2018年10月15日号
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artscapeレビュー

池田学展 The Pen ─凝縮の宇宙─

2017年03月01日号

会期:2017/01/20~2017/03/20

佐賀県立美術館[佐賀県]

細密描写の超絶技巧で知られる池田学の個展。幼少時に描いた絵画から東京藝術大学の卒業制作、その後の代表作、そしてアメリカ・ウィスコンシン州で3年ものあいだ滞在しながら制作した新作まで、約120点に及ぶ作品によって池田の画業の全貌に迫る本格的な回顧展である。おおむね時系列に沿って作品を展示した構成は堅実だが、要所で資料や映像を見せるなど、ほどよく抑揚をつけているため、最後まで飽きずに楽しむことができる。まちがいなく、見逃してはならない個展だ(同館ののち、金沢21世紀美術館と日本橋高島屋に巡回する予定)。
1ミリにも満たない線の重なり──。このほど刊行された画集(池田学『The Pen』青幻社、2017)でも存分にその細密描写の妙を味わうことはできるにせよ、その絵肌を肉眼で鑑賞することができる点が本展の醍醐味である。細密描写というと強い筆圧の狂気を連想しがちだが、池田の線はむしろ柔らかい。いや、むしろ「弱い」と言ってもいい。結果として画面に出現した対象の量感性が大きいぶん、その構成要素である一本一本の線のはかなさが際立って見えるのである。
内向的な求心力と外向的な遠心力の拮抗。あるいは、見る者を画面に誘わずにはいられない繊細な線の技巧と、見る者をのけぞらすほどのマッスの圧倒的な迫力との同時経験。池田絵画の真髄は、そのような相矛盾する志向性が絶妙な均衡を保ちながら同居している点にある。いずれか一方に傾いてしまえば、全体の統一性や有機的な調和がたちまち破綻してしまいかねない。思わずそのように危惧してしまうほど、それは鑑賞者の視線すらも危ういバランス感覚に巻き込むのだ。事実、展覧会場を出た後に残る心地よい疲労感は、細部に目を凝らした眼精疲労というより、バランス感覚を研ぎ澄ましながら全身の筋肉を躍動させるロッククライミングのそれに近い。
考えてみれば、このような快い疲労感は日本の絵画史上稀に見る経験ではなかったか。外来の理論や現代思想を鵜呑みにしてきた類の抽象絵画は、鑑賞者にも同じ水準の知的努力を強要したため、絵画を堪能する視線の快楽を奪い取ったばかりか、知的徒労感だけを残してやがて滅んだ。その後に現われた具象的な傾向の強い現代絵画にしても、理論や思想を無邪気に退ける一方、アニメやマンガの意匠をふんだんに取り込むことで同時代性を獲得しようとしたが、結局のところそのようなイメージを絵画で表現する必然性に乏しいため、世代的な共感は呼んだかもしれないが、真の意味での同時代性を獲得するには至っていない。特定の趣味と結託した世代論ほど退屈かつ厄介な言説はほかにあるまい。
これらに対して池田学の絵画は、絵画を鑑賞する視線の快楽を肯定する身ぶりを一貫させることによって、現代絵画が陥りがちなそのような徒労感を巧みに回避している。事実、池田の絵画を前にした私たちは、細部と全体のあいだに視線を幾度も往復させることができるし、平面に沿って水平方向に滑らせることもできれば、平面に対して垂直に奥深く突き刺すこともできる。しかも池田の絵画は、基本的には再現性の高い具象絵画だが、随所にリアリズムの観点からは不自然なイメージが織り込まれているから、それらの意味や連関を想像する楽しみもある。あえて極論を言えば、池田学の絵画の前に立ったとき、私たちは、たとえ空前絶後の疲労感に襲われたとしても、その一方で、いつまでも絵を鑑賞していられるような、ある種の永遠性の感覚に包まれるのだ。おのれの眼球がかつてないほどの悦楽を味わっていることを自覚できること。それこそ凡百の現代絵画には到底望めない、池田学の絵画ならではの特質にほかならない。

2017/01/23(月)(福住廉)

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