artscapeレビュー
2023年10月01日号のレビュー/プレビュー
建築学生ワークショップ仁和寺2023
会期:2023/09/17
仁和寺[京都府]
毎年恒例の建築学生ワークショップは、これまで伊勢神宮や出雲大社など、日本各地の聖地で開催されてきた。そこに全国から集まった学生のチームが、1日だけの仮設構築物をつくるプログラムである。その魅力は以下の通り。普段は絶対に建てられない歴史建築のそばで作品をつくれること。模型や提案に終わらず、実寸のスケールで建てることで、リアルな空間体験ができること。セルフビルドで材料の重さや強度を体感できること。異なる学校や学年から構成されるグループを通じて、共同作業を学べること。そして多様な分野のプロフェッショナルが講評に参加するため、意匠、歴史、構造、美術、デザインなどさまざまな視点から批評を受けられることである。さて、今年は仁和寺が舞台となり、ついに初の京都開催となった。もっとも、二王門の北側が公開プレゼンテーションの会場だったため、炎天下のもと9時間、世界でもっとも過酷な講評会が行なわれた。
最後は10作品に対し、投票で点数が入り順位が付けられたが、個人的に気になった4作品について触れたい。まず2位に入賞したgroup 3は、五重塔に対峙しつつ、歩くと、音が鳴る仕掛けを導入していたが、歴史建築への読解は表面的だった。仁和寺の五重塔は、逓減率が低いという造形的な特徴をもつことに加え、17世紀にあえて和様でつくっており、意図的に復古的なデザインを選んでいる。こうした固有性を無視すると、五重塔=シンボリックという記号的な捉え方になってしまい、醍醐寺、東寺、法隆寺など、どこの五重塔でも同じ案が成立してしまう。
今回、興味をもったのは、イメージの喚起力が強い、キャラクター性をもった作品である。ヘリウムを使って、数多くの小さい箱型のボリュームを浮かせたgroup 6の作品は、風によって動き、途中から、門の真ん中を通る龍のように見えた(3位)。また綿と倒木を用いてアクロバティックに構造を成立させたgroup 5は、毛を刈り取らないまま放置された羊が大変なことになった状態を想起させて、ユーモラスだった(1位)。一方、ワークショップでよく用いられる竹ではなく、苔や鉋屑(かんなくず)などユニークな素材を使った班はほかにもあったが、ちぐはぐな導入だったため、うまく全体的なイメージの喚起力を獲得できなかった点でで、ヘリウムや綿の作品と命運が分かれた。
縄を活用したgroup 4はあまり評価されず、入賞しなかったが、まず遠くから眺めたとき、経堂に対して程よいボリュームで斜めから対峙している、大きな蜘蛛のように感じられた。しかも長い脚が出ている鬼=モンスター。ただ、近付いて説明を聞くと、その内部に上空を見上げる求心的な空間があることが重要だった。講評では「それが目的ならば、乖離したような外観は何なんだ」と批判されていたが、筆者はそのギャップを興味深く感じた。例えば、ゴシック建築は内部に聖なる空間を実現するために、外部に構造をむき出しにすることで結果的にグロテスクな風貌になっている。それと同じことが起きているのではないか。ただし、本作品に内外を隔てる壁はない。つまり、group 4の作品には、スパイダー・ゴシックという強いキャラクター性がある。
建築学生ワークショップ:https://ws.aaf.ac/
2023/09/17(日)(五十嵐太郎)
安住の地『かいころく』
会期:2023/09/15~2023/09/18
日本基督教団 但馬日高伝道所[兵庫県]
「なぜだろう、と思った。いつか終わらせるいのちであるのに、なぜいまそうやって泣くのだろう」。
安住の地『かいころく』(企画・脚本:私道かぴ、出演:森脇康貴)は、蚕飼いの家に生まれ育ったひとりの男の語りを通して、かつて国の発展を支えた蚕と養蚕家の生に、国のために散ることを強いられた命に、そして生きることの意味に思いを馳せるような作品だった。もともとはかつて養蚕農家だった古民家での公演機会を得たことから構想された作品なのだという。私が観た豊岡演劇祭2023フリンジセレクションでの上演は日本基督教団 但馬日高伝道所で行なわれたのだが、そこが会場として選ばれたのも、天井の高さと風通しのいい空間が養蚕農家のそれとよく似ていたかららしい。
