artscapeレビュー

hyslom『Documentation of Hysteresis』

2014年05月01日号

会期:2014/04/20

SNAC[東京都]

hyslom(ヒスロム)は、加藤至、星野文紀、吉田祐の三人組で、大阪の造成地に毎週通っては、その土地と自分たちとを接触させ、そのさまを4年以上にわたって映像に収めてきたという。今回のSNACでの上演は、前半部がその映像集の上映で、後半部は実際に彼らがその土地で行なっているようなことを実演した。前半部で上映された映像には、自然とも人工ともつかない、中途半端な状態でむき出しにされた土地の荒々しいパワーみたいなものが映っている。現在42才の筆者にとって、この光景は子どもの頃に親しんでいた田舎の空き地そのものだ。ベッドタウンと期待されて、山が削られていく。人間が暮らすのに都合の良い、平たい地面がつくられてはいるものの、通り抜ける風の強さとか、人目の届かない場所故の「しん」とした感じが、人工物ばかりの暮らしからは生まれてこないような妄想をかき立てる。そんなことがあったなと思い出す。そう、つまり、hyslomが空き地で続けているのは、ぼくが思うに、アートとか、パフォーマンスとか、ワークショップとか以前に、子どもの遊びみたいなことだ。例えば、造成された土地に残された複数の幹をのばした木に登り、3人がそれぞれ1本ずつ幹をもってぶつけ合ったり、その結果根元が割れ、割れたところから現われた虫の幼虫を観察したり、雨水が溜まった巨大な水たまりに裸で潜ってみたり、小さな円形の山をリングに見立てて頭突き合いの競争を始めたり、巨大なトンネルにかぶせられた巨大な幕に向かって石を投げつけてみたり。映像はすべてきわめて美しい。とはいえ、特別な被写体を映しているわけではない。自分の身体を被験体にして、その場のありさまを調査していると言えばそうだし、わざと危険なことして、乱暴を冒したが故に開けてくる光景をまさに子どもみたいにただただ楽しんでいるようにも見える。この作業から目立った何かが生まれてくるのかはよくわからない。けれども、彼らの活動は人間の思考を引っ掻き回し、生き生きとしたものに作り替える力に満ちているとも思う。思考の「土壌」を改良する営み、とでも言えばよいか。後半部で三人が登場して、重そうなドラム缶をゆっくりと三人がかりで舞台中央に移動させると、刺したパイプに何度も爆竹を投げ込んでいった。爆竹のデカい音が響く。悪ふざけのようで、でも、破裂音は美しくもある。パイプを抜き取り、倒すとドラム缶は蓋が取れ、大きな石と少量の水とが現われた。今度はドラム缶を右から左から転がした。三人の戯れが、じわじわと見ている自分の思考を揺さぶる。この揺さぶりに、hyslomと観客とがつくるユニークな関係性の核があるように思われた。


Documentation of Hysteresis - Trailer -

2014/04/20(日)(木村覚)

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