artscapeレビュー
2019年03月01日号のレビュー/プレビュー
齋藤陽道「感動、」
会期:2019/01/19~2019/03/30
東京都人権プラザ[東京都]
齋藤陽道は2010年に「キヤノン写真新世紀」で優秀賞(佐内正史選)を受賞し、翌年デビュー写真集の『感動』(赤々舎)を刊行した。今回の東京・浜松町の東京人権プラザでの個展は、その写真集におさめた作品全点を一堂に会するものである。タイトルに「、」がついているのは、そこから継続して歩み続けているという意思表示だろう。
まさに齋藤の写真行為の原点というべき写真群だが、こうしてあらためて見ると、それらがまったく色褪せないどころか、より輝きを増しているようにすら感じられる。聾唖の写真家である齋藤にとって、「障がい者プロレス」の仲間たちや、マイノリティと目される人たちの存在は、文字通り他人事ではなかったはずだ。写真に写り込んでいる彼らの姿は、ポジティブな視点で光とともに捉えられており、そこには「ポルノグラフィ的な消費される『感動』」ではなく、「絶句して、嗚咽して、なおおのれの存在が奮い立つような『感動』」を確かに捕まえたという強い思いが、ストレートに表明されている。齋藤の被写体に対する反応が、先入観にとらわれることなく、生きものが生きものに皮膚感覚で接するようなものであることがよくわかった。
このシリーズの「キヤノン写真新世紀」優秀賞受賞時のタイトルは「同類」だった。写真集出版の時期が東日本大震災の直後だったこともあり、あまりにも「自意識過剰なタイトル」だということで「感動」に変えたのだという。だが、この写真群にはむしろ「同類」というタイトルのほうがふさわしいのかもしれない。ひとりぼっちで世界に投げ出されて、か細く震えていた生きものが、「同類」に出会ったことの歓びが、どの写真にも溢れているからだ。
2019/03/01(金)(飯沢耕太郎)
写真の起源 英国
会期:2019/03/05~2019/05/06
東京都写真美術館[東京都]
志賀理江子「ヒューマン・スプリング」展と同時期に開催された「写真の起源 英国」展は、カロタイプや、湿板写真などの古典技法によって撮影・プリントされた小さめの古写真が並ぶ、どちらかといえば地味な印象の展覧会である。だが、それぞれの写真に込められた、世界をこのように見たい、このように定着したいという思いの熱量はただごとではない。志賀理江子展の巨大プリントとはまったく対照的だが、これはこれで写真という表現メディアのひとつの可能性を開示しているのではないだろうか。
フランスとともに、写真発祥の地のひとつであり、19世紀のピクトリアリズム(絵画主義)の流れをリードしたイギリスだが、それ以後は写真表現のメイン・ストリームからは外れてしまった。それでも世界最初の写真技法の発明者であるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット、サイアノタイプ(青写真)で藻類のフォトグラムを制作し、女性写真家の草分けとなったアンナ・アトキンス、ガラスのネガを使用する湿板写真(湿式コロジオン法)を発明したフレデリック・スコット・アーチャーなど、1830~50年代のイギリス写真の輝きはほかの国を圧倒している。いうまでもなく、それは絶頂期を迎えつつあった大英帝国の威光に支えられたものであり、写真表現と政治・経済の状況との関係も面白いテーマになりそうだ。
展示の最終章にあたる「英国から世界へ」のパートで紹介された、1858年のエルギン伯爵、ジェイムズ・ブルース率いる外交使節団に同行したナソー・ジョンソンが撮影した『外国奉行たち』、エジンバラ出身の御雇外国人、ウィリアム・バートンが開催に協力した「外国写真展覧会」(1893)目録に掲載されたジュリア・マーガレット・キャメロンの《美しき乙女の庭》(1868)など、イギリスと日本との関係もとても興味深い。できれば19世紀だけでなく、それ以後のイギリス写真の展開もぜひフォローしてほしい。
2019/03/04(月)(飯沢耕太郎)
志賀理江子「ヒューマン・スプリング」
会期:2019/03/05~2019/05/06
東京都写真美術館[東京都]
志賀理江子は東日本大震災の1年後の発表された「螺旋海岸」(せんだいメディアテーク、2012)の頃から、「春」をテーマにした作品を構想していたのだという。2008年に宮城県名取市に移住した彼女にとって、長く厳しい冬が終わって突然に訪れる東北の春は、恐るべきエネルギーを発散する特別な季節と感じられたはずだ。それとともに、春になると「全くの別人となる」人物との出会いもあったのだという。そこから育っていった「ヒューマン・スプリング」の構想は、「自分ですらコントロール不可能な内なる自然」の力を、生と死を往還する儀式めいたパフォーマンスを撮影した写真を中心として検証する試みとなった。タイトルは、どこか宮沢賢治の『春と修羅』(1922)を思わせるが、おそらく賢治の仕事も意識しているのではないかと思う。
志賀の展覧会は、いつでもインスタレーションに大変な精力を傾注して構築されている。今回は、等身大を超えるサイズの写真を4面+上面に貼り巡らせた20個の箱を、会場に不規則に配置していた。観客はその間を巡礼のように彷徨うことになる。箱の片側の面には、「人間の春・永遠の現在」と題された、顔を紅く塗った半裸の若い男性のまったく同じ写真がリピートされ、反対側、および側面にはここ1年ほどのあいだに集中して撮影されたという写真群が並ぶ。上面はほとんど見えないが、そこには「人間の春・彼が彼の体にある、ということだけが、かろうじて彼を彼たらしめている」と題した、寄せては返す波の写真が貼られている。展示自体は「螺旋海岸」や「ブラインドデート」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、2017)の、あの観客を包み込み、巻き込むような圧倒的なインスタレーションと比較すると、やや素っ気ない印象すら受ける。だが「写真を見せる」という意図はこれまで以上にはっきりしているし、暗闇や音響の力を借りなくとも、観客を作品世界に引き入れることができるという自信がみなぎっているように感じた。