上演時間30分の短編作品ながら、蚕を通して命の有様と人間の営みの不条理を浮かび上がらせる巧みな構成と詩情に溢れた言葉には強く心を揺さぶられた。何より森脇である。生きる意味を問いながら、同時にそんなものがあろうがなかろうがどうしようもなくそこにあり、そして生きようとしてしまう命の姿を描いたこの作品がここまでの強度を持ち得たのは、四方を囲む観客の前にひとり立ち、語り、動き続けた森脇の身体が、命がただそこにあるということの説得力を宿していたからにほかならない。安住の地の、そして俳優・森脇康貴のレパートリーとして今後も長く上演し続けていくにふさわしい作品だと思う。
屍のように舞台に横たわる男。微かに残る命を示すように身じろぎした男は、降りはじめた雨に誘われるようにして自らの来し方を思い起こす。さわさわという五月雨の音は、かつて男が慣れ親しんだ、蚕が桑の葉を食むその音に似ていたのだった。
男は貧しい蚕飼いの家に生まれた。農業を営むには適さないその土地に住む一家にとって、蚕は糊口を凌ぐ唯一の手段だった。朝な夕な蚕の世話に追われる毎日。それでも男はそれなりに満ち足りて日々を過ごしていた。しかしある日、男は母の背に、その目に倦怠を見る。「来る日も来る日も、蚕の世話に追われて過ぎるこの生活は、いつになったら明るくなるのだろうか」。また妹は、美しい糸をとるために、繭の中で生きたまま煮られる蚕を思い涙を流す。そんな妹の態度は男のなかに苛立ちを呼び起こす。「それならなんで蚕はこうして生きているのか。知らない。それならなんで私たちはこうして何万頭も産み送り出しているのか。知らない。わたしは何も知りたくない」。
蚕の生を巡る問答はやがて、戦争を背景とすることで人間の生を巡るそれへと折り返されるだろう。「何も知りたくない」という男の言葉は、知ってしまえば生の無意味さに、世界の不条理さに耐えられなくなってしまうことに気づいているがゆえのものだ。妹への苛立ちもまた、憐れみを向けられた蚕の運命が、自らのそれと重なるものであることに気づいているがゆえのものなのだ。やがて男のもとにも召集令状が届くことになるだろう。
そして戦地で死の淵にある男は祈りの空間である教会で自らの来し方を振り返り、そこは束の間、生家である養蚕農家と二重写しになる。床に点々と散る繭は包帯に包まれた体を暗示するようでもあり、どこか銃弾のようでもある。貧しい家族の生を支え、主要な輸出品として国の発展に寄与し、そしてときに軍需物資の材料ともなってきたその繭は、死を内包して静かに転がっている。
「幾日も手をかけ育てた子らを、一瞬にして奪われる営みよ。出兵の前の晩、がらんどうとした蚕部屋。そうか、わたしはあそこに居たのだ」。 出荷を終えた蚕部屋はシンと静まり、かつてそこに満ちた「桑がいのちを終える音、蚕がいのちを繋ぐ音」ももはやない。そして青年もそこを出ていく。桑から蚕へ、蚕から青年へと命は連なり、しかし青年の命はどこに連なるだろうか。
最後に語られるのは、羽の弱さゆえに決して飛ぶことができない蚕蛾が、それでも外の世界へと旅立つ準備を整え、そのからだを震わせるようにして繭を割り、まるで飛び立とうとするかのように懸命に羽を広げる様だ。
「蚕はね、繭から出られたとしても、羽が弱くて飛べなくて、口がないから食べられなくて、結局、死んでしまうのよ。結局、死んでしまうとしても、身体がそれを、認めない。羽、傷ついて、身体、よろけて、音、かすれて、関節、ゆがんで、それでも飛ぶことを、諦められなくて」。
飛び立つ蚕蛾の幻を青年が見たその瞬間、教会の窓から差し込んだ陽光は奇跡のようで、しかし日はまたすぐに移ろい翳りゆく。繭に包まれた蚕が飛び立つことも、青年がその先の未来を生きることも決してない。
安住の地の次の活動としては2023年11月3日(金)から12日(日)まで、大阪・扇町にオープンする新しい劇場「扇町ミュージアムキューブ」でのアートフェス型演劇公演『INTERFERENCE』が予定されている。森脇が構成・演出・出演を務める『SHINIGAMI』など3本の演劇作品の上演に加え、過去作品の上映会や展示・ワークショップなど、安住の地という集団の多彩な活動を知るのに最適なイベントとなりそうだ。
2023/09/17(日)(山﨑健太)
Made in Takarazuka vol.4 入るかな? はみ出ちゃった。~宮本佳明 建築団地
会期:2023/09/16~2023/10/22
