼にはさらにもうひとつのタスクが課せられている。ネジを少し離れたスネアドラムに向けて投げ、ドラムを鳴らすこと。胸と下腹部のあたりに乗った足の位置がずれるたびに、観客までも悲鳴を上げてしまう。終始、仰向けのメンバーが被っている過酷な試練に目が離せない。彼が喘ぐたび、爆笑が会場を取り巻く。一つひとつはほとんど関連のない、多数の要素が舞台に撒き散らされる。そこがコンタクト・ゴンゾの一種の美学なわけだけれど、観客は暴力的な試練に爆笑し、ぴしゃりと閉められる戸にクスクス笑う。これは何かに似ている。それがより鮮明になったのは「002」のなかでだった。「002」では、20メートルの直線をゆっくりと20分かけてメンバーたちが進んで行く。その彼らに、20メートル先から手動の狙撃機が狙いを定めており、1分毎にみかんの砲弾が飛ぶ。狙撃機は予想を凌駕するスピードと威力でメンバーをかすめ、後ろの壁に激突した。狙撃機とメンバーとは徐々に距離を詰め、最後は距離ゼロの状態でメンバーの腹に直撃して終わる。この残酷な肉体の祝宴には見覚えがある。1980年代のテレビのなかで、たけし軍団がビートたけしから被ってきた、あの試練だ。『風雲!たけし城』も思い出す。あの肉体の残酷ショーは、いまやテレビでは封印されており、見ることはない。禁断の果実を齧るように、観客は「ヤバイもの」を見る快楽で、炸裂するみかんの汁を浴びながら、爆笑を繰り返す。現在の舞台芸術の使命のひとつは、テレビにはない、こうした空気を読まずに平然と行なわれるおかしなことを観客に体験させるところにあるのだろう。「003」は、横笛担当のメンバーの体に角材を押し付けると、ひとりの観客を舞台空間に招き、角材の反対端を観客の体に沿わせ、じっとしてもらうところから始まった。次々と観客は手招きされ、二人一組で角材の両端を挟む。そうした枝があちこちで広がり、角材とひとが交互に挟まったオブジェが組みあがり、増殖してゆく。ほぼ全員がオブジェのパーツになったあたりでカウントダウンが始まった。「ゼロ」を合図に、体を緩め、全員の角材が床に落ち、激しい音を立てた。さっきまで爆笑していた観客=傍観者が、ほぼ全員客体化させられたわけだ。この「003」にはあからさまな暴力は表われない。だが「司令」そのものが、一種の暴力であることを、観客は体験した。
2017/10/28(土)(木村覚)