artscapeレビュー

2019年03月01日号のレビュー/プレビュー

ラリック・エレガンス 宝飾とガラスのモダニティ ─ユニマットコレクション─

会期:2019/02/24~2019/04/21

練馬区立美術館[東京都]

デザインには大きく二つの役割がある。ひとつは問題解決、もうひとつは意味形成や価値創造である。フランスのジュエリー作家でガラス工芸家のルネ・ラリックは、後者の役割でガラス工芸界に多大な功績を残した人物だ。1900年のパリ万国博覧会で注目を浴びたラリックは、アール・ヌーヴォーのジュエリー作家として成功を収めたにもかかわらず、時代の潮目を読み、その後、ガラス工芸家へと転向する。日用品のデザインに精力的に取り組むようになったきっかけは、香水瓶だった。折良く、フランソワ・コティという香水商から香水瓶の大量注文を受けたのである。それまで香水瓶といえば、無機質な薬瓶のような形態をしていた。20世紀初頭に新しく登場したデパートの売り場で、広く中産階級の婦人に香水を手に取ってもらうためには、もっと魅力的なパッケージでなければならないとコティは気づく。それがどんなに良い香りの香水であっても、視覚的に見せることができないからだ。当時、人気絶頂だったラリックが生み出す優美な世界観は、香水のイメージをふくらませるのに最適だとコティは判断した。

これを機に、ラリックは工場を設立し、ガラスの大量生産に取り組むようになる。繊細なガラス工芸でありながら、大量生産の製造方法を確立したことが、ラリックの偉業である。主に型吹きとプレス成型で、さまざまなガラス素材と仕上げ方法を駆使し、どんな造形をもつくった。香水瓶をはじめ、花瓶、ランプ、手鏡、灰皿、グラス、印章、インク壺、果てにはカーマスコットと、あらゆる日用品を手がけたのである。ラリックはデザイン(装飾美術)で、無味乾燥な日用品の価値を高めることに貢献した。しかも超高価な美術工芸品ではなく、比較的安価な量産品でそれを可能にしたのである。これこそ、デザインの力だ。それにしても、いま見ても魅力的なガラス工芸が多く、思わずうっとりと眺めていたくなった。



香水瓶《アンブル・アンティーク》コティ社(1910)
透明ガラス、型吹き成形、栓はプレス成形、サチネ、パチネ


常夜灯《日本のリンゴの木》(1920)
透明ガラス、型吹き成形、装飾板はプレス成形、サチネ/ベークライト製照明台付

公式サイト:https://neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201810241540347937

2019/02/24(杉江あこ)

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国立西洋美術館開館60周年記念 ル・コルビュジエ 絵画から建築へ──ピュリスムの時代

会期:2019/02/19~2019/05/19

国立西洋美術館 本館[東京都]

日本で唯一のル・コルビュジエの建築作品である国立西洋美術館で、ル・コルビュジエの展覧会が開催されるとあらば、これほど話題性に富んだ話はない。しかも同館は「ル・コルビュジエの建築作品──近代建築運動への顕著な貢献」の1資産として、2016年にユネスコ世界文化遺産に登録されたばかりである。いったいどんな展示内容になるのかと思えば、焦点を当てたのは、ル・コルビュジエの“原点”だった。ル・コルビュジエが建築家として本格的に活動を始める前、絵画を通して「ピュリスム(純粋主義)」の運動を推進した頃から、代表作「サヴォワ邸」を設計した頃までの10年間に焦点を当てたのである。


1918年末のパリで、ル・コルビュジエは画家のアメデ・オザンファンとともに冊子『キュビスム以後』を発行し、ピュリスムを宣言する。当時、パリの美術界で注目を浴びていたキュビスムを批判し、新しい芸術論を展開するのだが、幾何学を用いて構成する手法はキュビスムとよく似ていて、その違いについて解説されているものの、いまひとつピンとこない……。と思っていたら、最終的にル・コルビュジエはキュビスムを認めて、積極的に紹介する立場へと変わっていくため、やや肩透かしを食らってしまった。それでも平面図と立面図を合体させた独特の構成や、黄金比を用いた計算し尽くされた構成などは、ル・コルビュジエらしく、その後に建築家として開花していく予感をすでにはらんでいた。