宝塚市立文化芸術センター[兵庫県]
宝塚市立文化芸術センターでは、市にゆかりのあるアーティストを紹介するシリーズを企画しており、その第4弾として宮本佳明の建築展が開催された。「入るかな? はみ出ちゃった。」という不思議なタイトルは、彼の実作についていずれも原寸大の模型を並べているからで、住宅《SHIP》(2006)、《澄心寺庫裏》(2009)の屋根、《香林寺ファサード改修》(2015)などの一部が展示室に貫入したかたちになっている。またそれほど大きくない《クローバーハウス》(2006)や《elastico》(2010)は、内壁の輪郭をなぞり、展示室内に収まっている。
以前、筆者はKPOキリンプラザ大阪の展示コミッティとして、「宮本佳明展 巨大建築模型ミュージアム ─環境ノイズエレメントを解読し、都市を設計せよ─」(2005)を企画したが、このときも大きな模型を用いていた。また芸術監督を務めたあいちトリエンナーレ2013では、愛知芸術文化センターの吹き抜けにおいて、宮本は1/1のスケールで福島の原発の図面をなぞっている。今回は10作品のボリュームを再現しているが、会場からはみ出る部分を想像させて興味深い。
筆者は5作品を訪れたことがあり、それぞれの空間体験も思い出した。アートと違い、実物を展示できないのは建築展の特徴だが、これはきちんと大きさを伝える試みだろう。大きな模型という意味では、「第5回ヒロシマ賞受賞記念 ダニエル・リベスキンド」展(広島市現代美術館、2002)が各部屋にちょうどぎりぎりで入るサイズで、さまざまなプロジェクトの巨大模型を挿入していた(ゆえに、縮尺はばらばら)。なお、宮本の最新の仕事となる、村野藤吾の《八幡市民会館》(1958)をリノベーションする《北九州市立埋蔵文化財センター》のセクションでは、完成前ということで、通常の模型と建築への介入を料理法的に説明するパネルを並べている。
宮本展と連動し、会場から歩いてすぐの《「ゼンカイ」ハウス》(1997)が公開中ということで、20年ぶりくらいに再訪した。これは阪神淡路大震災によって全壊判定を受けた宮本の実家を解体せず、事務所にリノベーションした彼の代表作である。ちなみに、東日本大震災の後は、ここまで衝撃的かつ批評的な作品は登場しなかった。当初は鉄骨を木造家屋に突き刺した異形の外観だったが、いまや街に溶け込み、思わず通り過ぎてしまう。内部はあまり変わっていないが、右隣の空き地は消え、左隣の建物も事務所化し、そこに大量の資料を入れている。
入るかな? はみ出ちゃった。~宮本佳明 建築団地:https://takarazuka-arts-center.jp/post-exhibition/post-exhibition-3692/
2023/09/18(月)(五十嵐太郎)
ほそくて、ふくらんだ柱の群れ ─空間、絵画、テキスタイルを再結合する
会期:2023/09/19~2023/09/29
オカムラ ガーデンコートショールーム[東京都]
昨年までオカムラ・デザインスペースRで展示を企画していた建築史家の川向正人の役割を、今年から筆者が担当することになり、会場も原っぱをイメージした「OPEN FIELD」という名前に刷新した。そして建築家の中村竜治、テキスタイル・デザイナーの安東陽子、アーティストの花房紗也香の3名に声がけし、異なる分野のコラボレーションによって新しい空間をつくることを依頼した。
花房は画家なので、当初は壁やカーテンが入る、ピクチャレスクなインテリア・ランドスケープが出現することを想定していたが、中村は三者を密接に結びつける柱の形式を提案し、予想を超えるチャレンジングな企画となった。すなわち、天井と柱身をつないで構造を安定させるテキスタイル製の柱頭と、自律性が強い絵画の平面性を解体するように柱身に巻き付いた絵は、それぞれ安東と花房にとって、初めて試みる表現である。通常、建築にとってテキスタイルは装飾的な役割を果たすが、ここでは摩擦力によって柱が倒れないように作用し、構造の要となる柱頭に変容した。
また花房は、個人的な出産体験を踏まえ、半透明な筒状の絵画を構想した。今回は2枚の絵を描き、それぞれを5分割して筒にプリントしている。ゆえに、具象的なイメージではなく、抽象的な作品にしたという。もともと花房の作品は、絵の中に複数のレイヤーを重ねた室内が描かれることが多いが、今回は彼女の絵が断片化しながら室内に散りばめられ、柱の森をさまよううちにイメージが統合されるような鑑賞体験がもたらされた。