「ヒューマン・スプリング」に関しては、制作のプロセスもこれまでとはやや違ってきている。木村伊兵衛写真賞を受賞した『CANARY』(赤々舎、2007)、では、まず志賀自身のヴィジョンが明確にあり、それに沿ってパフォーマンスが展開される場合が多かったのではないかと思う。ところが、「螺旋海岸」「ブラインドデート」そして「ヒューマン・スプリング」と進むにつれて、被写体となる人物たちとの対話を重視し、撮影現場の偶発性を写真に取り込むようになってきた。特に今回は、若い男女の「チーム」が、志賀とともに制作のプロセスに大きくかかわり、彼らとのコラボレーションという側面がより強まってきている。何が出てくるかわからないような状況に身を委ねることで、作品自体の手触り感がより流動的なものになった。それにしても、一作一作新たな領域を模索し、実際に形にしていく志賀の底力にはあらためて感嘆するしかない。それがまだまだ未完成であり、伸びしろがあるのではないかと思ってしまうのも、考えてみれば凄いことだ。
2019/03/04(月)(飯沢耕太郎)
江成常夫「After the TSUNAMI 東日本大震災」
会期:2019/02/28~2019/03/06
ポートレートギャラリー[東京都]
江成常夫は東日本大震災直後の2011年5月から、岩手、宮城、福島の三県にまたがる津波の被災地を撮影し始めた。今回の写真展は、2018年8月~9月に相模原市民ギャラリーで開催した同名の個展の再展示で、2018年5月まで7年間にわたって撮り続けてきた写真から56点を出品している。江成の撮り方はまさにオーソドックスなドキュメンタリー写真そのもので、会場には被写体の細部までしっかりと捉え切ったモノクロームの大全紙プリントが、息苦しいほどの緊張感を発して並んでいた。
このような、いわば古典的な手法で震災後の光景に向き合うことが、果たして妥当なのかどうかは問い直されなければならないだろう。また、津波の跡を撮影した写真群は、かなり多くの写真家たちによって発表されており、知らず知らずのうちに「見慣れた」眺めになってしまっていることも否定できない。だが、江成の愚直とさえいえそうな写真群は、二重の意味で大事な営みなのではないかと思う。ひとつは、彼がこれまで達成してきた日本と日本人の戦後を再検証する仕事の延長として、この「After the TSUNAMI 東日本大震災」を見ることができるということだ。『花嫁のアメリカ』(1981)、『シャオハイの満州』(1984)、『ヒロシマ万象』(2002)、『鬼哭の島』(2011)と続く彼のドキュメンタリーの仕事の系譜に、この作品も位置づけることができる。東日本大震災をこのような歴史的な視点で捉え直す作業は、これまであまりなかったのではないだろうか。もうひとつは、今回の写真群が6×6判という、どちらかといえば個人的、主観的な視線を感じさせるカメラで撮影されていることの意味である。あくまでも客観的な記録に徹しながら、江成常夫という写真家の自発的、能動的な撮影のあり方を、写真から感じとることができる。「After the TSUNAMI 東日本大震災」は、その意味で、とてもユニークな成り立ちの写真記録といえる。
なお、写真展にあわせて冬青社から同名の写真集が出版された。写真一点ごとに詳細な解説が付されており、その重厚な装丁・印刷が内容に見合っている。
2019/03/05(火)(飯沢耕太郎)
佐藤信太郎「The Origin of Tokyo」
会期:2019/02/27~2019/04/13
PGI[東京都]
佐藤信太郎が2008年に刊行した『非常階段東京 TOKYO TWILIGHT ZONE』(青幻舎)は、ビルの非常階段から大判カメラで黄昏時の東京の光景を捉えたユニークな視点の写真集だった。今回のPGIでの展示はその続編というべきもので、これまでは主に東京の東側の地域を題材としてきたが、その撮影領域を東京の中心部にシフトしている。それだけでなく、デジタルカメラを使うようになって、写真をパノラマ的につなげてプリントできるようになった。今回展示された5点のうち最大のものは、0.86×11.5メートルという絵巻物のような作品だった。展覧会にあわせて、後半部分に近作のパノラマ作品をおさめた新刊写真集『非常階段東京 The Origin of Tokyo』(青幻舎)も刊行されている。
いうまでもなく東京の中心に位置するのは皇居であり、そこにカメラを向けると、画面の下部に黒々とした部分が大きく広がる。佐藤はあえてその闇の領域を取り込むことで、「日常と非日常の間、天と地の間、数歩先に進めばこの世からいなくなるような、この世とあの世のあわい」に位置する「非常階段」という視点を強調している。東京という都市の歴史的な地層を読み解くうえで、彼が発見したポジションは絶妙の視覚的効果を発揮しているといえる。ただ、東京を江戸以来の光と闇の二元論で捉える試みは、これまで多くの文学者、アーティストたちによって積み上げられており、ややクリシェ化していることも否定できない。これから先は、さらなる多層的な視点が必要となるだろう。その点において、パノラマ作品とともに展示されていた佐藤の初期作品「Geography」は注目に値する。「平面を平面のまま撮る」というコンセプトで地表を撮影したシリーズだが、もう一度見直すと思わぬ発見がありそうだ。
2019/03/06(水)(飯沢耕太郎)