個人的には、ル・コルビュジエの絵画にとても好感を持った。正直、ル・コルビュジエが描いた絵画を何作もじっくりと鑑賞したのは初めてのことかもしれない。まさに絵画からル・コルビュジエの思想の変遷を垣間見ることができ、これはこれで大変興味深かった。その多くが静物の抽象画である。瓶やグラス、ランタン、ギター、本などの日用品が抽象化され、それらが規則的に配置され、制御された色と色とが重なり合い、複雑に見えるようで秩序立った世界として描かれている。何と言うか、心地が良いのだ。誤解を恐れずに言えば、アンビエントミュージックならぬ、アンビエントアートのような存在に感じた。空間を構成するように絵画を構成すると、このような世界が生まれるのか。複製画でいいので、叶うなら、わが家のリビングにも掛けたいと思った。


公式サイト:https://www.lecorbusier2019.jp

2019/02/24(杉江あこ)

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「仮留(かす)める、仮想(かさ)ねる 津波に流された写真の行方」展

会期:2019/02/23~2019/02/24

ららぽーとEXPOCITY 光の広場[大阪府]

宮城県亘理郡山元町において、東日本大震災による津波に流された写真約80万枚を洗浄、デジタル・データベース化し、持ち主に返していくプロジェクト「思い出サルベージ」。被災写真救済活動のひとつのモデルをつくったこの活動から派生的に展開している「LOST&FOUND」プロジェクトは、損傷が激しく持ち主の判別が難しいと判断された写真を譲り受け、国内外の美術館やギャラリーでの展示を行なってきた。

「思い出サルベージ」と大阪大学の共同主催による本展では、持ち主への返却が難しい被災写真約8,000枚が展示された。企画者は、「関西災害アーカイブ研究会」のメンバーである3人の研究者(岡部美香(大阪大学人間科学研究科准教授)、溝口佑爾(関西大学社会学部助教)、高森順子(愛知淑徳大学コミュニティ・コラボレーションセンター助教))。これまでの「LOST&FOUND」の展示活動と異なり、本展の最大の特徴かつ挑発的な点は、開催場所がホワイトキューブではなく、あえて「ショッピングモール」という商業空間を選択したことだ。それは、いくつもの矛盾や裂け目がせめぎ合い、反発し合いながら、無数の意味の層と問いを連鎖的に生み出していくような場をつくり出していた。



会場風景

休日の買い物客でにぎわうショッピングモール。通路の交差する中央の吹き抜け空間。通常はライブやトークショーなどの華やかなイベントが開催されているであろうその広い空間に、約1m四方の正方形の低い台が並べられ、50枚ほどの写真がびっしりと敷き詰められている。そのほとんどはL判の家庭用プリントだが、激しい引っ掻き傷のように、あるいは焼け焦げた跡のように、画像は白く消え失せ、マーブル状に混じり合ったインクが画面を覆っている。一枚一枚に目を凝らすと、旅行先や結婚式、宴会、子どものスナップ、卒業式や運動会などの行事を写したと分かる写真もあれば、ほとんど真っ白に消失し、何が写っていたのか定かではない写真もある。

これらは「二重の痕跡」を刻印された写真である。被写体の人々の(多くは人生のかけがえのない瞬間の)記憶の断片であり、かつ津波を受けた痕跡を有すること。そして第二の「痕跡」が第一の「痕跡」を上書きし、かき消そうとしていくさまは、(被写体の多くが「人物」であるからこそ)彼らの身体に無残にも付けられた「傷」を否応なく想起させる。それは、「写真」であると理解しつつも、悪寒のように襲ってくる直感的な想像である。

ここに、写真(紙焼き写真)が写真であることの本質的な矛盾が顔を出す。それは、誰かの記憶が焼き付けられたイメージであり、時に本人の存在と等価にまで近づき、同時に物質でもある。ほぼ真っ白になった写真であっても、洗浄と保管の対象となる。被写体が何か/誰であるかにかかわらず、ただ「写真である(あった)」という一点のみが、これら無数の被災写真の「救済」を等しく支えている。