ところで、中村によるエンタシスのある多柱の空間は、ギリシアや法隆寺など、古代の建築にも認められる。高さに対する柱間のプロポーションだけでいえばエジプトの神殿に近いが(神殿の柱は異様に太い)、一方で細い柱の整然としたグリッドの配置は、近代のユニバーサル・スペースとも似ていよう。だが、モダニズムに柱頭やエンタシスは存在しない。絵画が統合された建築は、前近代的でもある。そして手づくりのかわいらしい(おいしそうでもある)テキスタイルの柱頭は、職人が制作したロマネスクの柱頭を思い出させる。かくして「ほそくて、ふくらんだ柱の群れ」は、これまでになかった現代的なデザインと、クラシックな感覚を併せもつインスタレーションとなった。
ほそくて、ふくらんだ柱の群れ ─空間、絵画、テキスタイルを再結合する:https://www.okamura.co.jp/corporate/special_site/event/openfield23/
2023/09/19(火)(五十嵐太郎)
カタログ&ブックス | 2023年10月1日号[テーマ:荒川修作+マドリン・ギンズと「意味」の湖を楽しく泳げるようになる5冊]
「意味」とは何か。「荒川修作+マドリン・ギンズ《意味のメカニズム》全作品127点一挙公開 少し遠くへ行ってみよう」展(セゾン現代美術館にて2023年10月31日まで開催)で出会えるのは、我々が思考のなかで圧倒的な力をもつ言語や論理を超えて、意味の構築を探る実験場。“少し遠く”への補助線となる5冊を紹介します。
今月のテーマ:
荒川修作+マドリン・ギンズと「意味」の湖を楽しく泳げるようになる5冊
1冊目:22世紀の荒川修作+マドリン・ギンズ 天命反転する経験と身体
Point
死なないための方法を模索していた荒川の、没後10年に編まれた書籍。巨匠から若手まで幅広い書き手による論考・エッセイだけでなく、三鷹天命反転住宅でのワークショップのレポートや、そこに住む人々の素朴な所感に触れられる対話録まで、さまざまな形の荒川+ギンズとの接点や思い入れに触れられる賑やかな一冊。
2冊目:荒川修作の軌跡と奇跡
Point
荒川の生涯通じての作品や仕事、その変遷をある程度俯瞰して知りたい人におすすめ。生前の荒川+ギンズと深い親交のあったダダイスム・シュルレアリスム研究者の塚原史氏だからこその親密な視点が端々で垣間見えます。豊富な図版や対談を通して、荒川が一貫して希求していたものが読む前よりも立体的に見えてくるはず。
3冊目:絶滅へようこそ 「終わり」からはじめる哲学入門
Point
上で紹介した『22世紀の〜』にも寄稿する気鋭の哲学研究者・稲垣諭による論考集。人類はすでに絶滅に向かっているという仮定に立って考える、現代の私たちの「生」との距離。その思索の入り口として登場する、iPhoneなどのデバイスや、セルフレジ、K-POPのアイドル、村上春樹といったトピックの並びも絶妙。
4冊目:数学する身体
Point
学生時代に荒川に出会い衝撃を受け、数年後に三鷹の養老天命住宅に入居。晩年の荒川と時間を共にし、大きな影響を受けた1985年生まれの数学者・森田真生のデビュー作。本書で綴られる荒川とのエピソードの面白さはもちろんながら、身体的な思考の道具として数学を捉え直すきっかけとして、数学アレルギーの人こそぜひ。
5冊目:考える練習
Point
荒川にまつわるテキストをたびたび書いている小説家・保坂和志による語りの連なり。文学についてだけでなく社会問題、スポーツ、経済といった身近な話題を通じ、いかに論理的思考や「わかる」ことから遠くに行って思考できるかのを模索をテーマにしているという点でも《意味のメカニズム》との強い共振を感じさせます。
荒川修作+マドリン・ギンズ《意味のメカニズム》 全作品127点一挙公開 少し遠くへ行ってみよう
会期:2023年4月22日(土)~10月31日(火)※会期延長
会場:セゾン現代美術館(長野県北佐久郡軽井沢町長倉芹ケ沢2140)
公式サイト:https://smma.or.jp/exhibition/shusakuarakawamadelinegins
2023/10/01(日)(artscape編集部)