また、一枚一枚の写真に目を通していくうちに、「被写体の人物の顔が消去されている」という共通点に気づく。「持ち主への返却が難しい」理由のひとつはここにある。それは、「固有の顔貌の消去」という暴力的な事態を想起させる一方で、「写真を見る者が自身の記憶をそこに投影し、代入できる想像的余白」としても働く。



会場風景

同時にそこには、「傷、トラウマ、時制(の混乱)」をめぐるメタフォリカルな事態を読み込むこともできる。写真の表面を覆う津波の痕跡は、過去に起きた出来事の傷痕でありつつ、写された人々は今も渦巻く水に飲み込まれ、炎に包まれているように見える。それは、「受難の瞬間を凍結された現在」という矛盾した時制を生き続ける。

一方で、これらの被災写真が美の観想のための場ではなく、「ショッピングモール」という空間に置かれることで、さらなる意味の層が輻輳的に発生する。ポジティブな側面としては、展示目的でない通りがかりの来場者も巻き込み、ホワイトキューブにおける「展示」が暗黙のうちに要請する「厳粛な気持ちで見なければならない」という倫理的要請や心理的バリアを解除し、あるいは「美的なものとして眼差してしまう」罪悪感を和らげるだろう(例えばホワイトキューブでの展示は、絵具の飛沫が飛び散ったような被災写真を、ゲルハルト・リヒターの《オーバー・ペインテッド・フォト》に重ねる視線を誘発しうる)。その一方、「ショッピングモール」という消費資本主義の象徴空間に異物として置かれることで、これらの写真は、「消費の快楽と忘却、不快なものの排除」という消費資本主義空間の暴力性に晒されてもいる。館内アナウンス、各店舗から流れる大音量のBGM、買い物客のざわめき、子どもの歓声……。周囲のノイズが絶えず観想を妨げ、音響が剥き出しの暴力として襲ってくる。それは、「ショッピングモール」という具体的な場のみならず、東京オリンピックと大阪万博へと向かう日本社会全体を覆い尽くそうとする明るくも暴力的な力であり、その意味でこれらの写真は「津波」に続く「二度目の暴力」に今まさに晒されているのだ。

「写真を元の持ち主に返す」目的で出発し、個人の宛先を想定した活動の過程で、持ち主不明となった写真が次第に集合体を形成し、保管や展示の対象となり、一種の公共財として次第にアーカイブ的な性質を帯びること。「個人的な思い出」として完結していた存在が、公共空間での展示により、上述のような複数の意味の層を発生させ、問題提起し始めること。アーカイブは静的な場ではなく、読み取る視線によってこそ活性化し、内部で変容を遂げていくのだ。

この点において本展は、通行人をも注視する眼差しに変える、いくつかの秀逸な仕掛けを用意していた。まず、壁によって境界画定された場ではなく、出入り自由なオープンな場に、水平の平台を仮設的に設置したこと。台の「低さ」も意図的な選択だ。近づいてよく見ようとする者は、必然的に屈みこまねばならない。「屈みこむ」という身体的なアクションが、注視の姿勢へと誘う。「低さ、見にくさ」というハードルは、むしろ見る者の能動的な関与を引き出す触媒として作用する。そして、鑑賞者は、「気に入った(気になった)写真を1枚だけ選び、ポラロイドカメラで撮影し、現像を待つ間、スケッチブックにコメントを書き込む」ように勧められる。ポラロイドカメラの手軽さ、記念撮影的な楽しさ、写真を貼るマスキングテープやカラフルなペンも用意され、参加する人も多かった。それぞれの視線で切り取られた展示の記録と言葉が、スケッチブックに蓄積されていく。


「1枚だけ選んでよい」という仕掛けも秀逸だ。自分の記憶と重なるような写真、感情的に揺さぶられた写真、色合いが「美しい」と感じられた写真……。自分にとって何かを訴えかける写真を選ぼうと一枚一枚に目を凝らす鑑賞者は、「流された写真を探す」被災者の目線を擬似的にトレースし、追体験するようになる。それは、「他人の撮ったアマチュア写真を見る」という経験につきまとうバリア(無関心や退屈さ、他人のプライベートを覗き見する気まずさ、倫理性、被災者/非当事者という距離)をゆるやかに解除し、元のアルバムから引き剥がされて「津波の被害を被った写真」としていったん一般化・集合化されたものを、再び個別的な唯一無二の存在へと回帰させていくのだ。また、「ポラロイドカメラで複写する」行為は、「記憶に留めたいものを写真に撮ることで、イメージの世界に結晶化させる」、すなわち自らの手中に留められないものを永遠化するために写真を撮るというささやかな欲望が、これらの膨大な写真を撮った人々と同様、自身の内にも内在することを再確認するだろう。

「災害の記憶の保存と継承」から出発し、写真論的な観点(写真の抱え込む複数の矛盾の開示)、アーカイブの機能、展示装置、社会批判、記憶の分有の可能性といった幅広いトピックスについて示唆的な問いを投げかける、極めて意義深い企画だった。

2019/02/24(日)(高嶋慈)

幸本紗奈「遠い部屋、見えない都市へ」

会期:2019/02/19~2019/03/09

ふげん社[東京都]

幸本紗奈は1990年、広島生まれ。2018年の写真「1_WALL」でファイナリストに選出されるなど、このところ急速に表現力を伸ばしている。東京・築地のふげん社で開催された「遠い部屋、見えない都市へ」が、最初の本格的な個展になる。

幸本はこれまで、「この場に居ながら異邦人であり続けることを目標のひとつとして」作品を制作してきた。それらは現実世界を一歩引いて眺め渡すような距離感を備えた、「もうひとつの世界」として成立していたが、あまりにも内向的であり、外に踏み出していけないもどかしさを感じさせるものだった。ところが、今回展示されたシリーズでは、「姉の住む遠い国に行き、さまよった体験」を基点にして作品を構築している。そのことによって、写真に浮遊と移動の感覚が備わり、彼女の目と心の動きにシンクロすることができるようになった。もともと、物語性を感じさせる写真の質だったが、その要素がさらに強まってきている。こうなると、写真とテキストを綯い交ぜにした展示や写真集も見たくなってくる。自分で書いてもいいし、誰かいい書き手とコラボレーションしてもいい。ぜひ実現してほしいものだ。

写真をあえて小さめにプリントして、壁にリズミカルに配置したインスタレーションもとてもうまくいっていた。写真相互のバランスをとって、気持ちのいいハーモニーを生み出していくセンスの良さはなかなかのものだ。さらなる飛躍を期待したい。

2019/02/27(水)(飯沢耕太郎)

清水裕貴「地の巣へ」

会期:2019/02/19~2019/03/04

ニコンプラザ新宿[東京都]

清水裕貴は2007年に武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業後、コンスタントに写真作品を発表し続けてきた。2011年には「ホワイトサンズ」で第5回写真「1_WALL」のグランプリを受賞、2016年には「熊を殺す」で第18回三木淳賞を受賞した。今回の個展はその三木淳賞の受賞新作展として開催されたものである。

最近は小説も発表している清水の展示は、いつでも言葉と写真とが絡み合い、結びついて展開される。今回の「地の巣へ」でも、最初のパートに「あれ」と称される生きものが登場する、かなり長い詩が掲げられていた。「夜の間に腹から伸びた無数の足が/泥を掻いて川を下りてくる/水路を駆け巡りあなたを探している」と書き出される詩の内容と、写真とのあいだに直接的な関連はない。大小のプリントが壁に直貼りされ、床にも広がってきている写真のほうは、水やシルエットになった人物が繰り返し登場するのだが、これまた詩と同様に謎めいた内容である。ただ、以前の作品と比べると、テキストと映像とのあいだの緊張感を孕んだ関係の構築の仕方に説得力が出てきた。もう一歩先まで進んでいけば、高度な言葉の使い手としての才能と、繊細な感受性を備えた写真家としての能力とが、よりダイナミックに融合してくるのではないだろうか。

今回の展示は、会場のスペースを二人で分割していたために、照明を落とすなどの工夫はあったものの、清水の作品世界を緊密に展開するには問題があった。インスタレーションの能力も高いので、どこか大きな会場での展示を実現したい。なお、本展は3月21日~3月27日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2019/02/27(水)(飯沢耕太郎)

2019年03月01日号の
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